……意外と生徒が、校内にいたらしい。

海原(うなはら)、あった! すぐ戻る!」
 放送室で拡声器を発見したわたしは。
 扉を閉めて、廊下を走り出す。

 角を曲がって、階段を駆けおりて。
 渡り廊下をまた走ろう。
 そう思って、勢いをつけて踊り場を越えたのだけれど。

 ……慌てて、急ブレーキをかけざるをえなかった。

 アイツの呼びかけに応じてくれた、在校生たちが。
 続々と移動を開始してくれている。
 それはありがたい。
 だけどそのためにここから先が……大混雑中だ。


「ね、ねぇ海原」
「……どうした、高嶺(たかね)?」
「拡声器、通路が混んでてまに合わないかも」
「……そうか、わかった。ちょっとだけ考える」
 インカムの向こうのアイツが、冷静な声でわたしに告げるけれど。

 花道をつくるなんて、みんなはじめてのことだ。
 複雑すぎることではないから、大きな声で叫ベば……伝わるとはいえ。
 集会が終わるまでの残り時間を考えたら。

 ……拡声器があったら、便利だよね?


 アイツのことだ、次のプランを考えているはず。
 ただ、どうにか届ける方法がないだろうかと。
 わたしがもう一度聞こうとしたその瞬間。

 ……え? いまのって……?


由衣(ゆい)! 放送室に急いで戻って!」
 間違いない。インカムから再度、夏緑(なつみ)の声が聞こえてきて。
「つ、鶴岡(つるおか)さん?」
 続いて、アイツの驚いた声がする。

「ウナ君、姫妃(きき)ちゃんのを借りたの! いいから、信じて!」
「……わかった。高嶺、戻ってくれ」
 よくわからないけれど、アイツがいうならきっと正しい。

「由衣、戻った?」
「まだ」
「戻った、由衣?」
「ちょっと待って、夏緑!」
 一瞬で戻れる距離なわけないのに、せかさないでよ。
 それに、無駄に走らせるこの部活。本当に文化部なんだよね?

 三回目の夏緑のコールの前に、あと少しだと叫んで。
 それから少しして、やっと着いたと告げると今度は。
「開けて! カエデの木が見える窓開けて!」
 ちょっと夏緑、なんなの? どういうこと?

「そのまま『千雪(ちゆき)』に、投げてっ!」
「ええっ?」
「バレー部の市野(いちの)千雪(ちゆき)! 下にいる一年三組の女の子の名前は、市野千雪っ!」


 あぁ……このズレかたが夏緑だ。
 驚いたのは、その子の名前じゃなくて。
 拡声器を投げるってほうなのに……。

「ねぇ! この高さから投げろって、本気?」
「千雪レシーブうまいよ。あと……サーブもすごいから!」
 ちょ、ちょっと待って。
 レシーブはともかく、サーブって……拡声器破壊する気?
 意外と高いんだよこれ。
 もし壊したら大変なのに……海原、なんかいってよ!


「高嶺由衣さん! 投げて!」
 開けた窓の下から、わたしに催促している声がする。
 ただ、いくらなんでも拡声器だよ?
 機械がもし壊れたら……まぁ謝るけれど。
 それよりもし顔に当たって怪我させたりしたら、大問題でしょ!

「……ごめん、(すばる)君は別件対応中」
 玲香(れいか)ちゃんが、冷静な声で教えてくれるけど。
 ちょっと、それだけ?
 投げろとも、投げるなともいわないの?


「……高嶺さん」
 窓の下の声は、とても落ち着いていて。
「落とすだけでいいよ、わたしが受け取るから」
 心配ないと、いうけれど。

 実はわたし、高いのだけはすっごく苦手で……。
 放送室の窓から、真下なんて見たことない。
 だからね、きっとわかんない人には無理だろうけど。


 ……わたしにだって……できないことあるの!



「お願い、大丈夫だから」
 わたしこそお願いだから、催促しないで。
 せめてアイツが返事をするまで、待って欲しい。

「必ず『海原昴君に届ける』から!」
「……えっ?」
「投げなくていいから、そっと落として。わたし、絶対に受け取るから」

 ……アイツに、届けるため?


 だ、だよね。
 だったらわたし……ちゃんとしないと……。


「お、お願いします!」
 そういってわたしは、ひとつ目の拡声器を下に落とす。
 でも無理無理。
 下向いて確認とか、絶対無理!

 ……一瞬置いて、声が聞こえた。


「あといくつ? わたしちゃんと受け取ったよ!」
 そうなの?
 すごくない?

