こじらせCEOと駆け引きができない女社長の不器用な恋の物語(1話からの長編 準備中)

 案内されたキッチンは御影石。
 バスルームはミストサウナ付き?
 空のように高い場所から見下ろす景色も、ホームシアター付きの広いリビングもテレビの中でしか見たことがない別世界だ。
 
 従業員がたったの28人しかいない中小企業の二代目社長の自分よりも、ベンチャー企業のCEOの隼人の方が裕福なのは気づいていたが、想像以上の違いに遥は愕然とした。
 
「好きに使え」
「あ……はい」
「急におとなしくなってどうした?」
 借りてきた猫みたいだと笑われた遥は気まずそうに隼人を見上げる。

「……私は、何をすれば」
「売り上げを倍に」
「そうじゃなくて!」
 タダで融資が受けられるなんてウマい話があるわけないとわかっている。
 うちのような小さな会社に融資するメリットなんて何もないのだから。

 遥が二代目社長に就任したツクモソフト株式会社は従業員が60人程度の小さな会社だったが、初代社長の父が急逝した途端、将来を不安に思った社員の転職が相次いだ。
 先月までに30人以上が退職し、今月も4人退職予定だ。

 もともと順調な会社ではなかったが、退職金の支払いでまとまったお金が必要になり、経営状況はいっきに傾いてしまった。
 さらに株主総会でも不安の声が上がり、悩んだ末に遥はすべての株を買い取ることに決めた。

 そんなどん底の状態の私に融資の話を持ちかけたのがこの男、間宮隼人だ。

「今日は会社に行かなくていいのか?」
「今から行くわよ!」
 午前中に引っ越してこいと秘書に連絡させたのはあんたでしょ!

「今日は早く帰ってこいよ」
「……は?」
 帰り時間まで監視されるの?

「夕食を一緒に」
「そんなこと契約書には」
「パートナーとして仲睦まじい様子を演じること」
 腕を組みながら口の端を上げている隼人をもし動物に譬えるとしたら黒豹だろう。
 静かに獲物を狙いながら音もなく近づき、いっきに仕留めるのだ。

「……19時までには帰ります」
 うちの会社はこの人の融資がなければ今年中に倒産してしまいそうなくらいギリギリのところまで来てしまった。
 
 父の会社を守るためなら、なんだってやってみせる。
 遥は唇をギュッと閉じながら、隼人の億ションから取引先に向かった。

    ◇

 父の同級生が社長を務める部品工場は、子どもの頃から何度も遊びに来た場所だった。
 金属を削る音、叩く音。
 そして独特な匂いすべてが懐かしい。
 遥は数年ぶりに訪れた部品工場で、ずいぶん年を取ってしまった父の友人に挨拶をした。

「白河さん、こんにちは」
「あぁ。遥ちゃん。ごめんな、優作の葬式に行けなくて」
 肺炎で入院していたのだと白河はほとんどなくなってしまった髪をガシガシと掻く。
 父と同い年なのに、父よりも貫禄がありすぎる白河に遥は首を横に振った。

「急だったね」
「はい。もっとちゃんと教わっておけばよかったです」
 こんなに早く逝ってしまうと思わなかったと遥は工場の天井を見上げる。
 それでもやっぱり落ちてきてしまいそうな涙を遥は慌てて手で拭った。

「会社、大変かい?」
「そう、ですね」
「優作の人柄に惚れて仕事を頼んでいた人が多いから」
 父が亡くなってから取引終了になった会社は多い。
 どこに行っても「優作さんだったから今まで継続していた」と。
 
「ごめんね、遥ちゃん」
 あぁ。白河さんも、か。
 会社のためには「どうかお願いします」とすがり付くべきなのだろう。
 だが、父とのいい関係を私が崩すわけにはいかないと思うと、どうしてもその一言を白河に言うことができなかった。

「新しいシステムはもう決めたんですか? いろいろあるでしょう?」
「息子がね、イマドキはタブレットでちょちょいっとできるやつがいいんじゃないかって」
 チラシが……と白河は近くのテーブルで捜索を始める。

「あ、これこれ。えむえー……、やっぱり横文字はわからんな」
「M-ADC……」
 隼人の会社だ。
 チラシの右上に描かれたロゴマークに、遥は唇を噛み締めた。

 白河の部品工場を出た遥は、もうひとつ別の部品工場へ挨拶に行ったが、その工場でも取引終了を告げられた。
 半年で売り上げを倍にするどころか、どんどん取引先が減っている。
 しかも、取引終了になった工場の次の契約先は、だいたい隼人の会社M-ADCだった。
 
 安くて手軽で操作が簡単。
 特別なものは必要がなく、アプリの更新も自動。
 選ばれる理由はわかるけれど、技術では決して劣っていないのに勝負にすらならない現状がつらかった。

 だが、くよくよしている時間はない。
 遥は軽く自分の頬を両手で叩き、気合いを入れ直した。「遥さん、おかえりなさい。手紙をいくつか社長室に置いておきました!」
「ありがと、ユミちゃん」
 もうすぐ30歳になるユミは今月末で寿退社する。
 彼に会社の状況を伝えたところ、じゃあ結婚しようと言ってくれたそうだ。

「富樫、すごいな。絶対売れるよ、コレ」
「そ、そうかな」
 特許をいくつも申請している我が社のエース、富樫はちょっとコミュ障で初対面の人とは話せない。
 彼には何人ものスカウトが近づいてきたが、そのたびに彼が逃げている姿を見たことがある。
 
「ハルカ、富樫がすごいの作ったから見てやってよ」
「見せて、見せて!」
 営業の佐久間は富樫が作った製品を上手にアピールし、我が社の売り上げを支えてくれている。
 私と佐久間と富樫の三人は同期入社だ。
 大学院卒の富樫は短大卒の私よりも4つ上、学部卒の佐久間は2つ上だけれど。
 彼らがいなかったら、もっと早くこの会社は潰れていたかもしれない。
 
 空席が目立つようになってしまった社内。
 若い子は真っ先に転職していき、転職が難しいベテラン社員が残っている印象だ。
 だが、ベテラン社員には経験も技術力もある。
 まだ巻き返せる。
 まだ大丈夫。
 遥は自分に言い聞かせるように心の中で唱えながら、天才富樫が作った新システムを佐久間と一緒に眺めた。

「……売れるわ」
 富樫が作ったのは部品の在庫の所在や数量はもちろん、発注管理と棚卸機能までついた在庫管理システムだった。
 我が社の取引先は部品工場が多い。
 今までの経験があればこその現場に寄り添った機能だ。

「すごくね?」
「すごいわ」
「今までのやつをくっつけただけだよ?」
「そのくっつけるが簡単にできないのよ!」
 やっぱり天才だわと褒める遥の言葉に富樫はスッと顔を隠したが、耳まで赤いので照れているのはバレバレだった。
 
「なぁ、ハルカ。今日飲みに行かね?」
「ごめん、今日は早く帰らないといけなくて」
 遥が手でごめんポーズを取ると、佐久間は肩をすくめた。

「せっかく一件仕事取ってきてやったのに」
「えっ! 天才! さすが佐久間!」
「だろ? もっと褒めろって」
 ドヤ顔をしている佐久間の隣で富樫が「すごいや」と呟く。
 一番すごいのは作った富樫なのに、全然わかっていない天才を遥と佐久間は笑った。