総長は姫を一途に溺愛する。

翌朝。
 寝不足の目をこすりながら校門をくぐると、いつもよりざわついた空気が肌に刺さった。

 なんだろ……みんな、視線がこっちに集まってる気がする。

「ねえ、あの子じゃない? 昨日の……」

「黒薔薇組の新しい姫って噂の……」

「一年なのに、総長に連れられてたって……マジ?」

 ひそひそ声が耳に入るたび、背中がむずがゆくなる。
 姫って、昨日のあれがもう噂になってるの?

 おかしい。私はただ、流されて紹介された“だけ”なのに——。

 教室へ向かう廊下に入った途端、さらに視線が増えた。
 まるで珍しい動物を見ているみたいに、距離を取られながらもチラチラ覗かれている。

 心臓が落ち着かなくて、足取りが早くなる。

「桜井さん……だ、よね?」
 突然、前に立ちふさがるように二年生の女子が声をかけてきた。
 黒髪の巻いた髪、化粧も制服も綺麗に整っていて、いかにも“強い”雰囲気。

「ひ、はい……」

「ひとつ聞きたいんだけどさ。昨日、本当に蓮に“姫”って呼ばれたの?」

 直球すぎる質問に、息を飲んだ。
 周りの子たちがさらに近づき、聞き耳を立てる。

「え、えっと……その……」

 答えに詰まる私を見て、女子の表情がスッと強張った。

「じゃあ、本当なんだ? 蓮、誰にも興味持たないのに……」

 その時だった。

 ——カツ、カツ、と廊下に響く靴音。

 全員が振り返る。
 視線の先には黒い学ランの蓮先輩が歩いてきていた。

 その存在感だけで空気が変わる。
 人が道を開け、ざわめきが静かになり……気づけば、蓮先輩は私の目の前にいた。

「ひまり、朝から囲まれてんのか」

 低い声。
 昨日よりも少し不機嫌そう。

「ち、違っ……私はただ……」

「ひまりに何か用か?」

 蓮先輩が女子へ視線を向けただけで、彼女はビクリと肩を震わせた。

「い、いえ……! その……本当に“姫”なのか気になって……」

「気にしなくていい。ひまりは俺の姫だよ」

「っ……!」

 蓮先輩は平然と、昨日と同じ言葉を口にした。

 周りが一斉に息を呑む。

「ま、待ってください蓮先輩! そんな……みんなの前で……!」

「言わずにいられるか。ひまりを他のやつに誤解されたままにしておくわけない」

 今日は、昨日よりもはっきりした声だった。
 私を見下ろす目が、逃げ道を塞ぐように深くて強い。

「……ひまりは俺のものだって、ちゃんと知られといたほうがいい」

 小さく、誰にも聞こえない声で囁くみたいに言われたその一言に——

 胸の奥がひゅっと縮む。

 怖いのに。
 でも、嫌じゃない。

 周りは完全に騒然としていて、私の名前と“姫”という言葉が飛び交っていた。

 ——本当にどうしてこんなことになってるの?

 頭の整理が追いつかないまま、蓮先輩に腕を軽く掴まれた。

「教室まで送る。ほら」

 そう言って歩き出す蓮先輩の背中を、私は抵抗もできず追いかけた。

 廊下のざわめきが、私たちの後ろで波のように揺れ続けていた。