私の中のもう1人の私が好きな人




 昭和20年初夏ーー

「今日は文ちゃんがお泊まりに来てくれて嬉しい!」

 友人の幸子からの提案でその日は彼女の自宅に泊まる事となった。
 毎日が目まぐるしく、誰もが精神を擦り減らして生きている。そんな中で、いつでも前向きで明るい幸子の存在は文子にとって安らぎとなっていた。

 戦況が思わしくなく随分と前から食べる物にも困る生活に陥っていたが、幸子の家から分け与えて貰いどうにか暮らしていた。本当に感謝している。
 幸子の家は農家で裕福だが、こんな状況だ。人様に施す程余裕がある筈はない。それでも好意を受け取る以外出来ないのが実情だ。

「文ちゃん、遠慮せんでたんと食べて」

「ありがとうございます」

 幸子の母は朗らかに笑うと雑炊のお代わりを手渡してくれる。

「そうそう、お漬物沢山作り過ぎちゃってね。明日、帰る時にお母さんに持ってってあげて」

 そう言って漬物を包んでくれた。その思い遣りに文子は胸がいっぱいになった。




「寝れない?」

 夕食後、お風呂に入り幸子の部屋で暫く話をしてから就寝する。ただ身体は疲れている筈なのにもかかわず寝付けなかった。
 物音を立てないように部屋を抜け出して縁側に座り夜風に当たっていた。夜空に煌々と輝く月を見上げ小さく息を吐く。すると目を覚ました幸子が部屋から出て来た。

「あ……ごめんね、起こしちゃった」

「大丈夫、たまたま目が覚めただけだから。それよりお腹空いてない?」

 幸子は文子の隣に座ると握っている手を差し出してくると開いて見せた。手のひらの上には小さな紙に包まれた飴玉が2つある。

「実は夕食後にお台所からくすねてきちゃったの!」

 声量を抑えてくすくす笑う幸子に釣られて文子も思わず笑ってしまう。

「はい、文ちゃんの分」

「ありがとう。……うん、甘〜い」

「甘〜いね」

 飴の甘さが口の中に広がり至福を感じる。大袈裟かと思うかも知れないが、最近は甘い物など口にする機会は滅多にない。ご飯を食べられるだけで感謝しているくらいなのだ。たまに夢に見る。ぼたもちを皆で仲良く食べていたあの日をーー

 縁側に吊るされた風鈴が夜風に揺らされチリンチリンと音を鳴らす。
 2人は黙り込み夜空を仰ぎ見る。きっと同じ事を考えているに違いない。早く日本が勝って戦争が終わりますようにと。

 ウーー‼︎ だがそんな想いを打ち砕くように、辺りに大きな音が鳴り響く。空襲警報だ。

「文ちゃん‼︎」

「う、うんっ」

 慌てて立ち上がると幸子に手を掴まれる。部屋に戻り頭に頭巾を被り枕元の手荷物を掴んだ。

「幸子‼︎ 文ちゃん‼︎ 早くこっち‼︎」

 薄暗い中、どうにか廊下を駆けて行くと幸子の母と出会し手を引かれて裏庭へと向かう。するとそこには幸子の家族や女中などが集まっていた。幸子の父が地面にある鉄板を持ち上げると、中には階段が見えた。
 
 暗闇の中、サイレンが鳴り響き爆撃機の轟音が頭上から聞こえる。

「さあ早く‼︎」

 押し込められるようにして中へと入ると、大人達が手にしている洋燈の灯りを頼りに進む。壁や深い階段はコンクリートで造られているようで頑丈そうだ。
 
「早くラジオつけて」

「今やってるから待てよ」

 幸子が声を掛けると幸子の弟は防空壕内に置かれていたラジオの電源を入れる。皆、ラジオを囲むように座り耳を傾けた。ラジオからは地域名と爆撃機の名前などの情報が流れてくる。

「駅の方だね」

「こっちは平気なのか」

 皆、少し安堵したようすで息を吐くが、文子だけは違った。今いる幸子の家は駅からは離れているが、文子の家は駅前ではないがここよりも遥かに近い。脳裏に母や弟の姿が過ぎる。

「文ちゃん⁉︎ どの行くの⁉︎」

「行かなくちゃっ、お母さんや誠ちゃんが」

「ダメよ! 今外出るのは危ないわ‼︎」

 立ち上がり階段を上がろうとするが、追いかけてきた幸子に腕を掴まれた。それを振り払うが、今度は幸子の母が文子の両肩に手を乗せた。

「文ちゃん、よく聞いて。もし私が貴女のお母さんなら、ここから動かないで欲しいと思う」

 薄明かりの中、幸子の母の真剣な瞳がこちらを見ていた。決して口には出さないが、死んではダメだとそう言われている気がした。

「……はい」

 絞り出した声は掠れており唇を噛む。

「大丈夫。きっと文ちゃんのお母さんも弟も無事よ」

 幼子をあやすように頭を数回撫でられた。