《TwilightNotes ― 夜明けに鳴る音》

 タクシーのドアが閉まり、夜の街がゆっくりと遠ざかっていく。
 窓の外を流れる光を追いながら、麻里奈は無意識に胸元へ手を伸ばした。
 
 逃げるように手を引かれ、言葉も見つからないまま飛び乗った車。
 けれど――その手のぬくもりだけは、まだ掌に残っていた。
 
 やがて車は住宅街の一角で停まり、大和が「ここ」と小さく呟く。
 案内された先は、築浅のコンパクトな建物だった。
 
 扉を開けると、広めのフローリングスペース。
 壁一面の鏡と、音響機材。
 そこは、まるで“何かが始まる前の場所”のように静かだった。
 
「ここ……スタジオ?」
 
 麻里奈の問いに、大和は少し照れたように頷く。
 
「うん。自宅兼、スタジオ。……昔から、踊れる場所が欲しかったんだ」
 
 鏡の前に立ち、自分の姿を見る。
 今日の服も、今の自分も――どこか借りものみたいで、まだ馴染まない。
 
 けれど。
 
「……俺、ほんとはさ」
 
 背後から、静かな声が落ちてきた。
 
「昔、ダンサーになりたかったんだ。
 目立つのは苦手だったけど……踊ってる時だけは、素直でいられた」
 
 ゆっくり振り返ると、大和は懐かしむような眼差しで、まっすぐにこちらを見ていた。
 
「でも、あの日――文化祭で、君と一緒にステージに立った時、全部が変わった」
 
「……え?」
 
「歌って、踊って……“届けたい”って、初めて思えた。
 上手くやるんじゃなくて、心ごと届けたいって。
 君の歌を聴いて、そう思ったんだ」
 
 そう言って、大和は小さく笑う。
 その表情は、あの日の少年のままだった。
 
「俺が今ここにいるのは……きっと、あの日、君がいたからだよ」
 
 麻里奈は息を呑み、視線を落とす。
 忘れたふりをしていた記憶が、彼の言葉で静かに息を吹き返す。
 
「……覚えててくれたんだね。
 私も……あのステージ、ずっと忘れられなかった」
 
 一歩、距離が縮まる。
 大和はそっと、彼女の前に手を差し出した。
 
「もう一度……あの時みたいに、誰かと何かを作る喜びを信じてみたくなった。
 だから、今度は――ゆっくり、ちゃんと……会えないかな」
 
 一瞬、麻里奈は目を見開き――
 それから、照れくさそうに、でも確かに嬉しそうに、その手を取った。
 
 微かに震える指先を包み込みながら、大和が笑う。
 心から安堵したように、無邪気に。
 
 その笑顔を見た瞬間、麻里奈の胸に、ふと影がよぎった。
 
(……もう、誰にもこの時間を壊されたくない)
 
 願うように、彼女はそっと手を握り返した。