倒産が近づくにつれ、片付けや仕事は本当に忙しくなった。
多くの店舗社員は離職し、閉店セールでは駆り出されることも増えた。
外の作業が多くなると、大山さんと過ごす日々も少しずつ減っていった。
朝、オフィスに足を踏み入れた瞬間、虚しい気分になった。
普段は色や生地であふれていた空間が、今日は驚くほど静かだった。
棚は空っぽで、アイロン台もトルソーも片付けられている。
まるで、ここで働いていたことさえ夢のようだった。
(ほんとうに、今日で終わりなんだ)
半年間ずっと見ていた倒産までのカウントダウンが、現実になった。
体も心も追いつかない。
デスクの引き出しを開け、そっと深呼吸した。
資料も、スケッチブックも、サンプル生地の切れ端も、今日でこの場所から消える。
紙の端を撫でる指先に、記憶と想いが絡みつく。
ミクちゃんが段ボールを抱えて近づいてきた。
「リアさん、そっちもう終わりました?」
「うん、あと少しで終わるよ」
「なんか……変な感じですね。本当に今日が最後って」
「ね。いつも通りに出社したのに」
互いに笑おうとするが、どちらの笑顔もわずかに震えていた。
ふと視線を上げると、大山さんがスタッフに囲まれて笑っている。
少し遅れて出社したらしい。
人に肩を叩かれ、新しい名刺や電話番号を交換して、忙しそうに輪を渡り歩く。
「大山〜!フランスを代表するブランドのプレスになるんだって?」
「大出世じゃないか!どうやって入り込んだんだ?」
会長や専務まで挨拶に来ていた。 その輪の中に私が入る隙はないだろう。
私はデスクに視線を落とし、見覚えのある付箋をそっと捨てる。
『この色味とても良いです!』
大山さんがこっそり貼ったメモ。
(最後の日なのに……私、何してるんだろう)
あの日、誕生日を祝ってくれた帰り道。
車の窓に映る自分の顔は信じられないくらい幸せそうだった。
触れそうで触れられないこの関係がもう少し続けばーーと思ってしまった。
けれどあれからも、二人で出かけた帰り道は変わらなかった。
優しいのに、決定的な言葉は何ひとつなくて。
距離が縮まりそうで縮まらなかった。
(今日で全部、終わるのに)
私はそう思いながら、荷物を詰め続けた。
◆ ◆ ◆
昼過ぎ、オフィスの電気がすべて落とされ、スタッフ全員でパーティー会場へ移動した。
会社のすぐ横の、シャンデリアが輝くお洒落なカフェバー。
高い天井、グレーの壁、大きな赤い絨毯。
テーブルには美しいオードブルが並ぶ。
スタッフたちは写真を撮ったり、
思い出話に花を咲かせたり、 最後の時間を明るく楽しもうとしていた。
その中心に、大山さんがいる。
人に肩を叩かれ、いつもの無表情で、会話の輪を渡り歩く姿。
(……やっぱり、行けないな)
「リアさん、本部長のところ、行かないんです?」
「ううん、もういいの。ほんとに」
「なんか……らしくないですよ。
逆に外で会ってるからいい的な?」
「ハハハ」
ミクちゃんの言葉が胸に刺さる。
――本当は最後にひと言だけでも「ありがとう」って言いたい。
でも、もしまた“仕事としての同僚”として返されたら?
もし、笑って流されてしまったら?
今日の私は、その可能性に耐えられない。
「それより、ミクちゃん、L社さんに就職決まったって聞いたよー!」
「今とは系統が結構違うお洋服なんで、できるかわからないですけど、頑張ります!」
「ミクちゃん本当に仕事できるし、素材や色の感覚も繊細だし、絶対すぐに活躍すると思う!」
「リアさんに育ててもらったおかげです!ありがとうございます」
二人だけの小さな時間、涙がじんわり溢れた。
そこへ、他の社員や後輩たちも声をかけ、みんなで別れを惜しむ。
笑顔と涙が混ざり合う会場で、私はひとり心の奥でぽつりと後悔する。
会場の終わりが近づくと、スタッフは帰る準備を始める。
私は皿を片付けていたら、大山さんの姿が見当たらなかった。
(あれ……?どこ……?)
