A D2245からの逃亡者。未来からやってきた彼は、亡き恋人の生まれ変わり?

「お父さん、骨折して入院してるのよ。由衣、一度様子を見に帰ってこれない?」

仕事から帰宅した途端、母からかかってきた電話に由衣は動揺する。

「何で骨折しちゃったの?」

「屋根の雪を下ろしてる最中に、滑って落っこちてしまったのよ。この前の寒波で、だいぶ雪が積もったからね」

「危ないね。高齢なんだから、あまり無理しないでと言っておいてね。じゃあ、有給取れたら連絡するね」

年末年始が過ぎてから帰省しようと思ってたが、どうやらその前に帰省しなければいけない事態になってしまった。本音を言うなら、正月が過ぎても適当な理由を考えて、帰省は無理だと言いたかったのだが……。

有給とはいえ、何日も取りたくなかった。
今までは新幹線で帰省していたが、今回は移動時間が少ない飛行機で帰省することにした。



  ※     ※     ※       



空港に到着し、タクシーから降りると、由衣は小走りに玄関から駆け込む。
1時間前には到着するつもりでいたが、少し遅くなってしまった。
搭乗手続きを終えると、保安検査の列に並ぶ。平日とはいえ、少し混雑している。なかなか列が前に進まないため、由衣は次第に焦ってくる。
やっと保安検査を終えて搭乗口に着くと、出発まであと10分しかなかった。
ひとまずベンチに腰を下ろし、横にバックを置く。

今回の帰省は、1泊2日の予定だ。
ここ、北関東から北東北まで、飛行機での往復なら日帰りも可能だ。だが日帰りだと、母はいい顔をしないだろう。
いつもの帰省より日数は少ないが、泊まるのは1日だけにした。
たぶん母は、もっと泊まれば? と言うにちがいない。

(父の様子を見に行くだけなんだから、1泊でも充分よね)

由衣は立ち上がり、バックを手に持つ。
その時、誰かが由衣の名を呼んだ。

「由衣!」

(えっ、この声は、レオ?)

振り返ると、レオが一目散に駆けてくるのが見えた。
今日、帰省することはレオには伝えていないのに、なぜレオがここにいるのか不思議に思った。

「由衣! 行くな! 乗るな!」

レオが叫ぶ。

(えっ? どういうこと?)

近くにいた人々が、何事かとレオを見る。
由衣の前で、レオが立ち止まる。

「レオ、どうしたの? びっくりしたわ。今日、帰省すること、飛行機に乗るって言ってないよね。何で分かったの?」

「今、説明するよ。とりあえず、座ろう」

「でも、もう行かないと、飛行機乗れないわ」

「ダメだ、この飛行機には乗るな」

レオは由衣の手を取り、無理やりベンチに座らせると、レオも隣に座る。

「由衣、落ち着いて聞いてくれよ」

レオの、いつにない真剣な面持ちを見て、由衣は頷く。

「実は、今日は由衣の命日になってしまう日なんだ。あそこに見える、まもなく飛び立とうとしている飛行機は、緊急着陸した米軍の戦闘機を避けきれずに衝突する運命なんだ。たくさんの死傷者が出る、大惨事となるんだ」

由衣はポカンとしながら、レオの話しを聞いていた。
レオが何を言ってるのか分からない。言葉の1つ1つは分かるのだが、文章として頭に入ってこない。支離滅裂にさえ感じる。
一時、頭の整理をして、一呼吸置いてから口を開く。

「えっと、ということは今、私があの飛行機に乗ったら、死んでしまうってこと?」

レオが深く頷く。
その真剣な瞳から、レオの話しが冗談ではなく、現実味を帯びてくる。
外に視線を転じると、今まさに飛行機が動き出したところだ。

(あの飛行機に、戦闘機が追突?)

夕刻のこの飛行機が、今日の最終便だ。
トラブルがあって行けなくなったと、母に電話しないといけない。

(また、母に文句を言われるわね)


「でも、間に合って良かったよ。マサトから車を借りて、飛ばしてきたんだよ。由衣が、もう飛行機に乗ってたらどうしようかと思ったよ」

レオの顔に安堵の色が広がる。

「もしかしてレオって、未来を予知できる超能力を持ってるの?」

「いや、そういうのはないよ。詳しいことは後で言う。それより早く、ここから出よう。空港のビルも、事故のとばっちりを受けるかもしれない」

レオは由衣の手を握ると立ち上がり、由衣のバックを空いたほうの手で持つ。つられて由衣も立ち上がると、レオに強い力で引っ張られながら歩き出す。次第にレオは駆け足になり、由衣もそれに合わせる。

その時、凄まじいエンジン音が響いた。空港ビルの窓から外に目を向けると、滑走路に不時着? したらしい戦闘機が見えた。レオも窓の外に目を向ける。

「大変だ! 早く逃げよう!」

レオが叫ぶ。

(レオの言う通り、あの戦闘機が飛行機にぶつかってしまうの?)

