たった100秒間の運命

会社に着くと、坂井さんが目敏く近づいてきた。
少々嫌な予感を感じたものの、それがバレないように彼女と視線を合わせる。

「高坂さん!今朝、イケメンと一緒に歩いてませんでした?彼氏ですか?前見かけた人と一緒ですよね!」

あまりにも予感が当たりすぎて、私は頭を抱えそうになった。

「だから違うから!彼氏とかじゃない」

確かにイケメンとは歩いていたけれど。
昨日の優しい微笑みを思い出し、ほんの少し頬がピンクに染まる。

「えー!なんですかその顔!絶対なんかあるじゃないですか!高坂さん超可愛いです!」
悪気はないんだろうけど、その大きな声をやめてほしい。

あぁ、いつも空気を読んで助けてくれる斉藤さんはもうすでに産休期間に入ってしまった。
「生まれたらすぐ会いにきてください!」と笑顔で出て行った彼女を思い出す。

そう思っているうちに、社内の電話が鳴り、坂井さんは勢いよく席へと戻っていった。
ホッと一息つきながら、私はデスクの整理から仕事を始める。

彼氏ですか?
疑いのないその質問に、言葉が詰まった。

私たちの関係に名前はない。

昨日は落ち込んでいたから、心を預けてしまったけれど、変わりない今日が始まっていた。
あんな1日、大人にならきっと、よくあること。

だけど、友達というにも違う。
社会は関係に名前をつけたがるけれど、私たちの関係を示すぴったりの言葉はないように思えた。

憩くんといるときの私は、息がしやすかった。

「こうであるべき」という価値観に合わせなくていい。
それどころか、私自身すら凝り固まっていた価値観を彼は壊してくれたのだ。

みんなが憩くんみたいな考え方だったら良かったのにな。
それなら、私たちがどんな関係なんだろうなんて、考えなくても済むはずなのに。

恋愛してないと不思議がられるし、結婚してないと心配され、「普通はこう」に当てはまらないと、説明を求められる。

やっぱり……少数派なんだよなぁ。
ため息が出そうになった時に、憩くんの言葉が思い出された。

「少数派だからなに?ゼロじゃないじゃん」
あっけらかんとした言葉に、思わず笑ってしまう。

それはそうだ。
デスクに座ったとき、紙カップに残るコーヒーの香りがふわりと立ちのぼった。

たった数分の朝の時間。
名前のない関係。
誰にも説明できない、でも心地よい距離感。

今の私にとって、一番しっくりくる居場所を、私たちが知ってればそれでいいんだ。
私自身が、少数派として自信を持っていたら、それで。