店内を見回すと、出口付近で誰かに挨拶している大山さんの背中。
「あっ……」 声にならない声が漏れた。
私が一歩踏み出すより早く、大山さんは軽く頭を下げ、重役たちと共に会場を出ていく。
振り返ることもなく、まるで最初から私の存在など眼中になかったように。
(……そっか)
“最後くらい、言いたいことがあったのに” 喉の奥で、言葉がつっかえて出てこない。
隣にいたミクちゃんが改まってこちらを向いた。
「リアさん……今まで長いこと、本当にありがとうございました」
「ありがとう! ミクちゃんともっと早くから一緒にお話ししたりしておけばよかったって後悔してる」
「これからもしよかったらランチ行ったりして遊びましょう!」
「いいの?嬉しい!ありがとう」
無理に笑って見せ、ミクちゃんを見送った。
ひとりになった瞬間、胸の奥が静かに、でも確実に崩れ落ちた。
(あぁ……まただ)
仕事も、大山さんとの距離も、駒は進まなかった。
しかも彼は外資系ブランドへと転職が決まり、さらに遠くなってしまった。
(また、誰にも選ばれなかったんだ)
ぽつりと涙が頬を伝う。
誰もいない歩道で立ち止まり、深く息を吸う。
(……最後くらい、「また会おう」って言いたかったな……)
その一歩を踏み出す勇気は、どこにも残っていなかった。
夜風が頬をなで、涙の跡をそっと押し流す。
街灯がにじむ視界に、私は静かに歩き出した。
――こうして、私たちの最後の日は終わった。
本心は、結局ひと言も言えずに。
多くの店舗社員は離職し、閉店セールでは駆り出されることも増えた。
外の作業が多くなると、大山さんと過ごす日々も少しずつ減っていった。
朝、オフィスに足を踏み入れた瞬間、虚しい気分になった。
普段は色や生地であふれていた空間が、今日は驚くほど静かだった。
棚は空っぽで、アイロン台もトルソーも片付けられている。
まるで、ここで働いていたことさえ夢のようだった。
(ほんとうに、今日で終わりなんだ)
半年間ずっと見ていた倒産までのカウントダウンが、現実になった。
体も心も追いつかない。
デスクの引き出しを開け、そっと深呼吸した。
資料も、スケッチブックも、サンプル生地の切れ端も、今日でこの場所から消える。
紙の端を撫でる指先に、記憶と想いが絡みつく。
ミクちゃんが段ボールを抱えて近づいてきた。
「リアさん、そっちもう終わりました?」
「うん、あと少しで終わるよ」
「なんか……変な感じですね。本当に今日が最後って」
「ね。いつも通りに出社したのに」
互いに笑おうとするが、どちらの笑顔もわずかに震えていた。
ふと視線を上げると、大山さんがスタッフに囲まれて笑っている。
少し遅れて出社したらしい。
人に肩を叩かれ、新しい名刺や電話番号を交換して、忙しそうに輪を渡り歩く。
「大山〜!フランスを代表するブランドのプレスになるんだって?」
「大出世じゃないか!どうやって入り込んだんだ?」
会長や専務まで挨拶に来ていた。 その輪の中に私が入る隙はないだろう。
私はデスクに視線を落とし、見覚えのある付箋をそっと捨てる。
『この色味とても良いです!』
大山さんがこっそり貼ったメモ。
(最後の日なのに……私、何してるんだろう)
あの日、誕生日を祝ってくれた帰り道。
車の窓に映る自分の顔は信じられないくらい幸せそうだった。
触れそうで触れられないこの関係がもう少し続けばーーと思ってしまった。
けれどあれからも、二人で出かけた帰り道は変わらなかった。
優しいのに、決定的な言葉は何ひとつなくて。
距離が縮まりそうで縮まらなかった。
(今日で全部、終わるのに)
私はそう思いながら、荷物を詰め続けた。
◆ ◆ ◆
昼過ぎ、オフィスの電気がすべて落とされ、スタッフ全員でパーティー会場へ移動した。
会社のすぐ横の、シャンデリアが輝くお洒落なカフェバー。
高い天井、グレーの壁、大きな赤い絨毯。
テーブルには美しいオードブルが並ぶ。
スタッフたちは写真を撮ったり、
思い出話に花を咲かせたり、 最後の時間を明るく楽しもうとしていた。
その中心に、大山さんがいる。
人に肩を叩かれ、いつもの無表情で、会話の輪を渡り歩く姿。
(……やっぱり、行けないな)
「リアさん、本部長のところ、行かないんです?」
「ううん、もういいの。ほんとに」
「なんか……らしくないですよ。
逆に外で会ってるからいい的な?」
「ハハハ」
ミクちゃんの言葉が胸に刺さる。
――本当は最後にひと言だけでも「ありがとう」って言いたい。
でも、もしまた“仕事としての同僚”として返されたら?
もし、笑って流されてしまったら?
今日の私は、その可能性に耐えられない。
「それより、ミクちゃん、L社さんに就職決まったって聞いたよー!」
「今とは系統が結構違うお洋服なんで、できるかわからないですけど、頑張ります!」
「ミクちゃん本当に仕事できるし、素材や色の感覚も繊細だし、絶対すぐに活躍すると思う!」
「リアさんに育ててもらったおかげです!ありがとうございます」
二人だけの小さな時間、涙がじんわり溢れた。
そこへ、他の社員や後輩たちも声をかけ、みんなで別れを惜しむ。
笑顔と涙が混ざり合う会場で、私はひとり心の奥でぽつりと後悔する。
会場の終わりが近づくと、スタッフは帰る準備を始める。
私は皿を片付けていたら、大山さんの姿が見当たらなかった。
(あれ……?どこ……?)
店内を見回すと、出口付近で誰かに挨拶している大山さんの背中。
「あっ……」 声にならない声が漏れた。
私が一歩踏み出すより早く、大山さんは軽く頭を下げ、重役たちと共に会場を出ていく。
振り返ることもなく、まるで最初から私の存在など眼中になかったように。
(……そっか)
“最後くらい、言いたいことがあったのに” 喉の奥で、言葉がつっかえて出てこない。
隣にいたミクちゃんが改まってこちらを向いた。
「リアさん……今まで長いこと、本当にありがとうございました」
「ありがとう! ミクちゃんともっと早くから一緒にお話ししたりしておけばよかったって後悔してる」
「これからもしよかったらランチ行ったりして遊びましょう!」
「いいの?嬉しい!ありがとう」
無理に笑って見せ、ミクちゃんを見送った。
ひとりになった瞬間、胸の奥が静かに、でも確実に崩れ落ちた。
(あぁ……まただ)
仕事も、大山さんとの距離も、駒は進まなかった。
しかも彼は外資系ブランドへと転職が決まり、さらに遠くなってしまった。
(また、誰にも選ばれなかったんだ)
ぽつりと涙が頬を伝う。
誰もいない歩道で立ち止まり、深く息を吸う。
(……最後くらい、「また会おう」って言いたかったな……)
その一歩を踏み出す勇気は、どこにも残っていなかった。
夜風が頬をなで、涙の跡をそっと押し流す。
街灯がにじむ視界に、私は静かに歩き出した。
――こうして、私たちの最後の日は終わった。
本心は、結局ひと言も言えずに。
