顕微鏡室への扉が開く。

 芹葉は台車を押しながら、白光に満ちた狭い通路を進んだ。
 壁のデジタルタイマーが『43:12』を示している。
 数字が減っていく度に、胸の奥が締め付けられるようで。

 蒼志が淡々と指示を出す。

「台車をロックして下さい。サンプルはここで切り出します」

 その声は業務的だが、芹葉の耳には少しだけ柔らかく響いた。

 花束の中から数本が選ばれ、茎の基部をピンセットで挟み取る。
 ラベルが貼られ、透明なケースに収められてゆく。
 芹葉はその手元を見つめながら、ふと書類の束に目を落とした。
 
 そこに挟まれていた一枚のコピー。
 線が走る簡易な的な——導線図。
 三年前、研修室で蒼志が描いてくれたものと同じ癖のある筆跡。

 蒼志の視線が一瞬、その紙に止まる。

 何も言わない。
 だが、芹葉は気づいている。
 二人だけが共有する過去の断片が、静かに空気を震わせた。

 顕微鏡室に入ると、冷蔵区画のファンが一瞬止まり、ピッという警告音が鳴った。

 芹葉の心臓が跳ねる。
 だが蒼志はすぐに操作盤を確認し、短く告げる。

「機器は問題ありません」

 その冷静さに、芹葉は僅かに息を整える。
 だが胸の高鳴りは収まらない。
 再会の衝撃と緊張、不安が重なり、息が詰まる。

 壁のタイマーは『40:33』を刻んでいた。

 この花が通るかどうか。
 それだけじゃない。

——私自身が、通れるかどうか。