大正異能譚─花は遅れて咲く─


 
 軍部との対立、そして詩乃の母親である、霧ヶ原咲良の秘密が露呈して以来、黒峰邸の空気は張り詰めていた。朔也は、詩乃の異能の不安定化と外部からの執拗な監視を受け、邸の警護を極限まで強化した。

 結界は幾重にも張り巡らされ、一匹の虫さえも無断で侵入できない威厳態勢となっていた。朔也は、その日の執務を全て片付けると、詩乃を自室に呼び寄せた。彼の瞳は、かつてない程鋭く、そして熱く燃えていた。

 「詩乃、軍部、そして謎の“桜の異能者”この2者が、お前の母親、咲良の遺した“鍵”を追っている。この鍵は、お前の異能の真実、そしてお前の命の危険に関わるものだ」

 詩乃は、静かに朔也の言葉を聞いていた。彼女の心は恐怖よりも、愛する朔也様の負担になりたくないという切実な思いで満ちていた。

 「朔也様。私は、朔也様を信じています。私は、1日でも早く桜の力をコントロールできるように頑張ります。そして、私は朔也様のことをこの光で支えることが出来るようになりたい。私の存在が朔也様の足枷になることは望みません」

 朔也は、その決意を受け止め、詩乃の額に深く口づけを落とした。

 「俺もお前に誓う。必ず守ると誓おう。この先、お前のことも巻き込むことになるが、必ず守り抜く。お前は俺の光だ。俺の足枷なわけがないだろう。むしろ、俺の命そのものだ」

 朔也は、軍部と桜の異能者の動向から、両者が追っている“鍵”は詩乃の母親についての真実を記した物理的な記録であると推測した。彼は、この鍵を軍部の手に渡すわけにはいかなかった。

 彼は、異能討伐部隊の裏ルートを駆使して、桜の異能者が次に現れる可能性の高い場所を特定した。そこは、咲良が花守維信と結婚する前に住んでいたと推定される、霧ヶ原の最後の活動拠点に近接した、都心から遠く離れた山中の廃墟だった。

 夜半、朔也は、炎の異能を最低限に抑え、少数の精鋭護衛のみ連れて黒峰邸を出発した。彼は、自らの炎の力を最大限に生かし、追跡者ではなく追跡対象となることで、軍部の監視網を欺くことを選んだ。この選択は、彼自身の命を懸けた隠密行動を意味した。
 
 山中へと向かう途中、朔也は、早速軍部の監視網と接触した。それは、異能庁の管轄外にある、軍部が独自に設置した異能監視部隊だっ。彼は、朔也の炎の波動を警戒し、遠巻きに監視を続けていた。
 
「チッ、しつこい」

 朔也は、山道の奥で待ち伏せていた就任の異能者に対し。怒りを込めた炎を一瞬だけ、解放した。

 それは、対象を焼き尽くす炎ではなく、熱波による威嚇と結界の破壊に特化された炎の波動だった。山道全体が熱で歪み、軍部の監視異能者たちは悲鳴を上げてその場から逃走した。朔也の異能は、相手を殺さずとも、その精神を完全に叩き潰すことが出来るほどに強大だった。

「当主様、殲滅されなくてよろしいのですか?」

 護衛の一人が尋ねた。

「無駄な血を流す必要はない。彼らの目的は、俺の行動を報告をすることだけだ。そして、俺の目的は軍部よりも先に、真実に辿り着くことだ。彼らには俺が何を得たのかを悟らせたくない」

 朔也は、夜闇の中を異能の波動を辿りながら突き進んだ。彼の思考は、常に最速で、最も合理的な道を選んでいた。彼の行動の全てが、詩乃を守るという絶対的な目的のために動いていた。彼は、この調査が詩乃の出生の秘密だけでなく、黒峰家の未来にも関わることを深く理解していた。

 霧ヶ原家の最後の拠点とされる廃墟は、何十年も放置された洋館だった。結界も施されず、ただ時間が止まったかのような、静寂に包まれていた。その洋館の建材には、古き良き異能家系が持つ、特殊な異能抑制の素材が使われていることが、朔也の炎の感覚で即座に理解できた。

 朔也が廃墟に到着した時、周囲の空気はすでに激しい異能の残滓で満ちていた。それは、彼の炎の熱とは異なる、風のような切り裂く力と、鎮魂の光とは異なる桜の生命を活性化させる力。

「遅かったか……」

 朔也は、建物の中に入る前、冷静に分析した。

 床には、真新しい戦闘の痕跡と、微かな紫堂煌牙の異能の残滓が残されていた。その残滓は、以前よりも緻密で、より強力な結界術を使用した後であることが窺えた。

「やはり、煌牙か。あの男は、軍部、桜の異能者、そして俺たちの間で、情報という駒を弄んでいる。しかも、力を増している」

 煌牙が、裁きを受けてもなお、詩乃の異能の秘密に執着し、情報戦争に介入していた事実は朔也の警戒をさらに強めた。煌牙は、軍部にも桜の異能者にも完全には与せず、自身のために動くトリックスターとなっていた。