由衣は、にわかに恐ろしくなる。
着陸しても、戦闘機はすぐには止まれないだろう。管制官から機長に、ちゃんと情報や指示が出てるのだろうか? 
レオの話しが現実になるのなら、管制官と機長、どちらかにミスが生じてしまうのかもしれない。

空港ビルから出た途端、耳をつんざくような爆音が轟く。由衣とレオは同時に、爆音がした方向を見た。
戦闘機が飛行機の中央の辺りに衝突し、激しく炎が燃え上がっていた。
目を覆いたくなるほどの大惨事に、2人は一時その場に立ち尽くす。
瞬く間に、2つの機体は炎に包まれていった。両者に甚大な被害が生じてるのを想像し、由衣は言葉を失う。
どれくらいの死傷者が出てしまうのか、想像するだけで恐ろしくなる。機内は阿鼻叫喚の渦に巻き込まれているだろう。

(本来なら、私があの飛行機に乗ってたのね……)

由衣は身震いする。
2度目の爆発が起きた。破片が周囲に飛び散った。

「さあ、早く!」

レオに手を引かれ、由衣はハッとする。
2人は玄関に横付けして停めていた車へと走った。車に乗り込むと、すぐさまレオが発進させる。
由衣は震えていた。

(レオが来なければ、私は今日、死んだ……?)

凄惨な現場を横目に見ながら、次第に車は空港から遠ざかっていく。
反対車線の前方から、消防車と救急車がサイレンを鳴らし、こちらに向かってくる。
何台も連なり、猛スピードでレオが運転する車の横を通り過ぎていく。
レオは固い表情で前方を見据え、ハンドルを握っている。
やがて、レオが口を開く。

「僕がこの時代に来たのは、実は由衣を助けるためでもあったんだ」

「えっ?」

意外だった。レオが今の時代に来たのは偶然だと、由衣は思っていた。

「僕の時代から過去に逃げようと決心した時、過去のどの時代がいいのか、様々な新聞記事を読み漁っていたんだ。その中で凄惨な事故や事件の記事には、どうしても目を引かれてしまって、思わず読んでしまってた。2025年の今日の飛行機事故の記事を読んで、びっくりしたよ。死亡した人の顔写真の中に、由衣の写真があったんだ。マリにそっくりだから驚いた。そして、どうしても由衣を助けたいと思った」

レオが今の時代に来た意味を知り、由衣は驚く。

(偶然ではなく、レオは今の時代を選んだ。私を助けるために……)

「そう、だったんだ。じゃあ、レオは命の恩人なのね、ありがとう、助けてくれて」

由衣は感激し、レオの横顔を見つめる。

「うん、意図的に歴史を変えてしまうのは良くないんだけど、由衣をどうしても守りたかった。今さらだけど、今日事故が起こること、もっと早く伝えるべきだったかな」

レオが手を伸ばし、由衣の手を握りしめる。

「最初は、この時代に来てすぐに由衣を見つけるのは難しいと思ってたから、今日この日にさっきの空港に行くつもりだった。でも、なぜか上手い具合に、あの電車で由衣と出逢えた」

