「藤乃さん。僕、家出してきたから、泊めてください」


 夕方、大家の孫の理人が遊びに来たと思ったら、玄関でそう言われた。

 いつもは王子様みたいに爽やかな顔なのに、今日はムスッと膨れ面をしている。


「は?」


 何言ってるんだ?

 泊めるのは全然いい。単身用ボロアパートだけど、男子中学生一人くらいなら、床で勝手に寝てればいい。

 幼馴染とか大学の友達がたまに泊まりに来るから、広げると敷布団になる寝袋があるし。

 でも、家出?


「母には藤乃さんのところに行くと言ってありますので」

「それ、家出か?」


 理人がムスッとしたままスマホを差し出した。受け取って耳に当てると、のんきな声が聞こえた。


『ごめんなさいね、藤乃くん。理人、いろいろ嫌になっちゃったんですって。今月の家賃安くしとくから、一晩預かってもらえるかしら』

「はあ、まあ、構いませんが……」

『ありがとう。補導されないようにだけ、気をつけてくれればいいから。よろしくお願いします』


 理人に返す前に通話が切れた。

 ……家賃を安くしてもらっても、払ってるの親だから、俺にメリットないんだけど、まあ、いいか。


「玄関に突っ立ってても仕方ないから上がれよ。飯は?」

「まだです」

「食いたいもんある?」

「ジャンクなのがいいです」

「んー……じゃあピザ食べよ」


 二人でスマホを覗き込んだ。要望がジャンクだから、マヨネーズがいっぱい乗ったやつを選ぶ。あとコーラとポテトとアップルパイと……俺はサラダも。


「で、何かやんなっちゃったの?」


 届いたピザにかぶりつきながら聞くと、理人は唇を尖らせた。


「中学の初めての期末試験で全科目学年一位を取ったら、江里なら当たり前って全科目の先生に言われたんです」

「おお……」


 こいつ、確か難関私立中学に進学したんだよな……。塾でも一位だったらしいし、どんな頭の作りしてんだよ。


「失礼じゃないですか? 僕だってきちんと勉強して、努力の末に一位だったんです。それを当たり前って!!」

「まあ、その先生たちは失礼だし、フツーにムカつくんだけどさ」


 不貞腐れた顔が俺を睨んでいる。

 その顔は全然王子様じゃないし、優等生でもなくて、俺のかわいい弟分だ。


「お前、全科目一位だったの? すごいね」

「……はい。頑張りました」

「そっか。お疲れ。ピザ食ったらゲーセン行こう」

「……行ったこと、ないです」

「えっと……、中学生は二十三時から補導されるらしいから、今からなら五時間ある。ゲーセンとカラオケと、あとなんか行きたいとこある?」

「帰る前にラーメン食べに行きたいです」

「了解。割引券あるから、友達がバイトしてる店でいい?」

「はい!」


 理人はやっと笑顔になって、ピザの続きを食べ始めた。

 やれやれ、仕方のない弟分だ。



 食い終わったら二人で部屋を出た。

 駅の近くのゲーセンはやかましくて、理人は目を丸くして俺に付いてくる。


「藤乃さん、あれなんですか?」

「音ゲー。やってもいいけど、俺下手くそだよ」

「あれは?」

「レーシング。隣のは、ゾンビ倒すやつ」

「やりたいです!」

「はいはい」


 理人はシューテングもうまかった。俺はすぐ死んだので、理人が一人でボスを倒すのを眺める。

 そのあとはクレーンゲームでぬいぐるみやお菓子を取った。


「わ、すごいです、掴まなくても取れるんですね」

「引っ掛けて角度つければ滑るからね。他、なんか欲しいのある?」

「……じゃあ、あのラジコン欲しいです」

「はいよ」


 赤いラジコンの箱を抱えて嬉しそうに歩く理人を連れて、ゲーセンの上にあるカラオケに向かった。


「藤乃さん、歌得意ですか?」

「下手くそだよ。好きなだけ笑え」

「じゃあなんでカラオケに来たんですか……」

「んー、お前は来たことないだろうから」

「……はい、ないです」


 案の定というか、予想通りというか、理人はカラオケもうまかった。

 何をやらせても一発で人並み以上にこなせるタイプだ。

 ……まあ、だからってそれを「当たり前」って他人が言い切るのは違うよな。


「藤乃さん、下手ですね」

「うん。音楽系はダメダメだ」

「でもカラオケは行くんですね」

「連れてかれるからな」

「だから僕は藤乃さんのところに家出してきたんですよ」

「意味わからん」


 時計を見たら二十二時前だ。そろそろ切り上げるか。


「理人、ラーメン行こう」


 ラーメン屋に行くと大学の友達がテーブルを拭いていた。


「よお、藤乃。理人も」

「おう。こいつが家出してきたから飯食わせに来た」

「家出? いいね、じゃあ餃子奢ってあげる」

「それは、えっと、払いますので……」

「家出してきたのに、母ちゃんにもらったお小遣い使うのかっこ悪くない?」


 笑う友達に、理人は気まずそうな顔をした。


「で、お前、何食う?」


 券売機に札を入れる。友達が餃子代だと小銭をくれたから、ボタンを押しておく。


「えっと、担々麺の二辛とチャーハン、食べます」

「俺は担々麺だけでいいかな」


 食券は友達に渡した。座って待ってたら、すぐに運ばれてきた。

 理人は目を細めて、静かに食べている。


「ごちそーさまでした」

「ごちそうさまでした」

「おう、また来てね」


 また割引券をもらって部屋に戻る。

 風呂を済ませてベッドに横になったら、床で寝ている理人が小さく呼んできた。


「明日、朝になったら帰ります」

「うん、そうしな」

「ありがとうございました」

「いいよ、家賃引いてもらったから」

「藤乃さん、あの」

「うん、寝な」

「……はい。おやすみなさい」


 俺が寝入るまで、理人の寝息は聞こえなかったけど、まあ、たぶん大丈夫だろう。

 ダメなら、また逃げてくればいいし。