《TwilightNotes ― 夜明けに鳴る音》

 黄昏が、ビルの隙間ににじんでいた。
 
 事務所の裏手。
 人通りの少ない通路に、足音だけが小さく響く。
 
「……麻里奈さん」
 
 その声に振り返ると、そこに立っていたのは大和だった。
 帽子を深くかぶり、マスクで顔を隠している。それでも、その輪郭はすぐにわかる。
 
「桜井くん……どうしてここに?」
 
「……昨日から、ずっと気になってたんだ。大丈夫だった?」
 
 一瞬、言葉に詰まり、麻里奈は曖昧に笑ってうなずく。
 
「うん。大丈夫。酔っちゃって……須田さんに送ってもらっただけだから」
 
 その言葉に、大和は小さく息を吸い、視線を落とした。
 
「……それって、須田さんの部屋……だよね?」
 
 静かに問われた一言。
 麻里奈の肩が、びくりと震える。
 
「えっ……う、うん。でも、でもっ、何もなかったの! 本当に!  私、酔いつぶれてただけで……ちゃんと服も着てたし……!」
 
 早口になる。
 自分でも、焦っているのがわかった。
 
 大和はそんな麻里奈を見つめ、ふっと目を細めると、周囲へ視線を走らせた。
 
「……やっぱり、来てる」
 
「え?」
 
 その言葉に、背筋がひやりとする。
 彼の視線の先――通路の向こうに、スーツ姿の男が立っていた。
 
 須田光輝。
 
 事務所の方から足早に歩いてきて、落ち着かない様子で辺りを見渡している。
 その目は、何かを探している――いや、“誰か”を探している目だった。
 
 視線が、こちらに向きかけた、その瞬間。
 
「……来て!」
 
 大和が、麻里奈の手を掴んだ。
 
「えっ――」
 
「とにかく今は……!」
 
 強く引かれ、訳もわからないまま駆け出す。
 狭い路地。夕暮れの光が足元で揺れ、靴音がコンクリートに弾いた。
 
 背後では、光輝が足を止め、こちらを探すように立ち尽くしている。
 
「……いたのに」
 
 低く漏れた声は、夜気に溶けて消えた。
 
 走りながら、麻里奈は前を行く大和の背中を見つめる。
 必死に手を引くそのぬくもりが、不思議と心を落ち着かせた。
 
 ――守ってくれてる。
 
 あの頃、ただ遠くから見ていた背中。
 今は、その手が確かに自分を導いている。
 
 その事実が、胸の奥をやさしく揺らす。
 けれど同時に、
 
 ――この手を離したら、何かが終わってしまう。
 
 そんな予感が、ひそやかに、確かに、心の奥で鳴っていた。