「未来でレオが私を見つけてくれて、嬉しいわ。レオがこの時代に来た瞬間、あの電車で出逢えたのは、宿命というか最初からそういうシナリオだったのかもしれないね」

レオとの出逢いに、目には見えない何か大きな力が作用しているように、由衣は感じた。

「そうだね、そう考えると、納得できるよ」

レオは深く頷いた。


「そういえば、さっきの事故、亡くなった人が不憫でたまらない……」

由衣は先ほどの惨劇を思い、悲痛な面持ちになる。

「そう、だね。正確な人数までは思い出せないけど、新聞記事には乗客200数十人のうち、亡くなった人は40何人? と書いてたように思う」

レオは眉を寄せる。

「ちょっと休もうか」

前方に見えてきたコンビニの駐車場に、レオは車を停めると、

「何か飲み物買ってくるね」

「えっ、レオ、今の時代のお金あるの?」

「大丈夫、あるよ。マサトから借りてある」

レオが車から降りると、バックの中で着信音が鳴った。
スマホを取りだす。母からだ。

「由衣? 今テレビで飛行機事故のニュースやってるのよ。由衣が乗る飛行機だったからびっくりしたわよ! あなたは無事だったの? 怪我してないの?」

息せき切って、母が畳み掛ける。

「大丈夫よ、お母さん。ちょっとトラブルがあって、あの飛行機には乗ってないの。安心して」

「えっ、乗ってなかったの? そうだったの? 乗らなくて良かったってことだね。あ~良かった、あの爆発を見たら、もうびっくりしてお母さん、心臓止まりそうだったのよ」

「そうよね、私、空港までは行ったから、一部始終を見てたの。ホント怖かった。乗らなくて良かった」

「うんうん、乗らなくて良かったよ。
じゃあ由衣、こっち帰ってくるのは、またの機会になるの?」

「そうだね。また有給取って、今度は新幹線で帰るね」

「分かった、ちゃんと連絡してね、待ってるね」

電話を終えると、由衣はホッとひと息つく。
両親を悲しませる事態にならなくて良かったと、心からそう思った。

(これも、レオのおかげだわ。レオに感謝しないと)

レオが買い物を終えて、戻ってくる。
レオが差し出すホットコーヒーを受け取り、

「ありがとう。今、母から電話がかかってきたの。事故のニュースを見て、びっくりしたって。私は飛行機に乗ってないと言ったら、ホッとしてたわ」

「そっか、お母さん、驚いただろうね」

「私が助かったのは、レオのおかげだわ。ホントにありがとう。いくら感謝してもしきれないわ。もし仮に、今日死んでしまったとしたら、この世に未練が残ったままだったかも。レオに巡り会えて、これから幸せになるはずだったのにって」

本来であれば、今日死んでいた。だけど、レオによって生かされた。1つしかない命を救われた。感動で目の奥が熱くなる。

「由衣を助けたのは、僕の使命だと思ってる。由衣の感謝の気持ち、嬉しいよ」

「レオ……」

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

レオはゆっくりと車を発進させる。
ハンドルを握るレオに、由衣は時折目を向ける。
由衣の胸が、温かいもので満たされていった。




  ※     ※     ※  



スーパーマーケットで買い物を終えた由衣は、マサト達の住居へと向かう。彼らに手作りの料理をご馳走するためだ。
やっと父の様子を見るための帰省も終わり、時間的に余裕ができた。            
父は、あと1週間ほどで退院できるらしい。その後、自宅での静養を経て仕事に復帰する予定だ。
父も、あの飛行機の事故の件を母から聞いて大層驚き、由衣が無事だったことを喜んでいた。

(親より先に死ぬのは、きっと親不孝だよね……)

レオのおかげで生きていられて良かったと、心底そう思う。


マサト達の住居に着くと、早速キッチンへと向かう。
材料を取り出して並べていると、気配に気づいたマサトが顔を出す。

「あっ、由衣さん。こんにちは。今日何か作ってくれるの?」

「こんにちは。うん、和食のメニューにしようと思ってる。といっても、実は料理はそんなに得意じゃないから、あまり自信ないから期待しないでね」

「作ってくれるなら何でもいいよ。楽しみだな~」

マサトは嬉しそうに微笑む。

「ありがとう。出来上がったら声かけるね」

和食に決めたのは、恐らく皆、家庭の味に飢えてる? と想像したからだ。
メニューは肉じゃが、天ぷら、出し巻き卵、味噌汁に決めた。
1度に4品目も作る機会などないから、手際よく進めることができるのか、由衣はちょっと不安だった。
肉じゃがと味噌汁は何度も作っているせいか、スムーズに調理できた。だが、出し巻き卵と天ぷらには苦戦した。
出し巻き卵に関しては、火が強すぎたのか、油の量が足りないのか、巻くスピードが早いのか遅いのか、少しぼろぼろで焦げ目が付きすぎていて、見た目が悪い。
でも食べてみると、まあまあ美味しく感じたので、よしとする。
天ぷらに関しては天ぷら鍋がなかったので、フライパンで作るしかなかった。そのせいなのか、それとも温度が低すぎたのかどうか分からないが、カラッと揚げることができなかった。
由衣は溜め息をつく。食べてみると少し油っぽいが、食べれないわけでもない。
海老、ししとう、かぼちゃ、せっかく3種類揃えたのだから、捨てるのももったいない。
ちょっと、べちゃっとしてるけど、それでも良ければどうぞ、と前おきしてから並べることにする。

