夜の風が、まだ少しだけ夏の香りを運んでいた。
人気のない小さな公園のベンチに、麻里奈はそっと腰を下ろす。
街灯の光が木々の影を揺らし、遠くで虫の声が響いていた。
「ごめん、待った?」
帽子を目深にかぶり、マスク姿の青年が息を切らして駆けてくる。
その声と、覗く瞳だけで――誰なのかはすぐにわかった。
「ううん、今来たところ」
そう答えた麻里奈の声は、ほんのわずかに揺れていた。
ふたりの間に、やわらかな沈黙が落ちる。
誰もいないベンチ、街灯に照らされた静かな空間。
「……こんなふうに、また会えるなんて思わなかったよ」
大和が、ぽつりとこぼす。
「うん。私も、ちょっと……信じられない」
ぎこちなく笑い合って、また静かになる。
それでも、気まずさではなかった。
「……高校のときさ」
不意に、大和が口を開いた。
「駅で、麻里奈の後ろ姿を見て……声、かけられなかったんだ」
「え?」
「話したくてたまらなかったのに、足がすくんじゃって……。
なのに今、こうして目の前にいる。変な感じだよな」
麻里奈は、その横顔を見つめる。
大人になったはずなのに、どこか変わらない、不器用な彼。
ふと、大和の手が動いた。
麻里奈の手のすぐそばまで伸びて――けれど、途中で止まる。
(……気づいてるよ)
触れたかった気持ちも、引っ込めた優しさも。
全部、伝わっていた。
だから麻里奈は、何も言わず、そっと微笑んだ。
「また……会ってくれる?」
大和の声が、夜風に揺れる。
「うん……私も、そう思ってた」
その一言で、大和の表情がぱっと明るくなる。
少年みたいな笑顔。
その眩しさに、麻里奈の胸がきゅっと締めつけられた。
「ほんとはさ……今日、めちゃくちゃ緊張してた」
「え?」
「“また会いたい”って言っていいのか分からなくて。
でも、言えてよかった。……麻里奈が、いてくれてよかった」
不意打ちみたいな真っ直ぐな言葉に、胸の奥が熱くなる。
押さえていた何かが、静かに溶けていく感覚。
「……大和くん、変わってないね」
「え?」
「高校のときも、そうだった。
優しいくせに、不器用で……でも、すごく真っ直ぐ」
「そっか……。じゃあ、俺、頑張ってみてもいい?」
「……何を?」
「もう一度、ちゃんと……麻里奈に近づいていくこと」
麻里奈は、返事の代わりに小さくうなずいた。
その瞬間、ベンチの上の空気がふわりと変わる。
――ふたりの時間が、また動き出した。
帰り道。
公園を出たあとの道は、静かだった。
街灯が足元をやさしく照らし、虫の声が夜に溶けていく。
「今日は……ありがとう。来てくれて」
「ううん。誘ってくれて嬉しかったよ」
並んで歩く距離は、さっきよりも少し近い。
なのに、不思議と前より緊張している。
(近づいたはずなのに)
(だからこそ、意識しちゃうのかな)
そんなふうに思っていた、そのとき――
「……あのさ」
「え?」
「こっち、段差あるから……」
差し出された手。
気づけば、麻里奈はその手を自然に握っていた。
一瞬、ふたりとも無言になる。
けれど、手を離す理由なんて、どこにもなかった。
「……あの頃より、少し勇気出せたかも」
ぽつりとこぼした大和の声に、麻里奈は微笑む。
「私も。たぶん……同じくらい」
そのまま、手をつないで歩く夜道。
重ねた指先のぬくもりが、胸の奥をやさしく照らしていた。
人気のない小さな公園のベンチに、麻里奈はそっと腰を下ろす。
街灯の光が木々の影を揺らし、遠くで虫の声が響いていた。
「ごめん、待った?」
帽子を目深にかぶり、マスク姿の青年が息を切らして駆けてくる。
その声と、覗く瞳だけで――誰なのかはすぐにわかった。
「ううん、今来たところ」
そう答えた麻里奈の声は、ほんのわずかに揺れていた。
ふたりの間に、やわらかな沈黙が落ちる。
誰もいないベンチ、街灯に照らされた静かな空間。
「……こんなふうに、また会えるなんて思わなかったよ」
大和が、ぽつりとこぼす。
「うん。私も、ちょっと……信じられない」
ぎこちなく笑い合って、また静かになる。
それでも、気まずさではなかった。
「……高校のときさ」
不意に、大和が口を開いた。
「駅で、麻里奈の後ろ姿を見て……声、かけられなかったんだ」
「え?」
「話したくてたまらなかったのに、足がすくんじゃって……。
なのに今、こうして目の前にいる。変な感じだよな」
麻里奈は、その横顔を見つめる。
大人になったはずなのに、どこか変わらない、不器用な彼。
ふと、大和の手が動いた。
麻里奈の手のすぐそばまで伸びて――けれど、途中で止まる。
(……気づいてるよ)
触れたかった気持ちも、引っ込めた優しさも。
全部、伝わっていた。
だから麻里奈は、何も言わず、そっと微笑んだ。
「また……会ってくれる?」
大和の声が、夜風に揺れる。
「うん……私も、そう思ってた」
その一言で、大和の表情がぱっと明るくなる。
少年みたいな笑顔。
その眩しさに、麻里奈の胸がきゅっと締めつけられた。
「ほんとはさ……今日、めちゃくちゃ緊張してた」
「え?」
「“また会いたい”って言っていいのか分からなくて。
でも、言えてよかった。……麻里奈が、いてくれてよかった」
不意打ちみたいな真っ直ぐな言葉に、胸の奥が熱くなる。
押さえていた何かが、静かに溶けていく感覚。
「……大和くん、変わってないね」
「え?」
「高校のときも、そうだった。
優しいくせに、不器用で……でも、すごく真っ直ぐ」
「そっか……。じゃあ、俺、頑張ってみてもいい?」
「……何を?」
「もう一度、ちゃんと……麻里奈に近づいていくこと」
麻里奈は、返事の代わりに小さくうなずいた。
その瞬間、ベンチの上の空気がふわりと変わる。
――ふたりの時間が、また動き出した。
帰り道。
公園を出たあとの道は、静かだった。
街灯が足元をやさしく照らし、虫の声が夜に溶けていく。
「今日は……ありがとう。来てくれて」
「ううん。誘ってくれて嬉しかったよ」
並んで歩く距離は、さっきよりも少し近い。
なのに、不思議と前より緊張している。
(近づいたはずなのに)
(だからこそ、意識しちゃうのかな)
そんなふうに思っていた、そのとき――
「……あのさ」
「え?」
「こっち、段差あるから……」
差し出された手。
気づけば、麻里奈はその手を自然に握っていた。
一瞬、ふたりとも無言になる。
けれど、手を離す理由なんて、どこにもなかった。
「……あの頃より、少し勇気出せたかも」
ぽつりとこぼした大和の声に、麻里奈は微笑む。
「私も。たぶん……同じくらい」
そのまま、手をつないで歩く夜道。
重ねた指先のぬくもりが、胸の奥をやさしく照らしていた。


