三度目の人生は、キミのために。

 ――自分で選ぶこと。誰かに選ばれること。どちらが楽か。

 至った答えは、一度目の人生と二度目の人生で、流されるままに生きたこと。
 そして三度目の人生で、自ら選んで生きていることだった。

「……誰かに、選ばれることの方が楽だと思う」
「それはどうして」
「誰かに選ばれれば、誰かのせいにできる。だけど自分で選ぶと、その責任を自分で取らないといけない」
「ほう。……では、自分で選んだ責任を請け負うのは、辛いことか?」

 ロアは、リディアの問いに責める意図を感じなかった。
 きっと善悪も、正誤もない。
 ただ、事実だけを撫でるように、思考の奥へ手を伸ばされている気がした。

 これが考えるということなのか。
 こんな状況で感心してしまう自分が、少しだけおかしく思えた。

 ロアは少しだけ気が抜けた気持ちで、リディアの問いに向き合った。

 ――自分で選んだ責任を請け負うのは、辛いことか。

 思い出したのは、シェルの魔法で空を飛んだ時のことだった。

 もっと魔法が見たかった。
 もっと、自由なシェルを見ていたかった。

 だから、止めないことを自分で選んだ。

 王都の人間はシェルを連れ戻そうとした。
 それでも今、シェルはトアルの村で笑っている。

「辛いことばかりじゃない。結果がよければ、辛くないと思う」
「では、その結果が悪かったらどうする? 結果が悪かったとしても、自分の選択に胸を張れるか?」

 ――結果が悪かったとしても、自分の選択に胸を張れるか。

 ベルトラード公爵の判断で、シェルが王都に連れ戻されていたとしたら。
 きっと、シェルが魔法を使うことを止めればよかったと後悔した。

 その後悔を辿ると、生活を捨てて本を読み、シェルに心配をかけたことが原因。
 では、最初から本なんて読まない方がよかったかと言われれば、違う。

 この問いに、正解はあるのだろうか。

「キリがないだろう。自らの責任の所在を問うことは」

 ロアは、まるで心の内を覗かれているような気がして、思わずリディアを見た。
 けれど彼女は、相変わらず本から目を離さない。

 リディアがページをめくる音だけが、時の流れを告げている。

「だから人は、自分で選び続けなければならない。学ばなければ、選べなくなる。自分を見失えば、学びも止まる。お前が踏み出そうとしているのは、そういう道だ」

 騎士という道を選べば、立ち止まることは許されない。
 それなら、なにも選ばなければ、止まれるのだろうか。

「……もし、選ぶことをやめたら。学ぶことをやめて、全部止まったら、どうなるの?」

 恐る恐る、ロアは問いかけた。
 まるですべてを知るという時の魔女に、自分の行末を問いかけるように。

「どうなると思う?」

 頭の中では言葉にならないものが、なにかを告げている。

 生きていれば、どうにかなる。
 そう言い聞かせて、今日も一日が終わる。

 楽しいと思えることは、なにひとつ思い出せない。
 それは本当に生きていると言えるのだろうか。

 変わりたいと思いながら、なにもしなかった今日。
 明日もまた、気を使って、やり過ごすだけの一日。

 ――選ぶことをやめたら。その問いの答えを、私はもう知ってる。

「他人に流されて生きていくだけだ」

 リディアの放った言葉は、ただの事実だ。

 どんな選択をしようとも、生きることは楽ではない。
 楽に見える道は、ただ自分で選ばなくていいだけだ。

 リディアはページをめくる手を止めて、しっかりとロアの目を見た。

「正解を問うな。絶対的な正解など存在しない。選び続ける人間に必要なのは、自分の選択を正解にする力だ」

 リディアは本を閉じ、静寂を手放した。
 議論は終わった。彼女がそう告げていることは明確だった。

 今まで限定的な世界に閉じ込められていたのかもしれない。
 視界が開けたような、緊張の糸がほどけたような、そんな感覚だった。

「今日はここまでにしよう。問いを止めるなよ、ロア」

 その言葉を最後に、出入口の扉が閉まる。