肉じゃがの匂いに釣られたのか、マサトがキッチンに入ってくる。

「美味しそうな匂いだね。もう出来たの?」

「あと少しで出来上がるわ。肉じゃがに、もうちょっと火を通してからだね」

マサトが並べられた料理に目を見張る。

「わあ! こんなに作ったんだ。美味しそうだね」

「味の保証はできないけどね」

フフッと由衣は笑う。

「あれ、由衣、来てたんだ」

レオも匂いに釣られたのか、キッチンに入ってくる。

「すごいね! 由衣って料理上手なんだね」

「あっ、レオ。褒めるのは、食べてみてからにしてね」

少し照れたように由衣は言う。

「手伝うよ。出来上がった料理、食堂に運ぶね」

そう言うと、マサトが出来上がったものを運び始める。レオもそれにならう。

「ありがとうね」


やっと肉じゃがに火が通る。食べてみると、じゃがいもがほくほくしていて舌の上でとろける。唯一、これだけが自信作だ。レオが美味しそうに食べる姿を想像し、由衣の心が浮き立つ。
器に盛り付けると、早速食堂へと運ぶ。
いつの間にか、全員が席についていた。

「お待たせしました。皆、待っていてくれて嬉しいです。はっきり言って、あまり自信ありません。期待しないで、覚悟して食べて下さいね。あっ、唯一自信があるのが、この肉じゃがです」

由衣は肉じゃがを手で示し、にっこりと微笑む。

「由衣さん、僕達のためにいろいろ作ってくれて、ありがとう。皆、普段まともなもの食べてないから嬉しいよ」

マサトが感謝の言葉を述べる。

「由衣、ありがとう。自信なくたって、美味しいに決まってるよ。味わって食べるね」

レオは満面の笑みだ。
いただきます、と各々が言い始め、箸を手に取る。
由衣は微笑みながら、皆の様子を見守る。その一方、出し巻き卵と天ぷらを美味しく感じてくれるのか、少し不安でもあった。

「この黄色いの、初めて食べたけど、ふわふわしていて絶妙な美味しさだね」

1人が出し巻き卵を褒めた。

「うん、こんなの、未来では食べたことなかったよ。今の時代って、こんなに美味しいのを皆食べてるの?」

他のもう1人が絶賛する。
意外だった。出し巻き卵がこんなに褒められるとは、思ってなかった。

「美味しいって、ありがとう。それは出し巻き卵です。今の時代では、だいたいどこの家庭でもお母さんが作って、子供の弁当箱に入れたりしてます。未来では食べる機会はなかったのかな?」

由衣は食堂内を見渡し、皆に問いかけるように言う。

「そうだね。未来で兵役に就いてた頃は、完全栄養食品のようなサプリメントや、ゼリー、ペーストしか与えられなかったから、噛んでじっくり味わうなんてことはなかったね。子供の頃もそういう感じだったけど、時々母親が簡単な料理を作ったりはしてたね。でも、ここに並べられたような料理は、食べた記憶はないんだ」

そう、マサトが少し神妙な面持ちで説明する。

「うん、そう。僕らがいた時代は異常気象のせいで、食料不足だった。だから料理のための材料も少なくて、合成された食品が多かった。ここの時代の人々が羨ましく感じるよ。こんな、由衣が作ったような美味しい料理を普通に食べられるなんて」

レオが由衣を見ながらしみじみと語り、微笑みかける。

「そうなんだ。未来はちょっと殺伐としてたのね。合成された食品ばかりだと、食べる楽しみがないよね。私の料理、美味しいと思ってくれて嬉しい。ありがとう」

自分が作った料理を褒められた記憶はあまりなかったせいか、今回もレオに褒められて、由衣は満足する。

「このスープも美味しいよ。ほっとするような味だね。上手く言葉にできないけど、何か懐かしいような気がしてくる……」

マコトがしんみりとした面持ちで、味噌汁を味わっている。
由衣はマコトに目を向け、

「ありがとう。それは味噌汁だね。大豆から作られた発酵食品を使ってるの。たぶん未来には、もう味噌はないのかな」

「うん、なかったはずだよ。合成されたスープみたいなのはあったけど、こんなに美味しくはなかった。す~っと喉にしみ渡って、今のような寒い時期には体が暖まるね。この白いふわふわしたのも美味しいよ」

再びレオが褒めてくる。

「ありがとう。その白いのは豆腐だよ。今の時代だと、いろんな料理に使えるから重宝してるのよ」

由衣は全体を見回す。
箸を止めてる人は誰もいない。各々が料理を噛みしめ、何かに思いを馳せてるような表情に見える。味わって食べている皆を見ていると、嬉しさとともに胸の奥がキュッとなるような切なさが込み上げてくる。

(たぶん皆、未来の兵役で心身ともに疲弊してるのかな……)

