夜。私は遥木さんの家の社交界に参加している。
〈こんな高級なドレス。初めて着た〉
私は遥木さんが用意した白と黒のフォーマル寄りのドレスを着ている。上等なドレスだと手触りで分かる。遥木さんはあまり目立ち過ぎないように「一般的なものを用意した」と言ったけれど、ドレスなんてほとんど着たことがない。
〈ドレスは結婚式だけで着るものだと思っていた〉
そう思って、一瞬「結婚か」と小さく言葉にしていた。
中園家が所有するグランドホテルのホール。
たくさんの人が居ても広く感じる。今、この場に居る人々は、おそらく私が普通に生きていたら関わることのない世界の人なのだろう。その服装、立ち振舞い、話していること。上品さを感じる。高級な食事やお酒を、それに浮かれることなく。「当たり前」のように手にとって口に出来る。私はというと少し躊躇っている。
〈知らないカクテルしかない〉
私が知っているカクテルは、カルアミルクだけ。
〈折角なんだからカクテルの一杯くらいは飲んでみる?〉
赤、青、白。その他、カラフルなカクテルがテーブルの上に並んでいる。鮮やかで、見ているだけでも芸術品のように感じる。そして、そのどれもが高級なお酒をベースにして、プロが作ったカクテルだ。
〈飲んでみたいけれど、何だか手に取れそうにないな〉
カクテルを手にとって飲む時、その仕草や表情などを見られて「怪しい」と思われたら危ないかもしれない。そう思うと躊躇う。
「どうしたの? 飲んでいいんだよ? 舞」
向こうで話していた遥木さんがようやく私のもとへ戻ってきた。遥木さんも社交界ということで正装、タイトな黒のスーツ姿だ。
「ちょっと、ちょっと。遥木さん」
遥木さんを引っ張って小声で会話する。
「やっぱり無理があるような気がします」
私は小さな声で「場違いかな、って」と弱気なセリフを口にしていた。
遥木さんが「そんなことないよ」と言ってくれたけれど、その遥木さんは再び社交界に参加している人に話しかけられる。中園家の人間だからだ。そして私から人を遠ざけるようにこの場を離れていく。私は再び一人になった。
大勢の中の一人は、一人の時より孤独だ。
〈それに。もしも忍び込んでいるとバレたら相当危ないのかも? 身分の高い人たちしか居ない社交界なんでしょ?〉
会場の中には警備の人たちも立っている。
でも「こんな機会は二度とないかも」と会場を見てみることに。
一際、綺麗な女性が目に止まる。その赤く豪華なドレスは中世の美術絵画から抜け出してきたような印象の、大人の女性。
彼女は「立花知華」さんだ。
彼女の話は少し前に遥木さんの言葉で聞いている。父親が持ってきた見合いの話があることや、その相手が資産家の娘であることも。遥木さんは「俺は断っているんだけどね」と話していたが、そういう話があることは私にも分かった。
「近くへ行かない方が無難だよ」と遥木さんはさっき私に言った。
彼女は綺麗だけど愛想がないような気もした。側に居る人と話しているその表情は、あまり動かず。気が強そうにも見える。私が見ていると向こうも気付いて視線が合った。私はペコリと一礼しておいた。向こうは私に興味なさそうで私から目を逸した。その態度にどこか冷たさを感じた。
〈彼女が婚約者で、彼女が遥木さんと結婚するの?〉
私は不意に「そんなの嫌だよ」と小さく呟いていた。
後ろから「おや? あなたは?」と男性に声。
振り向くと高級なストライプスーツを着ている歳を重ねた威厳のある男性が私を見ていた。白髪が見えて50代くらいに思える。その物腰、視線や態度には隙がなく、顎に手を当てて私を品定めするような視線で話しかけてくる。
「失礼ですが、どちらの家の方でしょうか?」
私は答えに窮して「あの、中園家に呼ばれて」と答えた。嘘は言っていない。遥木さんに誘われてここに居るのだから、と。だけど私のその一言で男性の視線がより厳しいものへと変わる。そして厳しい声で話す。
「私は、中園家当主の「中園靖司」ですよ」
男性が警備員に何か合図を送ると、警備員たちが集まってくる。
「まずい」と思っていると、遥木さんが私のもとへ来た。
「父上。彼女は少し具合が悪いみたいです。私が付き添って少し外の風に当たらせて来ます。彼女を私がここに誘ったんです」
