こじらせCEOと駆け引きができない女社長の不器用な恋の物語(1話からの長編 準備中)

 シャワーを浴びてTシャツに着替えた遥は、一瞬すっぴんでいいのか迷ったが、どうでもいいやと開き直った。
 19時近くになるとようやく窓の外が夜景に変わっていく。
 レストランですか? と聞きたくなるほどの料理に、きっと高いであろう赤ワイン。
 こんな景色を見ながら、こんなに素敵な料理を口にしながら、着古したTシャツというアンバランスな状態が遥には滑稽に思えた。

「どうした? 口に合わないか?」
 目の前の男はただの黒いTシャツを着ていても逞しさが滲み出ていて、ワインを持つ姿は優雅で、こんな場所に住むことができて、なんでも持っている男。
 
 そして私は会社の経営が苦しくて、社長という肩書だけ。
 人脈も人望もあるわけがなく、経験もノウハウもなにもない。
 自分の無力さが本当に嫌になる。

「売り上げを倍にする計画は立てたのか?」
「まだよ」
 今日も2社と取引終了。
 倍にするどころか、現在の売り上げを維持することだって難しい。
 今のままではどんなにがんばっても、きっと倍にはならないだろう。
 遥はグラスの中の渋いワインを飲み干した。
 
「……どうせ足りないわよ」
 どうしよう。お酒を飲んだのが久しぶりだから、もう酔ったのかもしれない。
 こんなこと誰にも言うつもりも、こんなふうに泣くつもりもないのに。

「足りない?」
「九十九だから、百までひとつ足りていないのよ!」
 なにをやっても自分はダメなんだと、遥は溢れ出てきてしまう涙を色気もなく手のひらで拭いながら俯いた。

 劣等感。
 今の感情に名前を付けるとしたらこの言葉が適切だろう。
 遥は情けない自分に落ち込み、グッと唇を噛んだ。

 ワインなんて飲んではいけなかった。
 人並みに飲めるなんて勘違いも甚だしい。
 ワインたった一杯で感情が我慢できないなんて。

「そうか。ひとつ足りないのか」
 面白い発想だと隼人は笑いながら立ち上がった。

「百から一を引いたら白だろ。純粋で真面目なおまえにぴったりだな」
「私のこと何も知らないくせに!」
 勢いよく立ち上がった遥は、足元がふらつく。
 
「おい、大丈夫か?」
 空腹でいきなり飲んだだろうと小言を言われながら支えられた遥は、泣きながら隼人にしがみついた。
 
 父が亡くなってすぐ、遺言状に従い会社の株を引き継いで筆頭株主になり、社長になった。
 親族や株主たちに業績を問われ、父の保険金ですべての株を買い取ったが、この先の収入が見込めなければ倒産せざるを得ない。
 父が長年積み重ねてきた業績はあっという間に落ち、そろそろ実家も売らないとみんなに退職金の支払いができそうにない所まで落ちてしまった。
 毎日バタバタで、酒を飲む余裕もなく、独学で経営について学んだが、書類も税金もわからないことだらけ。
 誰にも相談できず、親族からも見放され、取引先との縁も切れ、なにひとつうまくいかないと、遥は隼人に心の中をすべて話してしまった。

「よくがんばったな」
 抱き寄せてくれる温かい隼人のぬくもりも、座っているふかふかなソファーも、窓の外に見える綺麗な夜景も、すべて現実感がない。
 
 ひとつだけわかったのは、自分が泣き上戸だったこと。
 涙が枯れるまで泣き続けた遥の隣に、なぜか隼人はずっと居てくれた――。

    ◇

 翌朝、いや、翌日の昼過ぎに目が覚めた遥は重い瞼のせいで目が開かなかった。
 今日が土曜日で良かった。
 パンパンに腫れた目で隼人に会うのは気まずかったが、タオルで目を冷やしたかった遥はこっそりと部屋を出た。

「……いない?」
 会ってしまったら急いで顔を隠そうと思っていたのに、隼人の姿はどこにもない。
 ホッとしながら洗面所で濡らしたタオルで片目を押さえながら、リビングのソファーに座った遥は、テーブルに置かれた電子ボードの内容に目を見開いた。

『ロサンゼルスに行ってくる。昨晩の残りが冷蔵庫に入っているから食べておいてくれ』
 
「は? ロサンゼルス?」
 ちょっと近所のスーパーに行ってくるくらいのノリで書かないで。

「……しばらくいないってこと?」
 昨日あれだけ大泣きして、今日会うのは気まずかったが、いないのはまた話が違う。
 ホッとしたような、肩透かしをくらったような微妙な気分だ。
 
 冷蔵庫をあけると、中は綺麗に整頓されていた。
 タッパーが美しく並んだ冷蔵庫に、見知らぬ調味料たち。
 この冷蔵庫だけでも隼人が几帳面だとよくわかる。

 昨日料理をしたにもかかわらず、シンクにもIHクッキングヒーターの上にも何もない。
 昨日の朝ここを案内されたときは料理なんてしないのだろうと思っていたが、毎回綺麗に片づけているのだと知ってしまった。

「私の方が完全に女子力が低い」
 冷蔵庫からサラダとドレッシングを取り出し、タッパーのまま食べながら遥は溜息をついた。
 夜はレンジで温めたスープと、綺麗に切られたローストビーフだ。
 
「なんなの、あの男」
 完璧すぎない?
 仕事ができて、見た目が良くて、料理もできて。
 何か欠点はないわけ?
 
「……一応、慰めてくれた……んだよね?」
 酔っていてあまり覚えていないが、いろいろと愚痴ってしまった気がする。
 恥ずかしいことを言っていないといいけれど。

 遥は静かすぎる広い部屋から現実離れした窓の外の景色を眺めながら、慣れないなぁと呟いた。