だとしたら、自分が作った料理で少しでも癒すことができたらいい、と由衣は願う。

「そっか。これは味噌汁って言うんだね。何とも言えない、いい味だ。まだ幼かった頃、母が似たようなものを作ってくれて、食べた記憶がおぼろげにあるな」

マコトが遠くを見るような面持ちで、呟く。

「お母さん、どうしてるかな。勝手にあの時代から逃げて来て、俺って親不孝だな……」

マコトの瞳が潤んで見えた。
もしかしたら皆、同じ思いを抱いているのかもしれない。
今、彼らにどんな言葉をかけてあげたらいいのか、由衣は一時思い悩む。薄っぺらな言葉だと、伝わらないだろう。

「たぶん皆、同じ気持ちだろうな。両親に自分の思いを打ち明けたとしても、きっと逃げるなと引き止められるだろうし、黙って逃げるしかなかっただろうな」

そう言うと、レオがどこかが痛むような顔をして、目を伏せる。
各々が、悲しみとやりきれなさを抱えているのが伝わってくる。

「皆、強制的な兵役のせいで、精神的に疲弊しているのね……。少しでも救ってあげることができたらいいんだけど、私に何ができるんだろう」

言いながら、由衣は皆を見回す。
マサトが箸を止め、申し訳なさそうに言う。

「何か、しんみりさせちゃってごめんな。由衣さんの気持ち、嬉しいよ。たまにこうやって、美味しいものを作ってくれるだけでいいよ。もし、迷惑じゃなかったら、だけど」

「全然、迷惑じゃないです。皆、美味しそうに食べてくれるから、作りがいがあります。私の料理を必要としてくれる、少しでも皆の役に立つなら、本当に嬉しいです。もし、こういうのが食べたい、というリクエストがあったら言って下さいね。作れそうだったら頑張ります」

にっこりと由衣は笑う。
じゃあ、とレオが口を開く。

「この前テレビで見たんだけど、ハンバーグやシチュー、だったかな、見るからに美味しそうだったから、今度作ってほしいな。そういうのも、僕の時代にはなかったから食べてみたい。いいかな?」

「うん。もちろん、いいわよ。ただ、ハンバーグって手作りしたことないから自信ないけどね。自宅で練習してから、ここで作ってみるね」

別の方向から、1人が語り出す。

「由衣さん、こんなに作ってくれて、ありがとう。見ず知らずの僕達のために、頑張ってくれて嬉しい。ここに来てからも、心からリラックスできたことってないから、今日は美味しいものを食べて満たされた。どれも美味しかったけど、特にこの、ほくほくしたもの、とても美味しかった」

そう言うと、肉じゃがが入っている器を指し示す。

「ありがとう。それは肉じゃがだね。今日の料理の中で、唯一自信があったんです。じゃがいもを使って、肉と一緒に煮込んだの。それもたぶん、今の時代ではどこの家庭でも作ってると思う」

美味しそうに食べてくれる皆が、微笑ましい。

(頑張ったかいがあったわ)

「ご馳走さまでした」

と、各々が言い始める。

「どういたしまして。喜んでもらえて、私も嬉しいです」

満面の笑みで由衣が答える。

「食べ終わった食器を下げるの、手伝うよ」

マサトが立ち上がり、食器を手に取るとキッチンへと向かう。
マサトにならって、 皆も食器を下げ始める。
由衣が腕をまくり、食器を洗おうとすると、手伝うよ、と言いながらレオがシンクの前に歩み寄る。

「いいわよ、私が洗うから。レオは休んでいていいよ」

「でも、こんなにたくさん洗うの、大変だろう? 遠慮しなくていいよ」

レオが即座に蛇口から水を流し、洗い始める。
レオが手伝ってくれたおかげで、洗いものは短時間で片付いた。
皆、各々感謝の言葉を由衣に告げ、部屋に戻って行く。

「由衣、まだ帰らないよね? 部屋に来てくれる?」

「もちろん」と、由衣はレオを見つめる。
部屋に入ると、由衣はハッとする。

「そうだ、忘れてた。お花を飾ろうと思って、買ってきたの」

紙袋から、買ってきた鉢植えを取り出す。

「それ、何? 綺麗だね!」

レオが目を見開く。

「ポインセチアって言うの。冬になると花屋さんに出回るから、目を引かれるの。寒くなると葉っぱが赤く色づいてくるのよ」

「ふうん、初めて見たよ。僕の時代には、そもそも花はなかったから、花を売ってる店もなかった。考えてみると、実に味気ない時代だったな。今の時代のほうが、心が潤うよね」

「うん、そうかもね。花を愛でるのも癒されるしね。それに、さっき私が作った料理も食べられないのは、ちょっとつまんないよね」

由衣は同情に満ちた顔をする。

「そう、今の時代なら、由衣の美味しい料理がお腹いっぱい食べられるし、今の時代に来て良かったよ。早く、僕だけのために由衣が料理してくれる日々がやってくるのを、待ち望んでしまうよ」

レオの言葉に、ドキリとする。

(それって将来、私と一緒になりたい、結婚したい、ってこと?)