 彼の目的は、恐らく霧ヶ原の異能の力を手に入れ、再び異能界の頂点に立つことだろう。そして、詩乃の力が狙われている可能性も朔也は考えたいた。

 廃墟の広間には、激しい異能の衝突によって、壁や家具が粉々に砕かれていた。その戦いの中心には、桜の花弁のような淡い虹色の異能の痕跡が残されていた。この桜の異能者が、軍の残党、あるいは煌牙と交戦し、先に何かを手に入れた可能性が高い。

 朔也は、炎の光で周囲を照らしながら、床の破片や壁に残された痕跡を徹底的に調べた。彼の目は、戦闘の跡ではなく、桜の異能者が意図的に残したであろう手がかりを探していた。彼女は、何かを隠蔽する代わりに、何かを残していったのではないか、と朔也は考えていた。

 そして、彼は、暖炉の残骸の影に、不自然に欠けたレンガの跡を発見した。レンガは、外部の異能ではなく、内部から強い衝撃で砕かれていた。レンガを炎で溶かし、その奥に隠されていたものを取り出す。

 それは、煌牙や桜の異能者が探していた“鍵”そのものではなかった。手のひらサイズの古びた木製の箱だ。箱を開けると、中には古い地図の断片と、暗号化された文字が羅列された 羊皮紙が入っていた。羊皮紙は、非常に古く、特殊な樹液で防腐処理が施されていた。

「これが、鍵の場所を示す手がかりか」

 朔也は、それが霧ヶ原咲良の残した、真実への道を示すヒントであることを直感した。この手がかりは、彼女の異能に関する秘密について、そして詩乃の異能の変異の秘密に繋がる真実が残された記録または、全てを記したものが隠されている場所を示すものに違いない。彼は、羊皮紙の暗号を指でなぞった。その複雑な記号は、異能界の歴史の中でも、古い軍部の機密暗号に酷似していた。

「やはり、当時の軍部が関わっている。そして、咲良は、その暗号を知っていた」

 朔也は、廃墟から立ち去る前に、炎の波動で周囲の異能の痕跡を全て焼き尽くした。これにより、煌牙や軍部が再びここへ来ても、彼が何を手に入れたのかを悟らせないようにした。彼は、木製の箱は処分し、中身の羊皮紙と地図の断片だけを厳重に懐に収めた。

 黒峰邸に戻ったのは、夜明け前だった。邸の結界をくぐり、朔也は静かに詩乃の離れへと向かった。詩乃は、朔也の帰りを、眠らずに待っていた。彼女の顔には、安堵と緊張、そして朔也への強い心配が混ざり合っていた。

 「朔也様!」

 詩乃は立ち上がり、朔也の元へ駆け寄る。彼女の瞳は、彼の無事を確かめるように、細部まで見つめていた。

 朔也は、疲労の色を隠しながらも、優しく詩乃を抱きしめた。

「ただいま、詩乃。心配をかけたな」

 詩乃は、抱きしめた朔也の背中に、炎とは異なる、戦闘で負った小さな擦り傷があることに気づいた。彼女はすぐに、鎮魂の光を彼の傷口に集中させ、優しく癒し始めた。彼女の光は、疲弊した朔也の魂にも、穏やかな安らぎを与えた。

「怪我は大したことないとおっしゃいますが、無理はなさらないでください」

 詩乃は言葉を選びながら、朔也の体を気遣った。

「大したことはない。お前の光がすぐに治してくれる。それよりもこれを見ろ」

 朔也は、懐から取り出した古い地図の断片と暗号化された羊皮紙を、詩乃の前に広げた。羊皮紙の文字は、薄い青色のインクで書かれており、どこか詩乃の睡蓮の光を思わせる色だった。
 
 詩乃は、地図の断片と暗号に目を凝らした。それは、彼女の知識では到底解読できない、異能界特有の古い暗号だった。

「朔也様、私には、これが何を意味するのか、わかりません」

 詩乃は不安に顔を曇らせた。この暗号の向こうに、自分の母親の悲しい真実があることを、本能的に察していた。

「しかし、必ず解読できる。お前には、花嫁修行で得た教養がある。黒峰家の歴史と異能界の裏側に精通したお前なら、この暗号に隠された意味を読み解けるはずだ。そして、この暗号には、お前の母親の魂の波動が残っている。お前なら、この暗号に共鳴できるかもしれない」

 朔也は、詩乃の知性と、彼女が持つ霧ヶ原の血筋をの力を信じていた。この暗号は、当時の軍部暗号に酷似しているが、どこか女性的な優しさを帯びた装飾が施されていた。

「朔也様が、私の知識を必要としてくださるのですね」

 詩乃の目には、決意の光が宿った。彼女は、この暗号を解読することが、朔也様の重荷を分かち合い、真の伴侶となるための試練だと感じた。

「もちろんだ。俺の炎だけでは、この闇は晴らせない。お前の光と、その知恵が必要だ。お前の光は、真実を映し出す鏡となり得る」

 朔也は、詩乃の強力を受け入れたが、彼女がこの暗号を解読するということは、真実の深淵に最も近づくことなるのを意味していた。彼は、詩乃傍に置きながら、危険が増すことに警戒を強める。

 二人の神婚への道のりは、今、謎解きという新たな試練と、桜の異能者という未知の脅威、そして煌牙の暗躍という複雑な権力闘争の渦に巻き込まれ始めたのだった。二人は、固く手を取り合い、夜明けの光が差し込む執務室で、暗号を記した羊皮紙を広げた。