過去

私は昔、世界を疑わずに生きていた。努力は報われるものだと思い、選び続ければ正しい場所に辿り着けると信じていた。自分が特別だとは思わなかったが、取り残される人間でもないと、どこかで思っていた。東京に出たのは、逃げるためではなかった。少なくとも、そのつもりはなかった。人の多さ、速度、無数の選択肢。そのすべてが、こちらを試しているように見えた。怖さよりも、期待のほうが勝っていた。最初のうちは、確かに手応えがあった。仕事は忙しかったが、評価される場面もあった。人間関係も、表面上は問題なく回っていた。褒め言葉を疑わずに受け取り、うまくやれている自分を、そのまま信じていた。だが、少しずつ歯車がずれ始めた。冗談が冗談に聞こえない日が増え、何気ない視線や言葉が、必要以上に心に引っかかるようになった。理由は分からない。ただ、説明できない違和感だけが残った。私はそれを疲れのせいにした。立ち止まれば負けだと思っていたからだ。ある頃から、頭の中が静まらなくなった。無関係な出来事が結びつき、偶然が意味を持ち始める。世界が、自分に向かって何かを語りかけているような感覚。その線が正しいかどうかを、確かめる余裕はなかった。怖さはあった。だが同時に、高揚もあった。自分だけが何かに気づいているような、危うい確信があった。それが誤りだと分かるまで、時間はかからなかった。仕事は崩れ、人は離れていった。説明しようとすればするほど、言葉は空回りし、距離は広がった。理解されたいという気持ちが、逆に孤立を深めていった。気づいたとき、私は静かな場所にいた。決められた時間、決められた行動。過剰に意味を考えなくていい空間で、ようやく自分が壊れていたことを知った。
戻りたいとは思わなかった。戻れる場所が、もうないことも分かっていた。それでも、生活は続いた。派手さのない日々の中で、私は世界との距離を測り直すようになった。確信を持たない。急がない。意味を与えすぎない。それらはすべて、生き延びるために覚えたことだ。そうして形作られたのが、今の私である。だから私は、真子という存在に慎重になる。過去の私は、意味を信じすぎた。今の私は、それを恐れている。彼女に向ける感情が何であれ、私は立ち止まる。
 一歩進む前に、足元を確かめる。それは臆病さではない。壊れないために、身につけた癖なのだ。