婚約届が異能庁に受理されてから、数週間が経った。
 
 詩乃の日常は、穏やかで愛情に満たされていた。花嫁修行は順調に進み、慣れない教養の学習も、朔也が傍で根気強く指導してくれるおかげで、着実に身についていた。

 特に、朔也との夜の異能訓練は、詩乃にとって、最も安らぎを感じる時間だった。訓練と称しながら、朔也は常に詩乃の力を“鎮める”こと、そして“守る”ことに焦点を置いていた。

 「俺の炎に心を奪われるな。お前の光は、お前自身の清らかさから生まれるものだ。それを忘れないように」

 朔也は、詩乃が少しでも疲弊すると、すぐに訓練を打ち切った。彼の異能は強大な破壊力を持ちながら、詩乃に対しては常に細心の注意を払って制御されていた。彼にとって、詩乃の存在そのものが、その荒々しい力を制御する唯一の楔となっていた。

 詩乃は、朔也の深く、揺るぎない愛に包まれながら、自身の光がただの異能ではなく朔也の命そのものと結びつていることを理解していた。

 「朔也様。もし私が、この光を失ったら……」

 ある夜、詩乃が不安を口にすると、朔也は彼女を強く抱きしめ、首筋に顔を埋めた。

 「失うはずがない。お前の光は、俺の魂そのものだ。だが、万が一、お前が光を失うようなことがあれば……俺は、この世の全てを焼き尽くしてでも、お前を取り戻す。それが俺の愛だ。」

 その冷徹な言葉は、詩乃の心を再び震わせたが、それは同時に、彼の愛が絶対的であることを示していた。二人の間に、外の世界の影が入り込む余地はどこにもないように思えた。

 しかし、黒峰家の結界がどんなに強固であろうと、朔也が率いる異能討伐部隊、そしてその背後に存在する軍部上層部の目は常に異能界の動向を監視している。彼らが、花守家の消滅と、その裏で起きた禍神の“浄化”の事実を見逃すはずがなかった。

 ある午後の訓練後、朔也の執務室に、異能庁を通して公式の会談の要請が届いた。要請者は、異能討伐部隊の最高顧問であり、軍部中枢の権力者である“大佐”だった。

 「大佐殿から、ですか」

 朔也は、書状を手に取ると、感情の見えない目でそれを焼き捨てた。

 「厄介な連中だ」

 「朔也様、軍部からの正式な要請を破棄されるのですか?」

 付き添いの執事が、顔を青ざめさせて尋ねた。

 「あの男が、わざわざこの黒峰邸に接触を求めてくる目的は1つしかない。詩乃の力だ」

 朔也の視線が、ふと庭園で花に水をやっている詩乃へと向けられた。

 軍部は、異能討伐において、圧倒的な破壊力を持つ朔也の炎を最大限に活用してきた。だが、彼らが真に求めているのは、炎よりも扱いやすく、より戦略的価値の高い異能だった。禍神を“破壊”するのではなく、負のエネルギーごと“浄化”し、消滅させる詩乃の『鎮魂の光』は、軍部にとって理想的な兵器となり得る。

 朔也は会談を一度は拒否したが、大佐は翌日、異能庁の重鎮を伴い、半ば強引に黒峰邸の結界内に足を踏み入れた。

 朔也は、詩乃を自室に留め、一人で応接間に向かった。

 応接室には、厳しい制服に身を包んだ大佐と、異能庁の長官が座っていた。大佐の目は鋭利な刃物のように冷たかった。
 
 「黒峰当主。お時間をいただき恐縮です。本日は、あなたの婚約者、花守詩乃殿の能力について、公式にお話しさせていただきたい」

 大佐は、恭しく、しかし有無を言わせぬ圧力を持って切り出した。

 「お断りする」

 朔也の返答は、即座で、冷酷だった。

 「当主。これは、この国の異能秩序の安定に関わる重大な要請です。花守家の件で、我々は彼女の異能が、討伐よりも遥かに効率的な“浄化”の力を持つことを確認しています。彼女の力は、この国全体のために活用されるべきでしょう」
 
 長官が、眉を顰めて朔也を諭した。

 「活用、か。貴様らは、詩乃を人として見ていないな。貴様らのいう活用は、彼女を前線に出し、禍神を片っ端から浄化させる気だろう。今、この国で浄化できるのは詩乃だけだ。つまり、貴様らは、詩乃に国のために命を削れと言ってるようなものだ。彼女が禍神、1個体を浄化するのにどれだけの消耗をするかをわかっていない。俺の婚約者を、貴様らの都合の良い、使い捨ての道具にするつもりか」

