貴方と奏でる夜想曲 貴女に奏でる小夜曲

けれども、困ったのは一瞬だった、

「……“リレミト”とか?」

(我ながら、いいやつ思いついたかも?)

それは、某RPGに出てくる魔法の呪文。

これを唱えると、ダンジョンを瞬時に脱出できる。

属性としては、転移魔法になるのかな???

「いいね、冒険の旅に魔法の呪文。しかも、シチュエーションに合っていなくもないという」

彼が愉快そうに朗らかに笑う。

「じゃあ、決まりでいいの?」

「もちろん」

気づけば緊張は和らいでいた。

私を大切に想ってくれる彼の気持ちが、漠然とした不安も小さな心配たちも、すぺてを覆ってくれるみたい。

「瑞樹」

彼の大きな手が、私の髪を柔らかに撫でる。

うっとりするほど気持ちが良くて、それだけでもうとろけてしまいそう。

この手も、その長い指も、大好き。

優しさも、愛くるしさも、頼もしさも、正しい臆病さも、みんなみんなまるごと大好き。

「大丈夫そう?」

私は黙ってこっくり頷いた。

「そういえば、瑞樹ってどれくらい視力悪いんだっけ? 眼鏡なしだと見えなくて不安?怖い?」

「ううん。そこまでは悪くないから大丈夫」

「それなら」

(あっ……)

あっさり眼鏡を取られて、なんとなく気持ち無防備になる。

(何これ、すごくドキドキしてる……)

眼科医に眼鏡を外されただけ、という言い方もできなくはないけれど、そうじゃないもの。

彼は私の眼鏡をチェストの上へ丁寧に置くと、自分も眼鏡を外して並べて置いた。

「やっぱり、ちょっと邪魔だから」

チェストの上に仲良く並んだ、二人の黒縁眼鏡。

向き直って、ふんわり微笑む彼の笑顔。

ふだんはあまり見ることのない眼鏡なしの表情に、どうしようもなくときめいてしまう。

(眼鏡が邪魔になることって……どんなこと?)

しっとりと色づいていく、ふたりを包む甘やかな空気。

彼は私をいっそう近くへ抱き寄せた。

「僕のこと、独り占めしたいって言ってくれたよね?」

まるで心を奥を見透かすように、彼の瞳がのぞきこむ。

なんだか甘えるような、ちょっぴり切なげなような、だけどどこか意地悪なような、蠱惑的な彼の眼差し。

私はたまらず目を伏せて、彼のパジャマの胸元をぎゅっと握った。

「言った、けど……」

「僕は、瑞樹だけの僕だよ」

(……あっ)

そうして優しく微笑むやいなや、彼はぐっと私を引き寄せて唇を重ねた。

一方的に熱量をぶつけるような、そんな荒っぽいキスとはぜんぜん違う。

情熱的だけれど、柔らかでとろけるような優しいキス。

唇を重ねるほどに溶け合う、切なくも甘い恋情と熱情。

唇を奪われる、なんて表現は正しくなくて……求めているのは私のほう。

このまま――。

(もっとずっと、もっと深く……)

ずっと独り占めしていたくて、もっと――独り占めされたくて。

ひとしきり、とろけるようなキスを交わし、名残惜しくも、ためらいがちに唇を離す。

(はぁ……もう……)

たまらずに甘い吐息をつくと、私は彼の肩口にこつんと額を預けた。

ちょっと夢中になりすぎ? 欲しがりすぎ?

(“はしたない”なんて、思われたら……)

でも、そんな心配は要らなかったみたい。

「この可愛い“生き物”をどうしてくれようか」

彼が楽しそうにくすりと笑う。

(どうしてくれようもなにも……)

私はいっそうぴったり彼にくっついた。

「柊か物好きでよかった」

「瑞樹こそ。こんな軟弱な乙メン野郎」

「言い方!」

「はいはい」

いじけたようなことを言っても、実際は卑屈さなんて微塵もない。

彼のそういうところも、とても好もしいと思う。

「電気はどうする?暗いほうが落ち着くなら消せばいいし、明るいほうが安心するならこのままでも」

「なんか嬉しい」

「うん?」

彼が不思議そうに首を傾げたから――私は余計に嬉しくて。

「そうやって、私の気持ちを聞いてくれるのが嬉しいよ、って話」

もっとも、彼にとってそれは当たり前のことみたいだけど。

「まあ、察することも大事だけど。僕は、言葉で伝え合うことのほうが大事と思っているほうかもね」

(今、なんかすごく……)

うまく言えないけれど、天使に優しく背中を押されたみたいな、そんな気がして――。

「あのね、柊」

「うん?」

「大好き」