《TwilightNotes ― 夜明けに鳴る音》

 ブティックの扉を開けた瞬間、ふわりと柔らかな香水の香りが漂った。
 朝の光がショーウィンドウを透かし、白いマネキンたちが静かに並んでいる。
 まだ営業時間前だというのに、店内にはすでに数名の店員の姿があった。
 
「今朝、オーナーに連絡しておいたから。貸し切りだ」
 
「……え?」
 
 麻里奈は思わず足を止めた。
 けれど光輝は振り返ることもなく、そのまま奥へと進む。
 
 ラックの前で立ち止まり、迷いのない手つきでワンピースを一着取り上げた。
 
「これ、いいな。色も麻里奈くんに合ってる。……ほら、試着してみろよ」
 
「えっ……でも、こんな高そうな……」
 
「いいから」
 
 やわらかな声音。
 それなのに、その一言には“選択肢”がなかった。
 
 手渡された服を抱えた瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
 ――優しく笑いながら、首輪をかけられるような感覚。
 
 試着室のカーテンを閉めた瞬間、麻里奈は小さく息を吐いた。
 
(……これって、私の意思、どこにあるんだろう)
 
 逆らえば、場の空気を壊してしまう。
 でも、従えば従うほど、自分の“境界線”が曖昧になっていく気がした。
 
「どうだ? 似合うか?」
 
 カーテンの外から光輝の声がする。
 
 鏡の中の自分は、確かに綺麗に見えた。
 けれどそれは、“自分らしい姿”ではなかった。
 
 ――彼の理想に合わせて整えられた、誰か。
 
「……ありがとうございます」
 
 そう言って、口元を持ち上げる。
 作った笑顔。それしか、できなかった。
 
 光輝は満足げにうなずく。
 
「よし、じゃあそれ、買っていくぞ。
 今日の仕事もそれで出よう。俺のセンスに間違いはないからな」
 
(まるで……着せ替え人形みたい)
 
 麻里奈は笑顔のまま、心の中で小さく悲鳴を上げた。
 そして――鏡越しに映る自分の瞳が、ほんのわずか揺れていることに気づく。
 
 それが、
 彼の“優しさ”を、怖いと思った理由だった。