虫めずる姫のナゾときレシピ

 呼び出されたわたしは、ドキドキしていた。
 マッシュウルフにした明るい色の髪。背が高くてかっこいいけど、ちょっと威圧的な感じの男子。眉間にしわを寄せて、長い前髪からにらみつけているように見える。
 だけどそれ以上に気になるのは、私はこの人のことを全然知らないのに呼び出されたってこと。

 もしかして、わたしが忘れているだけとか? そう思ってスリッパを見た。

 スリッパは、二年生を意味する緑色。つまり先輩。
 甲の部分に名前を書く場所があって、そこには『功力』と書いてあった。読めない。

「『くぬぎ』と読むんだ。功力国広」

 わたしの視線に気づいた先輩が答える。
 くぬぎ。
 その言葉に、私はハッと思い出した。

「もしかして、『くぬぎカフェ』の方ですか?」

 わたしがたずねると、「そうだ」と先輩が返す。


「やっぱアンタだったんだな。『虫めずる姫』って呼ばれていたのは」


 私は心の中でずっこけた。
 虫好きがこうじてつけられたそのあだ名、知らない先輩にも届いているなんて。

「で、『虫めずる姫』」
「上白こはくです。くぬぎ先輩」

『姫』を連呼される前に、わたしは自分の名前を伝える。
 というか、やっぱり初対面だよね。いや、『くぬぎカフェ』で会っているかもしれたいけど、わたしは認識してなかったし、先輩もわたしの名前を知らなかった。
 どうして呼び出したんだろ、と思っていると、先輩から「あの時の礼だ」と手提げの紙袋を渡された。紙袋には、『くぬぎカフェ』とロゴが印刷されている。

「アンタ、アレルギーは?」
「ないですけど……え、お礼?」

 先輩にお礼されるようなことしたっけ? 頭の中でクエスチョンマークが飛びかう。

「先週の土曜日、うちの店に来ていただろ」

 そん時――と、先輩のことばを聞きながら、わたしは記憶をふりかえった。


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 ――わたしこと上白こはくは、中学校に入るタイミングでこの町にやってきた。
 この空振町にある『シュガーストリート』と呼ばれる通りには、たくさん美味しいお菓子のお店が並んでいて、そこを探索するのが最近の日課。
 そしてその日、はじめて『くぬぎカフェ』に入った。
 お茶もケーキもとってもおいしくて、また来ようとレジカウンターに並んだとたん。


『スズメバチだ‼』


 苦味あるコーヒーの匂いといっしょに、叫び声が店内に響いた。
 テラス席が見えるテーブル席の前で、振り払おうとする女性のお客さんと、ブンブンと羽音を大きくたてながら飛ぶハチ。
『スズメバチ』ってことばで周りはパニック。その場から逃げようとする人、叫ぶ人、壁際に立ってハチを警戒する人。

『振り払おうとしないで! 興奮させてしまう!』
『おい、殺虫剤持ってきたぞ!』

 喫茶店のマスターの声と同時に、男の子の声が飛んでくる。
 わたしはレジカウンターから離れ、テラス席につながるドアを開いた。
 ハチは女性から離れ、大きな丸を描くように店内をぐるっと飛び始める。
 何人かの小さな悲鳴が聞こえたためか、マスターが殺虫剤を構えはじめた。

『使わなくて大丈夫ですよ』

 わたしがそう言ったとたん、ハチはまっすぐとこちらへ向かってきた。
 ハチが外へ飛び去って行ったのを確認して、わたしはぱたん、とドアを閉めた。

『お会計お願いします』
『…………あ、はい!』

 シーンと店内が静まる中、一番早く動いたのはマスター。
 わたしはお金を払った後、『おいしかったです、ごちそうさまでした!』って言って、お店を出たんだった――。


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 ……もしかして、ハチを追い出したお礼?
今日は金曜日。あれから一週間が経っていた。

「一週間も探してくれたんですか? お礼されるようなことじゃないのに」
「あの時、つい最近スズメバチに刺されたお客さんがいたんだ。もう一度刺されたらアナフィラキシーショックで死んでもおかしくなかったし、アンタだって危険だっただろ」

 その言葉で、ああ、とわたしは納得した。
 そう言えばあの時、『スズメバチだ』って叫んだ人がいた。あのハチをスズメバチだと勘違いしていたんだ。

「あれはスズメバチじゃないですよ。クマバチです。藤の花によく来るハチですよ」

 わたしがそう言うと、先輩はきょとんとした。

「……一緒だろ」
「一緒じゃないですよ⁉」

 わたしはあわてて訂正する。

「クマバチのオスは繁殖期のこの時期、メスを追いかける習性があるんですが、動いているものなら人間でも車でも追いかけちゃうんです」
「なんだその人違いなストーカー気質は⁉」

 先輩が大きな声をあげる。

「……悪い、大きな声を出した」

 ビックリしたわたしを見て、バツが悪そうな顔をする先輩。

「いえ、先輩ってツッコミを入れられる方なんだなって」
「そこかよ」
「とにかく、この時期人に近づくのはオスだけで、オスには針がないので大丈夫ですよ。安心してください」

