夕食後、五人がそれぞれの担当に散っていく中、
あやめはふとリビングの窓から夜景を眺めていた。

外は静かで、美しいのに…
胸の奥のざわつきだけが消えなかった。

(……お母さん、最近全然連絡してくれないし……)

そんな時。

「……朝比奈様」

低く落ち着いた声が背中に届いた。
長男・海斗だった。

「ひとりで悩んでいるのでは、と思いまして」

「え……どうして分かるの?」

海斗はゆっくりソファの隣に座り、
手元のスケジュール帳を閉じた。

「あなたは心配ごとがあると、無意識に指先を握ります。
……ずっと、そのままにしていました」

あやめはハッと自分の手を見る。
さっきからスマホを持つ手が震えていた。

「……ちょっとだけ、不安で」

「お母様のことでしょう?」

胸がぎくりとした。

「え……どうして……」

海斗は静かに夜景へ視線を移す。

「朝比奈グループは今、国際的な取引の中心にいます。
お母様には……多くの責任がある。
あなたに心配をかけまいと、話せないことが増えるのも無理はありません」

言い方は優しいのにどこか苦しそうだった。

「海斗……お母さんのこと、どれくらい知ってるの?」

問いかけると
ほんの一瞬だけ海斗の表情が揺れた。

「……私たち雪城家は、かつてお母様に救われました」

「救われた……?」

海斗は数秒、言葉を選ぶように沈黙した。

「私たちの家は、幼いころに大きな破綻を経験しました。
その時……手を差し伸べてくださったのが、お母様だったのです」

あやめは息をのんだ。

「だから、あなたを守ることは
私たちにとって仕事以上の意味があります」

海斗の目はまっすぐで、静かで、どこか切ない。

「私は……この家の主としてあなたに仕えていますが、
それ以上に……あなたが笑っていてくれることが、何よりの願いです」

「……海斗……」

胸の奥がぎゅっと熱くなった。

海斗があやめの手にそっと触れる。

「不安なら頼ってください。
ひとりで抱える必要はありません」

その触れ方は控えめなのに、とてもあたたかかった。

トン。

その時、遠くで何かが落ちるような音がして、
海斗が一瞬だけ表情を険しくした。

「……失礼。確認してまいります」

急に執事の顔に戻る海斗。
あやめはその背中を見送りながら、胸がざわりとした。

(さっきの音……なんだったんだろう)