遥木さんが「行こう」と言って私の手をとって外へ連れ出す。
後ろで「遥木!」と遥木さんの父親の厳しい声が聞こえた。遥木さんはその声を無視して私を会場の外へと連れ出した。
* * * * *
「もう。あんな無茶するから危なかったじゃないですか」
夜の街。もともと着ていた服に着替えた私は、遥木さんに文句を言っていて、遥木さんは「ごめん。ごめん」と笑っている。
「笑い事じゃないですよ。警察を呼ばれたかもしれないんですよ?」
「ごめん。でも何とかなったんだから許してよ」
謝る遥木さんに私は「まあ、いいですけれど」と許すことに。遥木さんはその後に「社交界。どう思った?」と聞いてくる。私はさっき感じた孤独を思い出す。
「社交界は「私の居場所じゃないかも」って思いました」
「俺も同じなんだよ。舞」
遥木さんは笑みを浮かべているけれど、どこか寂しそうに話す。
「どんな豪華な場所でも「ここは俺の居場所じゃないな」と思ったら違うんだ。俺も社交界で「ここは俺の求めている場所じゃないな」と感じるんだよ。独りを感じて、寂しくて。どれだけ豪華でも虚しいなら。そこに意味を見つけられないんだ」
遥木さんは真面目な表情で私に伝える。
「いつか。青春を振り向いた時に寂しいだけなんて嫌じゃないか」
遥木さんは「だからさ」と悪戯な笑みを見せる。
「子供の頃から「いつか抜け出してやろう」ってずっと画策していたんだ。でも、一緒に抜け出す相手が居なくて。今日、ようやくその野望が叶ったかな」
「社交界を抜け出すのが野望だったんですか?」
「ああ。そうさ」
それが何だか面白くて、二人で小さく笑った。
「それで、抜け出した後はどこへ行くんですか?」
「二人だけのアトリエへ。あの、海辺の部屋へ行こう。舞。駅前のスイーツ屋で君の好きなものでも買うよ。今夜のお礼も兼ねて」
遥木さんはそう言うと私の頬に軽くキスをした。
「嫌かい? 舞?」
「ううん。嫌なわけないですよ」
嫌なわけがない。愛している人と二人だけのクリスマスの夜なのだから。
二人、クリスマスの夜に色とりどりのマカロンの入った紙袋を持って、最終の電車で二人のアトリエへ向かった。
〈こんな高級なドレス。初めて着た〉
私は遥木さんが用意した白と黒のフォーマル寄りのドレスを着ている。上等なドレスだと手触りで分かる。遥木さんはあまり目立ち過ぎないように「一般的なものを用意した」と言ったけれど、ドレスなんてほとんど着たことがない。
〈ドレスは結婚式だけで着るものだと思っていた〉
そう思って、一瞬「結婚か」と小さく言葉にしていた。
中園家が所有するグランドホテルのホール。
たくさんの人が居ても広く感じる。今、この場に居る人々は、おそらく私が普通に生きていたら関わることのない世界の人なのだろう。その服装、立ち振舞い、話していること。上品さを感じる。高級な食事やお酒を、それに浮かれることなく。「当たり前」のように手にとって口に出来る。私はというと少し躊躇っている。
〈知らないカクテルしかない〉
私が知っているカクテルは、カルアミルクだけ。
〈折角なんだからカクテルの一杯くらいは飲んでみる?〉
赤、青、白。その他、カラフルなカクテルがテーブルの上に並んでいる。鮮やかで、見ているだけでも芸術品のように感じる。そして、そのどれもが高級なお酒をベースにして、プロが作ったカクテルだ。
〈飲んでみたいけれど、何だか手に取れそうにないな〉
カクテルを手にとって飲む時、その仕草や表情などを見られて「怪しい」と思われたら危ないかもしれない。そう思うと躊躇う。
「どうしたの? 飲んでいいんだよ? 舞」
向こうで話していた遥木さんがようやく私のもとへ戻ってきた。遥木さんも社交界ということで正装、タイトな黒のスーツ姿だ。
「ちょっと、ちょっと。遥木さん」
遥木さんを引っ張って小声で会話する。
「やっぱり無理があるような気がします」
私は小さな声で「場違いかな、って」と弱気なセリフを口にしていた。
遥木さんが「そんなことないよ」と言ってくれたけれど、その遥木さんは再び社交界に参加している人に話しかけられる。中園家の人間だからだ。そして私から人を遠ざけるようにこの場を離れていく。私は再び一人になった。
大勢の中の一人は、一人の時より孤独だ。
