推しが壁から出てきたので共に暮らします!

 高瀬くんの声が鳴り響く。アラームだと気がついて、私は抱き締められたまま手だけをスマートフォンに伸ばした。
 きっとお互い一睡もできなかった。それでも二人に眠気は見られなかった。
 高瀬くんが最後の朝食を振る舞う。いつものオムレツも、これで最後だ。

へとへとで仕事を終え帰宅すると、高瀬くんが出迎えてくれた。上下別のパジャマに着替えて高瀬くんも制服姿になる。

 これですべて、条件は揃った。

 複製原画の前で正座する私の腕を高瀬くんが掴んだ。

「高瀬くん? どうしたの?」
「俺は夢乃がこの先何をして、何に苦しんで、何に笑うのかわからない。だから最後に、言わせてほしい」

 高瀬くんが姿勢を正して言った。彼も正座の体勢をとる。

「夢乃さ。この前、流されて生きているだけで何もない、っていっていたけど、そんなことないと思う。
夢乃は、好きなこともいっぱいあるよ。今まで触れてこなかっただけ」

 高瀬くんが野球に向けるような真面目な視線で告げる。
 
「だから色んなことをして、生きろよ。普通でも、普通じゃなくても、何でもいいからさ。笑っていてほしい」

 最後の言葉を、彼は願うように呟いた。高瀬くんは眉尻を下げて、うっすらと笑みを浮かべる。

「俺、夢乃の笑った顔がすげえ好きなんだ」
「私も、高瀬くんの笑顔が大好き」
「知ってる」
「この先、何が起きても、応援してるから。ずっと見てるから」

 (だから、高瀬くんが元の世界で野球を楽しめますように)
 
 高瀬くんが掴んでいた腕を離した。その瞬間、高瀬くんの姿が溶けて、足が壁に吸い込まれていく。あまりにも急なことに、私は必死で声をかけた。思わず手が伸びる。
 
 高瀬くんも手を伸ばす。二人の指が絡まった。

 高瀬くんの顔が近づく。近づいて近づいて、高瀬くんの唇と自分の唇が重なるのを私はスローモーションのように見ていた。
 
 時が、止まる。
 数秒に満たないはずなのに。一秒でも長く見ていたいのに、高瀬くん以外を全てシャットアウトしたくて、夢乃は目を閉じた。


 高瀬くん。高瀬くん。

 
 どうか

 
 幸せに、なってね。