総長は姫を一途に溺愛する。

昨夜の出来事がまだ胸の奥に残っていて、私はまともに眠れなかった。
 それでも朝になり、制服に袖を通し、学校へ向かう。

 校門をくぐった瞬間――
 背筋に冷たいものが走った。

 ざわっ……
 ざわざわ……

 人の視線が、集まっている。
 一年生の廊下を歩くだけで、ひそひそ声が耳に刺さった。

「ねぇ、あの子じゃない?」
「黒薔薇の“姫”って噂の……」
「昨日も総長と一緒に帰ってたらしいよ」
「調子乗ってんじゃない?入学したばっかで」

 心臓がどくんと跳ねた。
 違うのに……そんなつもりじゃないのに。

 なのに、さらに悪い出来事が待っていた。

 ――ガタンッ!

 誰かが私の机を、わざと足で蹴った。

 反射的に振り向くと、三人くらいの女子が立っていた。
 笑っているけど、目は全然笑っていない。

「おはよ、桜井さん。……今日も“総長の姫様”はご機嫌?」

 わざとらしく頭を下げてくる。
 教室が一瞬静まり返り、またざわざわとざわめいた。

「ち、違っ……私はそんな――」

 言い終えるより早く、女子の一人が私のロッカーを“バンッ”と開けた。

 そこには、昨日とは違うタイプのメモが落ちていた。

 ――“調子に乗るな。お前なんかが姫のわけないだろ。”
 ――“蓮先輩の隣は私だよ。”

 手が震えた。

「ねぇ、これ……あんた宛てでしょ?」
「へぇ、こんなのもらってるんだ~。愛されてるじゃん?」

 ケラケラと嘲笑が広がる。
 胸がぎゅっと縮んで、涙が滲む。

 ……やめて。
 お願いだから、やめて。

 けれど彼女たちは近づいてくる。

「総長に色目使ってんじゃねぇよ、新入生」
「守ってもらえると思った?黒薔薇組の名前にすがってるって、バレバレ」

 怖い。
 一歩後ずさると、机の角に背中がぶつかった。

 逃げ場がない――
 そう思った瞬間。

 ガラララッ!!

 勢いよく教室のドアが開いた。

「――ひまり!」

 蓮先輩が、息を切らして教室に飛び込んできた。

 全員が息を呑む。

 黒薔薇組の総長が、今まさに教室の真ん中に立っている。

 その視線が、ゆっくり私に向けられる。

 そして次の瞬間、先輩の表情が――

 “完全に怒っていた”。

「……誰が、ひまりに触れた?」

 その声は低く、静かで、教室の温度を数度下げたような冷たさがあった。

 さっきまで私を笑っていた女子たちは、青ざめて一歩後ろに下がる。

「れ、蓮先輩……ち、違っ――」

「違わねぇよ。俺のひまりが泣きそうになってんだ」

 蓮先輩はゆっくり私の前に立ち、背中で庇ってくれた。

「ひまり、怖かったな。もう大丈夫だ」

 教室中の視線の中で、そっと私の頭を撫でる。
 その手つきは優しいのに、目は獲物を睨む獣みたいに鋭い。

「ひまりに手ぇ出したやつ……俺が全部、潰すから」

 その言葉に、私の心臓はもう限界だった。