貴方と奏でる夜想曲 貴女に奏でる小夜曲

6月と言えばジューンブライド?

梅雨の雨降りの朝、会社へ着くなりベテラン契約社員の黄前(おうまえ)さんにつかまった。

「ちょっと、白石さん聞いたあ?」

「何がです?」

「もう!桃瀬(ももせ)君と青砥(あおと)さんの話よ!」

(ああ、ついにバレたか。それとも、いよいよバラしたか?)

部署内がどうもザワついていると思えば、社内恋愛のゴシップとは。

しかも、その渦中の男性のほうは私の同期で、女性のほうも私の後輩ときたもんだ。

「金澤(かなざわ)さんが結婚式場で偶然見たんですって!」

「そうなんですね」

(こりゃあ、うっかりバレたパターンか……)

「お友達の結婚式に行ったら、二人の姿を目撃!手をつないで、そりゃあ仲がよさそうだったって」

「6月といえばジューンブライドですよね。結婚式のお呼ばれも増えたりするのかしら?」

「もう!白石さん、青砥さんのこと可愛がっていたしゃない!」

すっとぽけてもスルーしてもらえるはずもなく、黄前さんがぐいぐいくる。

「ねえねえ、何か聞いてないの?」

「先輩後輩だからって、何でも知ってるわけではありませんよ」

「桃瀬君とは同期でしょお?」

「同期だからって、何でも知ってるわけではありませんよ」

にっこり笑って、知らぬ存ぜぬ。

(本当は、ぜーんぶ知っているのだけど)

私たちの代は同期仲がよいほうで、中でもずっと本社勤務だった桃瀬と私は、とりわけ仲が良かった。

とはいえ、男と女? とはいえ、やっぱり同期?

入社当時はお互い付き合っている人がいたし。

私たちの代は仲がよい反面、同期内でカップルができることがなくて。

決して牽制しあっているとか、暗黙のルールが敷かれているとか、そういう感じでもなかったけれど、なんとなく?

桃瀬とは仕事の話もすれば、恋愛相談もする仲だった。

国内事業部の桃瀬と経理部の私とでは、仕事の性質はずいぶん違ったけれど、それでも互いに一緒に成長してきたつもりでいた。

そんな私たちに転機が訪れたのは、去年のこと。

年度でいうと一昨年度のことで、桃瀬の転勤が決まったときだった。

「年度明けから1年。ちょっくら大阪行ってくる」

「すごいじゃない!大きなプロジェクトだって聞いてるよ!」

「まあ、俺はたまたまだよ。ほら、運も実力のうちっていうなら超実力派、みたいな?」

こういう謙虚な人柄のよさも、桃瀬の立派は実力だと思う。

それにしても――。

(転勤、するんだ……)

なんで今まで考えなかったのだろう?

考えずに、いられたのだろう……?

国内事業部の桃瀬には転勤はつきもので、むしろ本社勤務が異例の長さだったのに。

(私、ひょっとして、考えたくないから考えないようにしてたのかも……)

そのとき、ようやく認識したのだった。

桃瀬がただの同期ではないことを。

けれども、私は勇気がなくて……。

これから離れ離れになるのに?

新しい環境で仕事に邁進するのに?

今じゃないでしょ、今じゃ……。

(そうだ!1年後、桃瀬が帰ってきたとき、胸を張って告白できるように、私もこっちで頑張ろう!)

相手をリスペクトして見習って、自分も頑張る?

前向き風味なもっともらしい決意表明も、実際はただの言い訳、問題の先送りにすぎなかった。

自分でも、わかってはいたけれど。

1年後、桃瀬は予定通り本社へ戻ることが決まった。

正式な辞令が出るよりずっと早く「あくまでも予定だけど」と前置きしつつ、桃瀬は直接教えてくれた。

本社出張の際、わざわざ時間を作って会いに来て、いち早く伝えてくれるなんて、とても嬉しかった。

正直、淡く甘い期待も抱いていた。

けれども――。

「えっ、青砥ちゃんと……?」

まったく想定外の婚約報告。

「同期で言ったの、白石だけだから。まだ誰にも秘密な」

「う、うん……」

青砥ちゃんは経理部で一緒に仕事をしたこともある後輩で、頑張り屋さんのとってもいい子だ。

桃瀬の転勤と同じタイミングで念願の事業部へ異動となり、彼女も大阪へ行ったわけだけど……。

「あの、いつから……?」

「向こう行ってから。俺、大阪支社ってあんま頼れる人とかいなくて。けっこう精神的にキツイときとかあってさ。そんなときに、支えてくれたのが、彼女だったわけ」

「そう、だったんだね……」

「言ってくれないの?」

「えっ」

「おめでとう、って」

桃瀬の優しい瞳が、まっすぐに私を見つめる。

(私、最低だ……)