 リディアが去った部屋の中は、ひどく閉鎖的に思えた。

 いつ陰ったのか。太陽は雲の裏側に隠れたらしい。

 ロアは殻に籠もったような部屋の中で、ソファに身体を預けてぼんやりと本棚を眺めた。

 ――正解を問うな。絶対的な正解など存在しない。選び続ける人間に必要なのは、自分の選択を正解にする力だ。

 自分の選択を、正解にする。

 ――人は、自分で選び続けなければならない。学ばなければ、選べなくなる。自分を見失えば、学びも止まる。お前が踏み出そうとしているのは、そういう道だ。

 選び続けるために、学び続ける。
 学び続けるために、自分を見つめ続ける。

 自分を見つめるって、どうしたらいいんだろう。

 ロアは、自分の感情に耳を澄ませた。

 騎士試験が怖い。
 王都が怖い。
 拒絶されて、なにも掴めない未来が怖い。

 なぜ、こんなに怖いのか。

 一度目の人生で経験した、面接試験。
 評価され、値をつけられ、切り捨てられる場所。
 魔法が使える人間ばかりの中に、放り込まれる感覚。

 ロアは曇った気持ちを少しでも外に押し出そうと、息を吐き切った。
 今日はとても、重たい一日だ。

 運動と心の動きの共通点を見つけて。
 自分の才能を見つめて。
 自分の弱さを突きつけられて。

 ロアはずるずると背もたれを滑り降りて肘掛けに頭を乗せる。

 ――呼吸が深くなるということは、心の動きが落ち着くというわけである。

 図書館で読んだ本の一節を思い出し、ロアはゆっくりと息を吸って、それから吐き出した。

 何度かそれを繰り返していると、取り巻いていた霧は少し収まったように思えた。

 選ばなければ、昔の自分に逆戻りしてしまう。
 だけど、選ぶことが怖い。

 どちらも苦しいなら、どちらを選べばいい?

 ――走ると心臓の音が大きく鳴る。すなわち、血流が促進されるのである。

 別の一節を思い出し、ロアは立ち上がった。
 走る元気はない。だけど、気分転換に少し歩きたい。

 ロアは扉を開けた。

 シェルと彼の従者が廊下を歩いていた。二人はロアに背を向けていて、気付かない。
 シェルはルイスとの図書館での遊びを切り上げたようだ。

「今日のご飯なにー?」
「本日は肉料理をご用意しております」
「やったー。楽しみにしてるって、シェフに伝えて」

 〝シェフ〟という言葉が、すらりと出る。
 そんなところが、やっぱり王族だと思った。

 自室に到着したシェルは、従者とともに部屋の中へ入っていく。

 見ていないところでも、シェルはシェルだ。
 そう思って、ロアは思わず笑ってしまった。

 笑ったまま俯いて、床を眺めていた。
 このままではマイナス思考になる。そう思ってロアは、顔を上げた。

 屋敷を出たロアは、薬草畑と小さな家を通り過ぎて、図書館の方に向かった。

 日は少しずつ落ちている。
 家の輪郭が、少しずつ影に溶けていた。

 家畜を小屋に入れた男が家路につき、トアルの村に〝誰も知らない時間〟が流れる。

 みんなそれぞれ、家で家族とのひと時を楽しんでいる。

 どの家からも、夕食の気配が立ちのぼっていた。
 焼いたパンの香りと、遠くの笑い声。

 人間が暮らす気配が、ロアの胸を撫でて通り過ぎていく。

 誰も急いでいない。
 急がなくても、困らない世界だった。

 ――やっぱり、こんな素敵な村で一生を過ごすのもいいんじゃない?

 また頭の中で、誰かが囁く。

 図書館のドアが開いた。
 出てきたルイスは一冊の本を抱えて立ち止まり、夕暮れを眺めた。それから、村を見渡すようにして歩き出した。

「ルイス!」

 ロアがそう声をかけると、ルイスは弾かれたようにロアを見た。

「ロア、どうしたの?」

 ロアは少しためらって、それからルイスに近づいた。

「……私の話、聞いてくれないかな」

 ロアがそう言うと、ルイスは優しい顔で笑った。

「うん。いいよ」

 ルイスはそう言って、展望台を指さした。

「上に行こうか」

 生活の気配を横切って、二人は展望台に上った。

 展望台は、トアルの村全体を見下ろせる。