兄と湊さんは高校からの親友だ。
彼がうちに遊びに来るようになったのは、ふたりが十六歳、私が九歳のときだった。

その頃から湊さんは、しっかりしていて落ち着いていて真面目で――とにかく大人っぽい人だった。

普通、その年齢の男の子なら、友達の妹に気遣いなんかみせないだろう。
なのに初めて会ったとき、彼は小学生の私に丁寧にあいさつをしてくれたのだ。

『初めまして。黒瀬湊です。よろしく』

彼と対峙したとたん、私は恐怖で固まった。

実は私は、この少し前に、人生最大のトラウマを味わっていた。
大型犬に襲われるという恐ろしい経験だ。

夕方に友達の家を出て帰ろうと公園を歩いていた時だった。
リードが外れた犬が突然目の前に現れた。
空腹で気が立っていたらしく、突進するなり私を押し倒して、お土産に持っていた友達お手製のクッキーにかじりついた。
大パニックになった私は、クッキーの袋を握りしめて暴れまわり、犬も負けじと食らいつき――飼い主が泡を食って犬を捕獲したとき、私は泥だらけになって泣きじゃくっていた。幸い怪我はなかった。