ハニートラップ


「――もしもし?」

高峰くんに背を向けて、通話を繋ぐ。
上擦りそうな声を抑えて、にやつく唇をきゅっと窄めた。

「もしもし、珠桜?今どこ?」

「まだ学校、だけど。」

「マジ?じゃあごめんなんだけど、帰ってきたらちょっと俺ん家寄ってくんない?」

電話してまでわざわざ呼び出すのは珍しい。
よっぽど大切な用事なんだろうか。


「わかっ、……た……」

頷きかけた時、空いていた指先をギュッと握られた。

驚いて振り返ると、私の手を掴む高峰くんがこっちを見ている。

自信なさげに下がる眉毛。
前髪の隙間から覗く瞳に、感情が揺れている。


――何でそんな顔してるの?

理解が追いつかなくて、自分の目を疑った。

「珠桜?」

スマホから、不思議そうにする俊平の声が聞こえる。
慌てて顔を向こうに戻して、高峰くんを見ない様にした。


「――なんでもない!今すぐ帰るから、待ってて。」

言ってすぐ、通話を切る。

一瞬見ただけの寂しそうな顔が、瞼の裏に焼き付いて頭をいっぱいにする。
ドクドクと胸が騒ぎ出して、ここに留まってちゃいけないと思った。


「……そういうことで、帰るから!」

顔も見ないまま、掴まれた手を振り払おうとする。
それなのに、ぎこちなく私を捕まえている手は少しも離れてくれない。


「行かないでよ、珠桜。」


――痛い。心臓が潰れたかと思った。

「……名前で呼ばないでって言ったでしょ!」

蒸した暑さに、正常な思考を奪われる。

“わかった”と言うまで、高峰くんはきっとこの手を離さない。


――でも、俊平が待っている。

「……わかったから。」

私はこの時の判断を、

「それなら高峰くんが付いてきて。」

強く後悔することになる。