ある雨の夜、残業を終えて帰宅すると、高瀬くんが家にいなかった。
嫌な予感がして、傘を持って公園へ走る。
激しい雨の中、彼は泥だらけになって猛烈な勢いでバットを振っていた。
やみくもだし、フォームも乱れている。
駆け寄って手を掴むと、右手のマメが潰れて血だらけになっていた。
「なにしてんの高瀬くん! 血だらけじゃない!」
「……不安なんだ」
太陽みたいな彼が、見たこともない焦燥感を漂わせている。
「あと少しのところで、届かなかった。ピッチャーの調子は悪くなかったんだ。それでもあんな結果になっちまった。俺が怪我なんかしたせいで……」
彼が思い詰めていたのは、二年生の夏の西東京大会決勝戦。
延長十二回裏、ツーアウト満塁のピンチ。
エースの親友・中西が大きく振りかぶった瞬間、押し出しサヨナラ負けとなった、あの苦しすぎる試合。
『お前は日本一速いショートになるんだろ』と先輩に頭を小突かれ、高瀬くんが初めて人前で泣きじゃくった、あの夏。
「あの試合を思い出すと、どれだけ努力しても足りない気がする。なのに俺は知らない土地でバット振ることしかできねえ。こんなんで最後の夏、本当に優勝できんのか……」
情けねえだろ、と自嘲気味に笑う彼。
気づけば、私の目から涙が溢れていた。
どれだけ精神的に大人びて見えても、彼は高校三年生だ。
野球漬けの中、いきなり異次元に飛ばされて、大好きな野球もろくにできず、チームメイトもおらず、元に戻れるか分からない日々。
彼の苦しみに気づくことができなかった自分が情けない。
「情けなくなんかない。気づかなくてごめんね。でも、血が出るほどの無茶はやめて」
傷口に当たらないように、彼の手をそっと両手で包み込み、胸元で抱きしめた。
「この手はバットだけじゃないでしょ。みんなの背中を押す大事な手なんだよ。だから、大切にして」
「松崎さん、服が汚れる」
「いいの」
白い服に彼の血が滲んでいく。だけど、どうでもよかった。
帰宅して応急処置をした後、消灯の間際、高瀬くんがベッドから左手を差し出してきた。
「なあ。手、握ってて。怪我してない方」
不安を訴えるような、掠れた声。
拒否できるわけがなかった。
シングルベッドの狭い布団の中にゆっくりと潜り込む。
マメだらけの大きな手を、壊れ物のように両手で包み込んだ。
(……好きだ。高瀬くんが)
神様。推し。守るべき存在。好きになっちゃいけない人。
だけど、この気持ちにもう抑えは効かなかった。
嫌な予感がして、傘を持って公園へ走る。
激しい雨の中、彼は泥だらけになって猛烈な勢いでバットを振っていた。
やみくもだし、フォームも乱れている。
駆け寄って手を掴むと、右手のマメが潰れて血だらけになっていた。
「なにしてんの高瀬くん! 血だらけじゃない!」
「……不安なんだ」
太陽みたいな彼が、見たこともない焦燥感を漂わせている。
「あと少しのところで、届かなかった。ピッチャーの調子は悪くなかったんだ。それでもあんな結果になっちまった。俺が怪我なんかしたせいで……」
彼が思い詰めていたのは、二年生の夏の西東京大会決勝戦。
延長十二回裏、ツーアウト満塁のピンチ。
エースの親友・中西が大きく振りかぶった瞬間、押し出しサヨナラ負けとなった、あの苦しすぎる試合。
『お前は日本一速いショートになるんだろ』と先輩に頭を小突かれ、高瀬くんが初めて人前で泣きじゃくった、あの夏。
「あの試合を思い出すと、どれだけ努力しても足りない気がする。なのに俺は知らない土地でバット振ることしかできねえ。こんなんで最後の夏、本当に優勝できんのか……」
情けねえだろ、と自嘲気味に笑う彼。
気づけば、私の目から涙が溢れていた。
どれだけ精神的に大人びて見えても、彼は高校三年生だ。
野球漬けの中、いきなり異次元に飛ばされて、大好きな野球もろくにできず、チームメイトもおらず、元に戻れるか分からない日々。
彼の苦しみに気づくことができなかった自分が情けない。
「情けなくなんかない。気づかなくてごめんね。でも、血が出るほどの無茶はやめて」
傷口に当たらないように、彼の手をそっと両手で包み込み、胸元で抱きしめた。
「この手はバットだけじゃないでしょ。みんなの背中を押す大事な手なんだよ。だから、大切にして」
「松崎さん、服が汚れる」
「いいの」
白い服に彼の血が滲んでいく。だけど、どうでもよかった。
帰宅して応急処置をした後、消灯の間際、高瀬くんがベッドから左手を差し出してきた。
「なあ。手、握ってて。怪我してない方」
不安を訴えるような、掠れた声。
拒否できるわけがなかった。
シングルベッドの狭い布団の中にゆっくりと潜り込む。
マメだらけの大きな手を、壊れ物のように両手で包み込んだ。
(……好きだ。高瀬くんが)
神様。推し。守るべき存在。好きになっちゃいけない人。
だけど、この気持ちにもう抑えは効かなかった。