〈それに。もしも忍び込んでいるとバレたら相当危ないのかも? 身分の高い人たちしか居ない社交界なんでしょ?〉
会場の中には警備の人たちも立っている。
でも「こんな機会は二度とないかも」と会場を見てみることに。
一際、綺麗な女性が目に止まる。その赤く豪華なドレスは中世の美術絵画から抜け出してきたような印象の、大人の女性。
彼女は「立花知華」さんだ。
彼女の話は少し前に遥木さんの言葉で聞いている。父親が持ってきた見合いの話があることや、その相手が資産家の娘であることも。遥木さんは「俺は断っているんだけどね」と話していたが、そういう話があることは私にも分かった。
「近くへ行かない方が無難だよ」と遥木さんはさっき私に言った。
彼女は綺麗だけど愛想がないような気もした。側に居る人と話しているその表情は、あまり動かず。気が強そうにも見える。私が見ていると向こうも気付いて視線が合った。私はペコリと一礼しておいた。向こうは私に興味なさそうで私から目を逸した。その態度にどこか冷たさを感じた。
〈彼女が婚約者で、彼女が遥木さんと結婚するの?〉
私は不意に「そんなの嫌だよ」と小さく呟いていた。
後ろから「おや? あなたは?」と男性に声。
振り向くと高級なストライプスーツを着ている歳を重ねた威厳のある男性が私を見ていた。白髪が見えて50代くらいに思える。その物腰、視線や態度には隙がなく、顎に手を当てて私を品定めするような視線で話しかけてくる。
「失礼ですが、どちらの家の方でしょうか?」
私は答えに窮して「あの、中園家に呼ばれて」と答えた。嘘は言っていない。遥木さんに誘われてここに居るのだから、と。だけど私のその一言で男性の視線がより厳しいものへと変わる。そして厳しい声で話す。
「私は、中園家当主の「中園靖司」ですよ」
男性が警備員に何か合図を送ると、警備員たちが集まってくる。
「まずい」と思っていると、遥木さんが私のもとへ来た。
「父上。彼女は少し具合が悪いみたいです。私が付き添って少し外の風に当たらせて来ます。彼女を私がここに誘ったんです」
遥木さんが「行こう」と言って私の手をとって外へ連れ出す。
後ろで「遥木!」と遥木さんの父親の厳しい声が聞こえた。遥木さんはその声を無視して私を会場の外へと連れ出した。
* * * * *
「もう。あんな無茶するから危なかったじゃないですか」
夜の街。もともと着ていた服に着替えた私は、遥木さんに文句を言っていて、遥木さんは「ごめん。ごめん」と笑っている。
「笑い事じゃないですよ。警察を呼ばれたかもしれないんですよ?」
「ごめん。でも何とかなったんだから許してよ」
謝る遥木さんに私は「まあ、いいですけれど」と許すことに。遥木さんはその後に「社交界。どう思った?」と聞いてくる。私はさっき感じた孤独を思い出す。
「社交界は「私の居場所じゃないかも」って思いました」
「俺も同じなんだよ。舞」
遥木さんは笑みを浮かべているけれど、どこか寂しそうに話す。
「どんな豪華な場所でも「ここは俺の居場所じゃないな」と思ったら違うんだ。俺も社交界で「ここは俺の求めている場所じゃないな」と感じるんだよ。独りを感じて、寂しくて。どれだけ豪華でも虚しいなら。そこに意味を見つけられないんだ」
遥木さんは真面目な表情で私に伝える。
「いつか。青春を振り向いた時に寂しいだけなんて嫌じゃないか」
遥木さんは「だからさ」と悪戯な笑みを見せる。
「子供の頃から「いつか抜け出してやろう」ってずっと画策していたんだ。でも、一緒に抜け出す相手が居なくて。今日、ようやくその野望が叶ったかな」
「社交界を抜け出すのが野望だったんですか?」
「ああ。そうさ」
それが何だか面白くて、二人で小さく笑った。
「それで、抜け出した後はどこへ行くんですか?」
「二人だけのアトリエへ。あの、海辺の部屋へ行こう。舞。駅前のスイーツ屋で君の好きなものでも買うよ。今夜のお礼も兼ねて」
遥木さんはそう言うと私の頬に軽くキスをした。
「嫌かい? 舞?」
「ううん。嫌なわけないですよ」
嫌なわけがない。愛している人と二人だけのクリスマスの夜なのだから。
二人、クリスマスの夜に色とりどりのマカロンの入った紙袋を持って、最終の電車で二人のアトリエへ向かった。
