貴方と奏でる夜想曲 貴女に奏でる小夜曲

そもそも、今までまったくといってよいほど、会社の話なんてしたことなかったし。

そのうえ、さっき紹介しそびれてしまったのだから、クロカワが彼らを知っているはずがない。

真秀が直接クロカワに話した、とも思えないし。

松尾夫経由は、ないとは言えないかも?

でも、ざっくりエピソードならともかく、個人名まで出して克明に話すなんてあり得ないもの。

「どうして、桃瀬と青砥ちゃんのこと……?」

私が困惑しながら訊ねると、クロカワはブローチを指差しながら言った。

「ねえ、ハナミズキの花言葉って知ってる?」

「はい?」

知っているかと問われれば、それはもうよく知っている。

だって今日はそれを頼りのお守りにして、ここへ来ているのだから。

(あれ? でも……)

こんなふうに聞いてくるということは、おそらくそれは知らないからではなく、むしろ――。

(知ったうえで、あえてこの花をモチーフに選んでくれたの???)

心臓がどきんと跳ねて、とたんに頬が熱くなる。

(だって、ハナミズキの花言葉は……)

「“私の想いを受け取ってください”」

(……やっぱり!?でも、どうしていま???)

私のますますの困惑をよそに、クロカワはまったく涼しい顔のまま。

そう、あくまでこれは“花言葉”の話。

彼が私に、自分の想いを受け取って欲しい、と請うているわけでは決してない。

それなのに――。

私はまるで魔法をかけられたように、カップとソーサーを手に持ったまま固まった。

「素敵な花言葉だと思わない?」

ゆったり微笑みながら、クロカワが半身近づいて、私の手元のカップとソーサーを、そっとテーブルの上に戻す。

(近いよ!そんなにそばに寄られたら、もう……)

「シライシ? 聞いてる?」

「も、もちろん」

「それじゃあ――」

眼鏡の向こうの静かな瞳が、まっすぐに私をとらえて離さない。

「僕の想いを受け取ってください」

間近に迫るクロカワのなんとも甘くて優しい気配。

期待に胸は高鳴って、呼吸さえもままならない。

たまらず目を伏せた私に、優しく、だけど無遠慮に近づく、大好きなその人。

そうして、彼は耳元で囁くように言った。

「“酒は飲んでも呑まれるな”」

「……え゛」

(……何これ???)

頭はハイホー、目はパチクリ、お口はあんぐりぽかーん、

「僕からの、ありがたーい忠告だよ」

(そりゃあまあ、お酒は節度をもって適量を、って……いやいや、それこそ今する話!?)

「シライシ、本当に何も覚えていないんだね」

「えっ、と……?」

「まあ仕方がないか。“1ピコも覚えていない”って言ってたもんね」

(1ピコも、って……ああっ!?)

さーっと血の気がひくような?

かーっと血がのぼるような?

恥ずかしくて、恥ずかしすぎて、頭の中はてんてこまいの大混乱。

「あのっ、私、全部ゲロってた???」

「言い方」

たしなめながらも、クロカワが愉快そうに笑う。

「まあね、たぶんあらかた聞いたかも? シライシがつるっつる喋るから、僕もついっつい聞き出してしまったような、そうでもないような?」

「それ、絶対根掘り葉掘り聞き出してたでしょ!」

「さあねえ」

とぼけるクロカワに、私はさらに食らいついた。

「私、なんかへんなこととか言ってなかった?」

すると、クロカワの顔つきがちょっと変わった。

「へん、というか……」

「何?何?」

「“もう恋なんてしない”とか」

(あー、言ったっぼーい。覚えてないけど……)

「あと、それから――」

「それから?」

「“男女は友達でいるのが最善”って」

「えっ……」

(そっか、私、クロカワに……)

「シライシは、今もその気持ちに変わりはないの?」

(クロカワ……)

切なそうなその瞳が、すべてを物語っている気がして、思わず胸がいっぱいになる。

「今はね、もうぜんぜん違うよ」

私は心をこめて言った。

「“いい友達”じゃなくて“たったひとりの特別な人”になれたら、って。そう思ってるよ」