玄関のドアを閉めた瞬間、ようやく張りつめていた空気がふっとゆるんだ。
 はあ、と深く息を吐く。心臓がまだ落ち着かなくて、胸の奥がじんじんしている。

「……ほんと、何なの、今日……」

 靴を脱ぐ手が震えているのが自分でも分かる。怖かったわけじゃない。むしろ、怖いっていう感覚と、安心してる感覚がごちゃ混ぜで、頭がついていけてない。

 蓮先輩と並んで夜道を歩いたあの時間が、じわじわ思い返されて頬が熱くなる。

「姫……って、私のこと……?」

 無理矢理つけられた呼び名なのに、蓮先輩が言うと拒否しきれない響きを帯びてしまうから困る。

 だってあの時の蓮先輩の声——
 強いのに、優しくて。
 独占欲みたいなものが少し滲んでいて。
 あんなふうに言われたら、普通に呼ばれるよりずっと胸に残ってしまう。

「なんで私なの……。初対面なのに……」

 部屋の灯りをつけて、自分のベッドに倒れ込んだ。制服のままだからしわになりそうだけど、そんなのどうでもいい。

 目を閉じると、さっきの蓮先輩の横顔が鮮明に浮かぶ。

 影が落ちるような鋭い目。
 でも私を見る時だけ、ほんの少し緩む。

 ——あれ、ほんとに私に向けられた表情だったのかな。

 心臓がまた跳ねる。
 こんなに疲れてるのに、眠れそうな気がしない。

「……守りたいって……どういう意味……?」

 ひとりごとが夜の静けさに吸い込まれていく。

 怖い。
 でも、怖いだけじゃない。

 知らないはずの人に、
 初めて会ったはずの先輩に、
 こんなにも心を乱されている自分が信じられなかった。

「……私、どうなっちゃうんだろ……」

 胸に手を置いて、脈の速さを確かめる。

 蓮先輩の言葉が頭から離れない。

 ——ひまりは俺の姫だ。

 あの低い声が、何度も、何度も、心の奥で反響する。

 困惑してるはずなのに、
 少しだけ、嬉しいなんて——

 そんなこと、口が裂けても言えない。