 朔也の周囲の空気が、急激に熱を帯び始めた。室温が上がり、ガラス窓が微かに軋む。

 大佐は、その威圧感に怯むことなく、冷笑を浮かべた。

 「当主。あなたの力は破壊に特化しすぎている。殲滅力は認めますが、制御不能だ。我々は、あなたの婚約者に軍属の地位を与え、国のためにその力を管理したいだけだ。彼女の安全は、軍部が保証する」

 朔也は鼻で笑った。

 「保証?ふざけるな。管理という言葉を使っている時点で貴様らは、詩乃を兵器としてしか見ていない。そんな奴らの言葉を信用するわけがないだろう。詩乃は異能者である前に、俺の愛する未来の妻だ。」

 朔也はさらに、続けた。

 「俺の炎が、この世で最も危険な力だと貴様らはいう。だが、俺にとっては、詩乃こそが、最も尊い誰にも触れさせてはいけない存在だあり絶対に穢してはならない唯一の光だ」

 大佐が、怒りに震えて声を荒げる。

 「彼女の力は、国のために使って当たり前だろう。国が所有し管理すべきものだ」

 その、詩乃の意思を考えない、人間として見ていない発言は朔也をさらに怒らせ、応接間のテーブルに朔也が手を置いた瞬間にその上質な木材が音もなく炭化し煙が立ち上がった」

 「貴様らが彼女の力に目をつけ、使用しようとしていることは承知している」

 朔也は、一歩大佐に詰め寄り、その冷たい瞳を見据えた。

 「聞け、大佐。花守詩乃は、俺の愛する唯一の女性であり、俺の魂の対となる存在だ。彼女の光は、俺の許可なく、一滴たりとも使わせない。これが、黒峰家の絶対的な意思だ」

 朔也は、自分の異能を最大限に解放した。応接室全体が、灼熱の熱波に包まれ、大佐の制服の生地が焦げ始める。長官は恐怖に震え、立ち上がることさえできなかった。

 「貴様らに、俺の婚約者を兵器として利用する資格も、能力もない。手を引け。そうでなければ、俺は異能討伐部隊を退任する。俺の力も一切使わせない。それから、次に黒峰邸の結界に無許可で触れたものは、この炎で塵と化すと心得ろ」

 朔也の炎の力が兵器として使えなくなるのは軍として大きな痛手になるため、大佐は引き下がるより他になくなり、初めて大佐は明確な恐怖を顔に受けべ、長官と共に一目散に、邸から退散していった。

 静寂を取り戻した執務室で、朔也は深く息を吐いた。彼の顔には、疲労よりも、自身が守るべきものを侵された怒りが残っていた。

 その時、廊下から詩乃がそっと入ってきた。彼女は全てを聞いていたのだろう。朔也が部屋を出る際、彼女は部屋の隅に隠れていたのだ。

 「朔也様……」
 
 詩乃は、炭化したテーブルを見て、彼の怒りの激しさを悟った。

 朔也は、詩乃に気づくと、荒々しい炎の力を瞬時に抑え込み、優しく彼女を抱きしめた。

 「怖がらせてすまない。詩乃、もう大丈夫だ。あの連中が、お前に手を出すことは許さない」

 詩乃は、朔也の逞しい腕の中で安心感を覚えたが、同時に、自らの力が再び争いの種となる運命を悟った。

 「朔也様……私は、朔也様の足枷にはなりたくありません。私の光で、朔也様を守りたい」

 朔也は、詩乃の言葉に深く頷いた。

 「わかっている。だからこそ、俺は、俺の唯一の光であり、魂そのものであるお前を誰にも渡す気はない。お前の光は、お前が救いたい、守りたい者のためだけに使えばいい。花守華澄を救った時のようにな。お前の力は強力な分、無闇矢鱈と力を使えばお前自身が壊れていく。それだけは絶対に俺がさせない」

 彼の愛は、徹底的な守護力と、強烈な詩乃への愛情によって裏打ちされていた。

 二人の運命は、公的な誓いを経て、今、新たな時代の権力戦争の渦に巻き込まれ始めたのだった。