由衣は胸の中の弘樹に問いかける。
レオと結婚してもいい? と。
弘樹は無言で、ほのかな笑みを滲ませている。うんともすんとも言わない。
それは、肯定を意味しているのか?
心は自由だから、仕方ないと諦めている表情なのか?

(ごめんね、弘樹。生涯、弘樹以外愛さないと決めてたのに……)

「由衣、どうしたの?」

レオの言葉で、我に返る。

「あっ、ごめん。私の手作り料理で満足してくれるなら、いくらでも作るわ。レオが喜んでくれるなら、毎日でも」

「本当に? 嬉しいなぁ」

レオの顔が綻ぶ。

「そのためにも、ここで安全に暮らせるようにしないとなぁ。今のままだと、未来の上官達に怯えたまま過ごすことになるし、ずっと地下にいたままで、地上に出られないのは不便だ。このままだと、仕事に就くのも難しいしね」

「そうだね。レオが何の気がねもなく暮らせたらいいよね。今のままだと、私も不安だわ。その上官達は、何が何でもレオを捕まえないと気がすまないのかしら」

「恐らく、そうだろうな。どこかで諦めてほしいけど、そう甘くはないだろう」

2人はしばし、お互い考えこむように俯く。

「あっ、ごめんよ。暗くさせちゃって。ひとまず、座ろう」

レオがベッドに腰を下ろす。
由衣はポインセチアをどこに置こうかと、周囲を見回す。
ドアの横にあるカラーボックスに目が止まり、

「レオ、ポインセチア、ここに置いておくね。土が乾いたら、水をあげてね。3日に1回でいいと思う」

「そっか、花は水をやらないといけないんだね。初めて知ったよ。うん、わかった。由衣からの贈り物だから、大切にするよ」

由衣はレオの隣に座ると、あっ、と声を上げる。

「もう1つ、忘れてた。レオに食べてほしいと思って、買ってきたの」

バックから、小さなビニール袋を取りだす。

「今度は何?」

レオが興味深そうに覗きこむ。

「このパン、美味しいのよ。近所のパン屋さんで売ってるの。食べてみて。もしかして、未来にはパンもなかったの?」

由衣はレオの前に差し出す。
レオは袋を開けると、

「すごい、ふわふわしてる。見るからに美味しそうだ。パンは僕の時代にもあったけど高級品だったから、富裕層じゃないと買えなかったんだ。食べてもいいのかな?」

「うん、食べてみて。それ、クロワッサンっていうの。今の時代は特に高級品ではないから、値段はそんなに高くないの。でも、レオの時代は高級品だったって、意外だわ」

レオがひとくち食べると、

「こんな食感、初めてだ。ほんのりした甘味があって、美味しいね!」

「そうでしょう? 良かった。美味しいものは、何でもレオに食べてほしいって思うの。だから、思わず買ってしまうの」

「由衣、ありがとう。本当に由衣は、素敵な女性だよ」

レオは由衣の背に両腕を回し、ギュッと抱きしめる。
抱きしめるレオの腕の力が強すぎて、息苦しいくらいだ。

「レオ、ちょっと苦しいわ」

「ダメだ、離さない。今日はここに泊まってくれる?」

「うん、そのつもりでいたわ……」

レオは由衣を、ゆっくりと押し倒す。レオの唇が由衣のそれに重なる。由衣は目を閉じる。

「レオ、好きよ……」

「僕も、好きだよ」

甘美な時の始まりに、由衣は身を委ねていった。



 ※       ※      ※




しんとした静寂の中、かすかに響く音。
まだ夢の中を彷徨う由衣の、朦朧とした意識に混じりながら、時折聴こえてくる。それが何なのか、分からない。
耳をそばだてようとしても眠気に勝てず、思うようにいかない。

「マリ……」

(えっ? 今のはレオの声……)

それによって、由衣はまどろみから完全に覚めた。
横を向くと、枕もとの淡い照明の中にレオの横顔が見える。その表情に、由衣はハッとする。苦悶の色が滲み出ている。悪夢を見てるのだろうか?

「マリ……」

由衣はドキリとする。
今、レオは確かに、マリと言った。
未来の恋人、マリが夢に現れているのか。
レオの夢の中まで立ち入ることなどできない。それが歯がゆい。

(まだ、マリさんに未練があるのかしら?)

