境界線

人は、自分がどこまで正常で、どこから危ういのかを、正確には測れない。境界線は、床に引かれた線のように目に見えるものではなく、いつも体の内側にある。眠りの浅さや、言葉の選び方、呼吸の速さといった、取るに足らない変化として現れるだけだ。その春、私の日常は、表面上は何も変わっていなかった。
作業所に通い、決められた作業をこなし、帰宅して食事をとる。時計を見て、薬を飲み、眠る。繰り返しの中に、大きな破綻はなかった。だが、内側では、静かに均衡が崩れていた。些細な出来事が、必要以上に気になる。偶然が続くと、理由を探したくなる。沈黙が長引くと、そこに意味を与えたくなる。誰かの言葉や、音楽の一節、テレビの画面に映る表情が、自分に向けられているような気がして、視線を逸らせなくなる。私はそれを「考えすぎ」だと片づけようとした。だが、考えすぎているという自覚そのものが、すでに境界に近づいている証でもあった。真子は、何もしていない。この事実を、私は何度も自分に言い聞かせた。彼女は、ただ同じ空間にいて、必要な言葉を交わし、帰っていくだけだ。特別な視線も、含みのある態度もない。それでも私は、彼女の存在を軸にして、自分の内側の揺れを説明しようとしていた。説明できない不安に、名前を与えたかったのだ。その頃の私は、「記録」をつけていた。冷静さを保つため、体調や気分、出来事を書き留める。客観的でいようと努め、感情を直接書かないようにした。だが、今振り返れば、それは冷静さのためではなかった。思考を固定し、不確かな感覚を「正しいもの」に変えるための作業だった。書くことで、揺れを抑えているつもりで、実際には揺れを強化していた。境界線は、越えた瞬間に分かるものではない。越えたあとで、振り返って初めて気づく。あの時、立ち止まることもできたのだと。私は、まだ完全には越えていなかった。だが、片足が線にかかっている感覚は、確かにあった。だから私は、意識的に動きを減らした。連絡の頻度を抑え、外に意味を探さない。分からないことを、分からないままにしておく。確信を持たない。何かを「運命」や「必然」と呼ばない。それは、希望を捨てることではない。自分の世界を、自分の手の届く範囲に留めるための選択だった。境界線を守ることは、臆病さではない。
それは、生き延びるために身につけた技術だ。私は、もう一度壊れることよりも、何も起こらない一日を選ぶ。その選択を、弱さだとは思わない。作業所の帰り道、夕方の空は低く、色を失いかけていた。風が吹き、木々が音を立てる。世界は、こちらの内側の事情など関係なく、淡々と続いている。その事実が、今の私には救いだった。境界線のこちら側に立ち、私は呼吸を整える。踏み出さないことも、前進だ。壊れない速度で、今日を終える。それが、今の私にできる、精一杯の再生なのだ。