夜と最後の夏休み

「で、翻訳ってなに?」


 落ち着いたらしい美海が顔を上げた。


「外国語の話を日本語に訳す仕事。母さんがたまにやってる。しゃべる方が好きなら通訳って手もあるって、さっき母さんが言ってた」


 全部、今母さんに聞いてきた事だ。だから僕は翻訳も通訳もなーんにも知らない。英語を日本語に言い換えるものらしい、ってくらい。もちろん、なーんの興味もない。


「僕は国語も英語も別に好きじゃない。だから今言った仕事になんの興味もない。でも美海が気になるなら、母さんに聞いて。たぶん喜んで教えてくれる」


 美海はこくこくと頷いた。


「あ、そうだ。あと今度一緒に図書館行こう」

「図書館?」

「うん。図書館の特集コーナーに『十三歳のための職業図鑑』って本があった。一緒に読もう」


 まだ十三歳じゃないけど、あと一年だし読んだっていいだろう。他に僕が美海にできることは、なにかあるだろうか。


「ありがと、夜」

「ううん。なんにもしてないよ」

「そんなことないよ」


 美海は目元を赤くしたまま、ちょっと笑ってくれた。


「夜が、私のためにっていろいろ考えてくれたの、嬉しい。だからありがとう」


 それじゃあ、そろそろ帰るね。そう言って美海は帰ろうとする。


「あ、待って。送る」

「隣だよ」

「それでもだよ」


 僕は美海の手を勝手に取って歩き出した。美海は黙ってついてきた。

 門を出ると夕闇が空にひたひたと迫っている。僕の家は電気がついているけれど、美海の家は真っ暗で。


「誰もいないの?」

「うん。お父さんお母さんは仕事だし、お兄ちゃんはバイト行ってる」

「ダメ。一緒にごはん食べよ」


 だってこんなしょんぼりした美海を一人にしちゃダメだ。美海は目を丸くして、首を横に振った。


「お父さんもお母さんも、すぐに帰ってくるから大丈夫」

「ダメ。美海を一人にするのヤダ。ごはんは用意してあるの?」

「わかんない。あるもので適当にって言ってたけど」

「じゃあ一緒に確認しよう。うちのごはん、今日はカレーだから、美海の分くらい増えても大丈夫」


 美海は困った顔のまま、それでもようやく「わかった」と頷いてくれた。

 一緒に美海の家の冷蔵庫を見ると、中にはオムライスが置いてあった。それをそのまま僕の家に持って行って、母さんにカレーをかけてもらう。

 美海はオムカレーだと喜んでくれた。




「美海ちゃんを遅くまで呼び止めちゃってごめんなさいね」

「こちらこそ、こんな時間までおいてくれてありがとう」


 母さんと美海のお母さんが頭を下げ合っている。


「またね」

「うん、ありがと」

「泣く前においでね」

「な、泣かないよ」


 そう笑って美海は帰っていった。