イヤ、未練がなくても夢に現れる場合もあるだろう。
例えば、誰かが夢に現れてほしいと願っても、現れるのはまれだし、願っていなくても現れる場合もある。
そうは思っても、いい気分ではない。
とはいえ、由衣も時折、弘樹の夢を見る。果たして、寝言を言ってるのかどうか、自分では確かめようもないが……。

(レオが目覚めたら、マリさんの夢を見てたの? とさりげなく聞いてみようかしら)

由衣は目を閉じ、再び眠りに就こうとした。が、目が冴えてしまって、なかなか寝付けない。辛抱強く、眠りが訪れるのを待ち続けた。




※       ※        ※




どこまで行っても代わり映えのしない密林の中を、レオ達は歩いていた。

(この風景、見たことある)

レオは、しきりに思いだそうとする。
そうだ。ここは確か、軍事境界線の近くの森の中。

(僕は、あの未来の時代から過去に逃げたはずなんだが、なぜ今ここにいるのか……?)

目の前の光景が、夢なのか現実なのか、判然としない。何のために、こんな森の中を歩いているのか、レオは思いだそうとする。
そうだ、敵の動向を探るため、偵察のために僕らの部隊は歩き続けているのだ。
いったい、どこまで行くのか。
前方には約10人ほどの兵士が歩を進めている。振り返ると、後方にも兵士達が連なっている。すると、すぐ後ろを歩く女性の兵士と目が合った。

(マリ?)

マリが目で微笑みかける。レオは混乱した。

(マリは死んだはずだ。なぜ、ここにいる?)

それとも、死んだと思ったのは何かの間違いで、本当は生きていたというのか?

「レオ、顔色悪いわよ。どうしたの?」

後ろからマリが話しかける。

「あ、ちょっと、めまいがするんだ」

「大丈夫?」

「うん、今のところ、何とか……」

マリが生きていたことに、動揺する。真相を確かめたいが、確かめる術などない。
やはり、何だかしっくりこない。今、森の中を歩いていること自体、現実感が希薄だ。
皆、無言で黙々と進んでいる。
地面に落ちている枯れ枝を踏みしめる音だけが響く。

その時、一発の銃声が鳴った。にわかに、緊張感が走る。皆、一斉にしゃがみ込み、銃を構える。レオは銃声が聞こえた方向に目を向ける。敵は1人なのか、複数なのか分からない。
しばらくそのままの体勢でいた後、上官が前進の手振りを示す。皆、一斉に立ち上がると走り始めた。すると再び、複数の銃声が鳴った。
レオの鼓動が激しくなる。

(こんな異国の地で死にたくない! 何としても生き延びるのだ!)

足がもつれそうになりながらも、レオは懸命に走った。仲間の兵士達が、移動しながら銃で応戦する。
再度、敵兵の銃声がした。と思うや否や、弾丸が耳もとをかすった。
レオの頬を、冷や汗が一筋流れる。思わす立ち止まってしまう。敵へ向けて銃を構えようとするが、体が動かない。

「レオ、かがんで……」

後ろから発せられたマリの声が、レオには聞こえなかった。
すると1人の敵兵が身をかがめて、ゆっくりとレオに近づいて来る。恐怖心で固まっているレオは、それに気づかない。
やがて、じりじりと接近してくる敵兵が、レオの視界の隅に入った。その途端、敵兵が銃を発砲した。銃声が聞こえ、レオはハッとする。

「レオ! 危ない!」

マリがレオに突進する。レオはマリに体当たりされ、激しく転倒した。と同時に、短い悲鳴とともに、マリがその場にくず折れた。
レオは一瞬、何が起きたのか分からなかった。地面から身を起こすと、マリがうつ伏せで倒れているのに気づく。

「マリ、マリ……」

レオは呼びかけながら、マリの体を仰向けにする。マリは眉根を寄せ、半開きの目でレオを見上げる。

「レオ……」

マリの心臓の辺りから、血が流れていた。マリがレオの盾となって、銃弾からレオを守ったことに気づく。

「マリ! マリ!」

レオはマリの肩に手をかけ、激しく揺さぶる。
自分の命を捨ててまで、レオを守ろうとしたマリが不憫でならなかった。

「愛してる……」

マリはそう呟くと、目を閉じた。
悲しみが一気に溢れ出し、レオは叫んだ。

「マリ! マリ~!」




※       ※        ※




由衣はビクッとして目覚めた。顔を横に向ける。レオの息が荒い。

(今、またマリって言ってなかった? やっぱり、マリさんの夢を見てたのね)