本当なら、何はなくとも真っ先に一番最初に言うべき言葉だったのに。

いつから付き合っていたの、なんて……祝福もせずそんな詮索をする自分を、とても下品だと思った。

「おめでとう。本当に……おめでとう、ございます」

私は姿勢を正して、まっすぐに桃瀬の目を見て言った。

(ちゃんと、笑えていたらよいのだけれど……)

「ありがとう。俺、誰よりも白石に祝福して欲しかったから」

「え?」

「俺さ、白石のこと好きだった」

(えっ……)

混乱して、まったく処理が追いつかない。

(好きだった、って……桃瀬が、私を……???)

「大阪行きが決まったとき、まっさきに頭に浮かんだのは白石のことだった。離れたくないな、って」

「そんな……」

「けど、一緒に来て欲しいとも、待っていて欲しいとも、俺には言えなくて」

(桃瀬……)

「あっちに行って気づいたんだけど、俺って白石の前ではいつもカッコつけてたんだよな」

情けなさそうに、桃瀬は切なく瞳を揺らした。

「なんでも話せる仲のようでいて、本当のほんとうの弱いところは、カッコつけて隠してた。だから、あっちでしんどくても適当言って誤魔化して……」

私はちっともわかっていなかった。

桃瀬が苦しんでいたなんて、本人の言う「大丈夫」を鵜呑みにして、気づきもしなかったし。

ほんとう、能天気にもほどがある。

「ごめんなさい、私……」

「違う違うっ、違うって!謝らせたいとか、そういう話と違うから!」

がっくり項垂れる私を見て、桃瀬は全力で主張した。

「白石には感謝してるんだよ。入社してからずっと前を向いて頑張ってこられたのは白石のおかげだから。負けたくないとか、カッコつけたいとか、そういう気持ちが前に進ませてくれたって思ってる」

「そんなこと……」

「まああれだよ。俺にとって白石は大事な同期で戦友、みたいな? そういう存在だってことを、離れてみてようやく再認識したわけ」

「そう、なんだね……」

「俺、彼女の前ではほんっと弱々だから」

ちょっと困ったような、だけどとびきり幸せそうな笑顔に、胸がちくんと痛んだ。

「青砥ちゃん、包容力ありそうだもんね」

「しっかりしてるんだよ、本当に」

「知ってるよ。自慢の後輩だもん」

「そうでした」

愉快そうに笑ったあと、桃瀬は少しあらたまって言った。

「白石」

「うん?」

「これからも、同期として“いい仲間”でいてくれる?」

「もちろんだよ」

私は心の中で歯を食いしばって、精一杯の笑顔で答えた。


(あの頃は、けっこう荒れたよなあ……)

昼休み、カフェエリアのお一人様席で、しみじみと思い返す。

桃瀬と青砥ちゃんのお似合いぶりに完敗だったことより、とにかく自分の思慮の浅さに嫌気が差して。

“もう恋なんてしない”と豪語してみたり。

“恋より友情”と慰めにもならない論を力説してみたり。

自身の桃瀬への恋心に気づかなければ。

「待っていたい」と桃瀬に想いを伝えていれば。

いろんなことを、ぐるんぐるん考えたっけ。

けどまあ、いいかげん考え疲れて。

“どんなプロセスを経ても、桃瀬と私が友達以上の関係になる世界線はなかったに違いない”

という結論に決着ならぬ漂着して。

“男女は友達のままが最善”教に入信した、はずだったのだけど――。

(私、案外あっさり背教者になったなあ)

恋することは生きとし生けるものの本能、と言ってしまえばそれまでだけど。

週末にはクロカワのお家で、約束のデュオを弾くことになっている。

いい歳をして今さらだけど、私は悟ったのだ。

正確には悟ったも何も、同年代のみんなが当たり前に知っていたそれを、ようやく周回遅れで知ったという。

恋ってやつは、しようと思ってできるものでもなければ、しないでおこうと決めたとて、そういられるとは限らないのだ、と。

クロカワが私のことを好きでいてくれたら、どんなに幸せだろう。

自分が恋い慕うその人が、同じように自分を愛しく想ってくれる。

それってほんとう、奇跡的な幸運だと思う。

(今、彼と私が両片想いでありますように)

私が踏み出すと決めた一歩が、二人の片想いを終わらせる。

そんなハッピーエンドでありますように。

(とりあえず、栄養補給するか!)

私はストローを刺した紙パック入り無調整豆乳を、ちゅーっと一気に飲み干した。