昼下がりのオフィス。
人の気配がふっと薄くなる一階ロビーで、私は自販機の前に立ち尽くしていた。
「あー……ここ、小銭だけのやつだった……今日に限って……!」
電子決済が使えない古い自販機なのを、すっかり忘れていた。
財布はバッグの中。
席に戻って、また一階に降りる――その往復を社内の目に見られると、妙に気まずい。
(今日は甘いものじゃないと無理なのに……)
諦め半分で踵を返そうとした瞬間、背中に影が落ちた。
「どれですか?」
振り返ると、大山さんの指先が、もう操作パネルの上にある。
「え……あ、その……カフェラテ……」
「了解」
パン、と迷いのない音に、商品が落ちる大きな音が重なる。
次の瞬間、温かい缶がそっと私の手のひらに乗せられた。
まるで体温を預けるみたいに。
「……わ、ありがとうございます。あとで返します!」
「小銭切れてる時って、地味に詰みますよね。では」
淡々と告げて、彼は隣の自動販売機を見渡し始める。
(“では”? いや、待って……これは受け取り逃げみたいで逆に申し訳ない……!)
「あの、でも最近ずっといろいろ買ってもらってますし、私どうすれば……?」
振り返った大山さんは、ほんの一拍だけ目を細めた。
「男って、頑張ってる女性には買ってあげたくなるもんなんで」
「え……?」
彼は戻ってきて、自分の分も同じ缶を購入し、私の持つ缶にコツンと当てた。
「乾杯」
そのままエレベーターへ入っていく後ろ姿をただ茫然と見送ってしまった。
(救世主……? いやいや、落ち着いて。優しい人は誰にでも優しいんだから)
振られたばかりの男友達の顔が一瞬よぎる。
浮かれちゃいけない、と言い聞かせても、手のひらのぬくもりだけは離れなかった。
◆ ◆ ◆
夕方。終業五分前。
「大島さん、これ今日中でお願いできます? ちょっと本当に急ぎで……」
(……絶対今日中に終わらないやつ……)
倒産発表前から、いつもこちらに面倒なものを押し付けてくる同僚だ。
手元にはずっしりと重さを主張する書類。閉店セールの難航案件だった。
断れない性格――元カレにも“都合のいい存在”にされてきたことを思い出し、声が出なくなる。
「すみません。それ、今渡す仕事じゃないですよね?」
背後から落ちる影。今度ははっきりと、私を庇う壁みたいな存在感。
大山さんだ。
(今日……二度目……?)
「え、本部長……」
「先週からそちらの部署に渡してある案件ですよね。
この状況でもまだ大島さんに負担かけるの、やめてもらっていいですか」
静かな声。なのに、反論を許さない温度。
「い、いや……その……」
「そこの工場さん、二十時まで開いてますよ。今日中に出してください。
──じゃ、大島さん。下で待ってます。五分後に」
歩き去る背中は、どこまでも迷いがない。
残された同僚が、わざとらしく苦笑する。
「……本部長と予定あったんですね」
横でミクちゃんが、どんどん口元を押さえきれなくなっている。
「聞きました!? 『大島さんに負担かけるのやめてもらっていいですか!』ですよ!?
ウケるんですけど!!」
「いやいや……」
「『五分後に』って、何その当然の彼氏ムーブ! どこからツッコめばいいの!」
「はは……」
「勝手にキュンキュンさせてもらいますんで、楽しんできてくださいね〜!」
ミクちゃんは楽しそうに手を振る。
(……なんで今日、こんなヒーローみたいなの……?
そんなに、私って助けが必要に見えてるのかな……)
熱くなる頬を両手で抑える。
浮かれちゃいけない、と思うのに。
“守られた記憶”を頭の中で何度もリプレイしてしまう。
私は急いで荷物をまとめ、一階へ向かった。
人の気配がふっと薄くなる一階ロビーで、私は自販機の前に立ち尽くしていた。
「あー……ここ、小銭だけのやつだった……今日に限って……!」
電子決済が使えない古い自販機なのを、すっかり忘れていた。
財布はバッグの中。
席に戻って、また一階に降りる――その往復を社内の目に見られると、妙に気まずい。
(今日は甘いものじゃないと無理なのに……)
諦め半分で踵を返そうとした瞬間、背中に影が落ちた。
「どれですか?」
振り返ると、大山さんの指先が、もう操作パネルの上にある。
「え……あ、その……カフェラテ……」
「了解」
パン、と迷いのない音に、商品が落ちる大きな音が重なる。
次の瞬間、温かい缶がそっと私の手のひらに乗せられた。
まるで体温を預けるみたいに。
「……わ、ありがとうございます。あとで返します!」
「小銭切れてる時って、地味に詰みますよね。では」
淡々と告げて、彼は隣の自動販売機を見渡し始める。
(“では”? いや、待って……これは受け取り逃げみたいで逆に申し訳ない……!)
「あの、でも最近ずっといろいろ買ってもらってますし、私どうすれば……?」
振り返った大山さんは、ほんの一拍だけ目を細めた。
「男って、頑張ってる女性には買ってあげたくなるもんなんで」
「え……?」
彼は戻ってきて、自分の分も同じ缶を購入し、私の持つ缶にコツンと当てた。
「乾杯」
そのままエレベーターへ入っていく後ろ姿をただ茫然と見送ってしまった。
(救世主……? いやいや、落ち着いて。優しい人は誰にでも優しいんだから)
振られたばかりの男友達の顔が一瞬よぎる。
浮かれちゃいけない、と言い聞かせても、手のひらのぬくもりだけは離れなかった。
◆ ◆ ◆
夕方。終業五分前。
「大島さん、これ今日中でお願いできます? ちょっと本当に急ぎで……」
(……絶対今日中に終わらないやつ……)
倒産発表前から、いつもこちらに面倒なものを押し付けてくる同僚だ。
手元にはずっしりと重さを主張する書類。閉店セールの難航案件だった。
断れない性格――元カレにも“都合のいい存在”にされてきたことを思い出し、声が出なくなる。
「すみません。それ、今渡す仕事じゃないですよね?」
背後から落ちる影。今度ははっきりと、私を庇う壁みたいな存在感。
大山さんだ。
(今日……二度目……?)
「え、本部長……」
「先週からそちらの部署に渡してある案件ですよね。
この状況でもまだ大島さんに負担かけるの、やめてもらっていいですか」
静かな声。なのに、反論を許さない温度。
「い、いや……その……」
「そこの工場さん、二十時まで開いてますよ。今日中に出してください。
──じゃ、大島さん。下で待ってます。五分後に」
歩き去る背中は、どこまでも迷いがない。
残された同僚が、わざとらしく苦笑する。
「……本部長と予定あったんですね」
横でミクちゃんが、どんどん口元を押さえきれなくなっている。
「聞きました!? 『大島さんに負担かけるのやめてもらっていいですか!』ですよ!?
ウケるんですけど!!」
「いやいや……」
「『五分後に』って、何その当然の彼氏ムーブ! どこからツッコめばいいの!」
「はは……」
「勝手にキュンキュンさせてもらいますんで、楽しんできてくださいね〜!」
ミクちゃんは楽しそうに手を振る。
(……なんで今日、こんなヒーローみたいなの……?
そんなに、私って助けが必要に見えてるのかな……)
熱くなる頬を両手で抑える。
浮かれちゃいけない、と思うのに。
“守られた記憶”を頭の中で何度もリプレイしてしまう。
私は急いで荷物をまとめ、一階へ向かった。