自分の声に驚いたのか、レオは完全に目覚めたようだ。

「レオ、大丈夫?」

由衣はレオに目を向けながら問う。由衣と目が合ったレオは、やや呆然とした面持ちで、

「あ、あぁ、今のは夢か……」

ホッとしたように呟く。

「マリさんの夢、見てたの?」

レオは少しの間を置いて、

「うん……」

「マリ、って、大きな声出してたから、びっくりしたわ」

レオは無言のまま眉を寄せ、再び目を閉じる。
少しの沈黙の後、目蓋を開いた。

「夢とはいえ、あんな夢、見たくなかった」

レオは辛そうな顔をする。
何と声をかけたらいいのか、由衣は考える。

「どんな夢、だったの?」

「何か、リアルで怖かったな」

それきり、レオは口を噤む。どんな夢だったのか、言いたくないような雰囲気を感じる。夢の話しは無理に聞かないほうがいいかもしれない。

「ねぇ、聞いてもいい? マリさん、何で亡くなったの?」

「マリは、僕をかばって死んでしまったんだ。実はマリも、兵役に就いてた。女性には兵役の義務はなかったけど、僕の傍にいたいと言って」

「そう、だったんだ……。ずっとレオの傍にいたいって、レオのこと、愛してたのね」

「でもそれが、悲劇の始まりになるなんて思ってもいなかった。僕がいた時代は韓国と北朝鮮の関係が悪化して、アメリカと日本から韓国へ兵士が派遣されたんだ。表向きは国際平和の協力活動となってたけど、北朝鮮の動向によっては武力行使も認められてた」

「えっ、そうなの? 今の時代の自衛隊と違って、危険だったのね」

「うん。だから、できれば韓国へは行きたくなかった。誰もが皆、そう思ってたはず。だけど、僕らの部隊にも命令が下された。命令には逆らえない」

由衣は心痛な思いで聞いていた。レオの心中をおもんぱかる。

「レオ、もし辛いなら、今無理に話さなくてもいいわよ」

「大丈夫だよ。いずれ、由衣に話すつもりでいたから」

レオは親しみを込めた眼差しを向けてくる。

「僕らは韓国へ派遣され、軍事境界線の近くで北朝鮮の動向を探ってた。マリは僕と同じ部隊に所属していて、僕の後ろを歩いてた。森の中を列を作って歩いてると突然襲撃されて、僕らは必死に応戦した。僕は恐怖のあまり、しゃがみ込んだまま動けなくなって、北朝鮮の兵士が近くまで迫ってることに気づかなかった」

レオの話す光景を想像し、由衣は恐ろしくなる。

「そして、僕を狙って銃弾が発射されて、でもそれにすぐ気づけなくて。すると、マリが思い切り体当たりしてきた。一瞬、何が起こったのか分からなかった。振り返るとマリは倒れていて、絶命寸前だった。僕を助けるために、マリは盾となって犠牲になった。僕は思い切り、マリ!と叫んだ」

レオは息を荒くする。

「実は、さっき見た夢が、今喋った内容と同じだったんだ。まさか、今頃そんな夢を見るなんて思ってなかったから、とてもショックだった」

辛そうなレオを見て、由衣はいたたまれない気持ちになる。目の前で愛する人の命が消えいくのを、ただ見ていることしかできないなんて、あまりにもむごい……。

「僕のせいで、マリは死んだ。僕は一生、この罪を背負って生きていかなければならないんだ」

レオの閉じた目蓋が震えている。涙が込み上げてくるのを、抑えつけているかのようだ。

「レオ、ごめんね。マリさんのこと、聞かなければ良かったね」

「イヤ、いいんだ……」

由衣は自分に置き換えて考えてみる。レオが経験したのと同じ場面にいたとしたら、自分はマリのように行動できるだろうか? 例えば弘樹を、自分の体を張って助けることができるだろうか?

いくら想像してみても、分からなかった。恐らく怖じけづいて、自分を犠牲になどできないだろう。
マリの捨て身の行動は尊い、と由衣は思った。

由衣は、そっとベッドから抜け出し、キッチンに向かう。牛乳を温めると、マグカップに注ぐ。部屋に戻ると、レオに声をかけた。

「レオ、ホットミルク持ってきたわ。少しは落ち着くと思うよ」

「ありがとう」

レオはマグカップを受け取ると、ひと口飲んだ。

「美味しいね、ホッとするよ」

レオが微笑む。

「レオ、あなたの悲しみ、取り除いてあげたい……」

レオの背に、由衣はそっと手を添える。

「ありがとう。由衣が傍にいてくれるだけでいいよ。それだけで癒されるから……」

由衣は背後から、レオを優しく抱きしめた。