 わたしがそう言うと、先輩は「そうか」とちょっとホッとする。

「あ、メスは毒は弱いけど、すごく太い針を持っていて、刺されるととても痛いらしいです」
「安心しろと言ったあと、すごく不安になる話を入れてきたな」
「一応言っておいた方がいいかと思いまして……」

 この先輩、レスポンスというか、反応がいい。もうちょっと素っ気なくて怖い人だと思ったけど、あんがい面白い人なのかも。

「……とにかく、どんなハチであれ助かった」

 先輩はグイ、と紙袋を突き出した。

「もらってくれ」
「じゃあ、ありがたくいただきますね」

 わたし的には大したことはしてないんだけど、ずっと探してくれたのに断るのも悪いし。
 何よりまたあのお店のケーキを食べたくなった。

「とってもおいしくて、また食べたいって思ってたのでうれしいです」

 気持ちを素直に伝えると、先輩はちょっとこまった顔をした。

「……期待はずれじゃないといいんだがな」






 紙袋を開けると、その中には手のひらサイズの個装されたケーキが入っていた。
 シールには大きく、『ポティツァ』と書かれている。多分カットされてるんだろう。断面はロールケーキみたいにぐるぐるしていた。
 口に入れると、ふわふわでやわらかい甘い生地。やさしいはちみつの甘さの中に、くだいたクルミの感触が楽しい。次から次へと手が伸びたくなるおいしさだ。

「こはくん、なんか食べてんじゃん」

 ココっぺが、ニヤニヤ笑いながら言った。校則でお菓子は(一応)持ち込み禁止。
 と言っても、みんなあんまり守ってないし、この『みどり教室』はさらにゆるいけどね。

『みどり教室』。別室登校をする子たちの教室。
 出席番号が近くて仲良くなったココっぺは、学校にいる間、教室じゃなくてここで時間を過ごしている。
 だからお昼休みとか放課後とかに遊びに来てるんだ。いない日もあるけどね。

「ココっぺも食べる? まだあるし」
「OK、先生には黙ってあげよう」

 ためらいなく紙袋に腕をつっこむココっぺ。判断が早い。

「ってかこれ、『くぬぎカフェ』の紙袋じゃん?」
「うん。くぬぎ先輩にもらったんだー」
「功力くん⁉」

 わたしたちのそばを通りすがっていた三年の先輩が、血相変えて乗り出した。

「は、はい。……もしかして有名人ですか?」
「有名もなにも、『スイーツ王子』じゃない!」

 そのことばに、わたしはちょっと苦笑い。
 わたしが知る限り、この学校で『王子』というあだ名がついているのは、これで二人目。ちなみに『姫』はわたしを入れて三人。この学校、高貴な方々が多すぎないかな。

「功力くんはおいしいお菓子屋さんのことを網羅してるのよ! その情報は仕事と人生に疲れた先生たちも喉から手が出るほど! 功力くんが提出した去年の自由研究『おいしいスイーツ一〇〇選』は、先生たちの中でオークションにかけられて図書室の先生がゲットして展示されてるわ! まさに『スイーツ王子』ってわけ!」

 熱意をこめて話した先輩は、そのままケーキをうばって去って行った。

「……先生たちの心身が心配だなあ。」
「んで、なんでこはくん、くぬぎ先輩と?」

 ココっぺに言われて、わたしは先週のことを話す。
「なーるほど、さすが『虫めづる姫』」ニヤ、とココっぺは笑った。

 どうやら自分の経験上、この学校では『王子』や『姫』は外見で選ばれるわけじゃないみたい。いわゆる『エキスパート』と呼ばれる人たちに対してつけられているよう。
 でもまさか、初対面の先輩にまで呼ばれるとは思わなかったな……。

「もー。そのあだ名、ココっぺが広めたんじゃないよね?」

 以前わたしが「『虫めずる姫』って呼ばれたんだけど」と相談した時、ココっぺが「あー、『堤中納言物語』のやつね。『ナウシカ』の元ネタになった」ってすぐに返してきたのを思い出す。その時初めて、このあだ名が古典を元ネタにしたものだと知った。

「してないって。うちはわざわざ性別つけて人を呼ぶの好きじゃないし」
「まあ、そうだね」
「仮につけたとして、うちにそんな拡散力あると思う?」

 両手を広げて、ちょっと自嘲げに笑うココっぺ。「ネクラで陰キャでコミュ障なオタク」がココっぺの自己評価だ。
 デジタルに強くて、文学や歴史にもくわしい。本人は「全部ゲームとかマンガからだけどね」って言うけど、ココっぺこそ何かあだ名がついていてもおかしくない。
 なんて思いながら、破った個装を見る。
 二人で食べたから、残りはもう無い。さっき食べたばかりなのに、また食べたくなっちゃった。

 明日、『くぬぎカフェ』に食べに行こうかな。