 でも……あとふたつもあるんだけど……。


 そうしたらようやく。
 アイツの声が、インカムから入ってきた。

「なぁ高嶺……同時には、落とすなよ」
 あのバカ!
「いいから、早く受けとんな!」
 そう答えたわたしは、もう迷うことなく。
 それでも壊れませんように、怪我しませんようにとは願いながら。

 ……すべての拡声器を、窓から落とすことに成功した。





 ……講堂から校舎へとつながる、拍手にあふれた『花道』は大好評だった。

「受験前、最高の贈り物になったぞ!」
 長岡(ながおか)(じん)先輩が、花道の終わりにいた僕を大げさに抱きしめて。
「うっす! 感謝っす!」
 柔道部の田京(たきょう)(はじめ)先輩が、僕たちふたりをまとめて締めあげて。
 僕は息をするのが苦しい以上に。
 正直……暑苦しかった。


「海原君、最高っ!」
 続いて新聞部の前部長とか、女子バレー部の前部長とか。
 馴染みの『女子の』先輩たちが、大喜びで近づいてきたときは。

「はいはい、その辺までだよ。近寄りすぎないでね」
 都木(とき)先輩がさりげなく、僕をガードしてくれて。
「……」
 あと、三藤(みふじ)先輩が真横に無言で立っていてくれたので。
「じゃ、じゃぁまたね……」
「受験、頑張りまーす……」


 ……特に苦しい思いをせずに、僕は救われた。




 ただ、そんな『(うたげ)』のあとにやってきたのは……。

「時間になるので……いってきます……」
 三年生たちが下校したあとで、職員室へ『出頭』するようにと。
 生徒指導部長と、副部長。
 加えて各学年の担当の先生たちとの約束を果たすべく。
 僕は放送室をあとにする。

 普段というより、入学以来本日まで。
 僕が『お世話』になることのなかった肩書きの先生たちは。
 いま……お怒りだ。

 まぁ、勝手に集会の終わりを遅らせて。
 花道を作って、大騒ぎしたのだから。
 誰かが犠牲になるのは、やむをえない。


 ところが……ひとりでいきますと、いったのに。
 放送部のみんなが、ゾロゾロとうしろについてきて。
 加えて職員室に近づくにつれ周囲には。
 女子バレー部のみなさんはもちろん、吹奏楽部に野球部にサッカー部の面々と。
 さらに加えて、なんだかたくさんの二年生と一年生たちが。
 わらわらといっぱい集まっている。

「す、すみません……とおりますね……」

 なんだか、気まずい沈黙の中。
 僕がそういって抜けていこうとしたけれど。
 たまりかねた誰かが、なにかいおうとしたその瞬間。

 三藤先輩が、スッと前に出てくると。
 あろうことか、『全員を前』にして。
「海原君くんに、まかせていただけませんか?」

 ……そういって、頭を下げた。



「で、でもそれだと……」
 その声は、バレー部の誰かだったけれど。
「わたしからも、お願いします」
 先に下校してと頼んでも、頑として動かなかった都木先輩が。
 三藤先輩の隣で……同じく頭を下げた。


 ……またこのふたりが、僕を『(まも)って』くれた。


 僕が、そう思ったと同時に。
「わたしたち、放送室に戻ろっか」
「そうだね、放送室でま・っ・と・こ!」
「海原、遅くならないでよ」
 玲香ちゃんと、波野先輩。それに高嶺が。
 一緒に歩いてきた道を、もどりはじめる。

 すると、三藤先輩が顔をあげて。
 一瞬だけ振り返って、僕と目を合わせると。
 左手で流した黒髪の先と、白い人差し指を僕の肩に軽く当てて。
 そのまま振り返らずに進んでいく。

「戻るか……」
「戻ろっか……」
 ここに集まってくれていた、多くの人たちも。
 まるでみんなのあとを追うように、それぞれ散ってくれると。

 ……ようやく廊下が、ガラガラになった。



 僕に背中を向けたまま。
 全員の姿が見えなくなるまで、見守ってくれていた都木先輩が。
「海原君……いってらっしゃい」
 少し勢いをつけてこちらを向く。


 ……もしかしたら単なる偶然、だったのかもしれないけれど。


 そのとき、軽く舞い上がったスカートの裾が。


 ……僕のズボンに、わずかに触れた。



 なぜだかその場所だけに、熱を感じながら。
「いってきます」
 そう答えた僕は。


 職員室の扉を……ゆっくりとノックした。