貴方と奏でる夜想曲 貴女に奏でる小夜曲


この車の助手席に座るのは何度目だろう?

本番当日、私はクロカワの車に便乗させてもらった。

「お衣装も持っていかなきゃだから、乗せてもらえてほんとう助かる」

「ぜんぜん。けど、僕はいろいろあって早く行かなきゃなんだけど、シライシはちょっと時間を持て余したりしないかな?」

「まあそこはそれかな。余裕があるに越したことはないし?」

「ならよかったけど。そうそう、美味しい軽食の差し入れがあるそうなんで、お楽しみに」

「おおーっ、それはすごい!」

「それより、衣装のことはなんだかすまなかったね。ハマちゃん、ちょっと強引なところがあるから」

「まあねえ、サイズが合ってよかったんだか、どうだか」

今日のコンサートで、先生方は黒のパンツとグレイのシャツで衣装を統一されている。

けれども、紅一点の私はその限りではなくて――。


サロンルームで最後の練習をした日。

ちょうど練習を終えて、当日の段取り等を軽く話しいていた頃だった。

「あなたが白石さんね?」

「は、はい?」

その人はとんでもないシロモノを抱えて、台風のようにやって来た。

「ごめんあそばせ。濱島圭介の妻でございます。この度は夫をはじめ友人たちがお世話になりまして」

「こ、こちらこそ」

(すごい美人!少女漫画に出てくる貴婦人だ!)

「申し訳ない。妻がどうしても白石さんとお話ししたいときかなくて……」

濱島先生の奥様ということは、皆さんの音楽仲間で、濱島楽器の社長令嬢なわけだけど。

(濱島先生の奥様が、私にご用事?)

「だってー、西岡君が教えてくれたんだもん。私が大好きなあの曲のピアニストさんが、超ベルベルした可愛いお嬢さんだ、って」

(超ベルベル……)

しかも、お嬢さんだなんて言ってもらえる歳じゃないし!

「瑠璃に余計なことを吹き込んだのは西岡かよ」

「だってー、ハマちゃんがあれこれ聞いてくるからー」

「だってー、圭介が何も教えてくれないからー」

「だってさー、圭介」

濱島先生は西岡先生を一瞥するとため息をついた。

けれども、瑠璃さんも西岡先生もどこ吹く風。

クロカワと他のお二人は苦笑い。

「でね、そうとなれば、私のとっておきを着てもらうしかないじゃない?」

瑠璃さんが持ってきたのは2着のお洋服。

1着はフォーマルでも使えそうなシンプルで上品なワンピース。

そして、もう1着は――。

(瑠璃さん、音大卒だもんね……)

「ハマちゃん、まさかその“もさもさ”ドレスを白石さんに着せる気かい?」

「まさかって何よ、松尾君」

「いや、だってそれは」

その1着は、フワフワ豪華でデコラティブな、絵本に出てくるお姫様仕様のドレスだった。

(あー、我が家のタンスの肥やしを思い出すー)

何を隠そうこの手のドレスは我が家のクローゼットにも数着あったりする。

ウチの母はレッスンにはまるで無関心なくせに、発表会となると、はりきって娘のドレスを誂えたがる人だったから。

それにしても、音大の人ってドレスをフツーに持っていて、宣材写真みたいなのも撮るんだっけ?

瑠璃さん、ドレスいっぱい持っていそうだもの。

「西岡君が黄色って言うから。でも、探してみたら黄色はこの2着しかなくって」

そう言って瑠璃さんは檸檬色の2着を見比べた。

当日の私の服装について、できればヒロインをイメージした黄色のものがよいのでは、という話も実は出ていた。

けれども、あいにく私は持っていなくて。

とはいえ、買うのもなんだし?

なので、清楚系の白っぽいワンピースに黄色いスカーフを合わせることになっていた、のだけど。

「あの、当日の私の服装――」

「こっちの姫なドレスよね!」

「ええっ」

(ひいぃぃ!)

言葉を遮られ、もさもさドレスをズイと見せられ困惑する。

「こら、瑠璃。無理強いはよしなさい」

「無理強いなんてしてないもん」

「いや、圭介もハマちゃんも、そこは無理強い云々の問題ではなく、絶対評価として“もさもさ”は却下という話でしょ」

「保坂君!」

「僕も保坂に一票かな。“もさもさ”はないよ」

「松尾君までっ。ちょっと!西岡君、なんとか言ってよ!」

「あー、俺はどっちでもいいと思うけど?」

「裏切り者!」

(何だろう、この展開は……)

わざわざワンピースをクリーニングに出した私の立場って、いったい……。

「まあまあまあ。じゃあさ、とりあえず黒川の意見を聞こうや。一緒に弾くの黒川だし?」

(えっ)

西岡先生の提案に、皆がクロカワに注目する。

クロカワはさっきからずっと静観していたけれど、まさか……ね?

「迷うね」

「「「はあ!?」」」

私、松尾夫、保坂先生、3人の声がハモった。

(ちょっと!迷う余地がどこにあるわけ!?)

「まあ、正解はシンプルなワンピースだと思うよ。ホールならともかく院内のロビーコンサートだもの。ただ――」

クロカワは何やら考えている表情で続けた。

「あの曲を楽しみにしてくれている女の子たちは“もさもさ”ドレスを喜ぶだろうなぁ、って」

「でっしょお?黒川君、わかってるぅ!」

(それは、まあ。お姫様感?あるものね)

そういった演出も大事と言われたら、そのとおり。

「とはいえ、やっぱり“もさもさ”は無しかな。そういう特別な演出の前例を作ってしまうと、今後の運営の首をしめかねないからね」

確かに期待値を無駄に上げてしまうと、細く長くつづけていくことの支障になりそう。

「それに、シンプルなワンピースでもシライシはじゅうぶんお姫様感あるから」

(ク、クロカワ、何をっ!)

「そんなっ、姫感なんてぜんぜん!ほんっともう、彼氏もいない貧相なアラサーですし。そんな、ぜんぜん」

「じゃあ、やっぱりアタシの姫ドレス着ちゃう?」

瑠璃さんがいたずらっ子みたいにニヤリと笑う。

「ええっ、それは……っ」

「うそうそ。でも、よかったらこちらのレモンイエローのワンピースは着てやってくださいな」

かくして、私は瑠璃さんの檸檬色のワンピースを着て本番に臨むことになったのだった。


お喋りをしている間に、車はあっという間に目的地へ到着。

職員用の駐車場に車を停めると、クロカワは後部座席においてあった私の荷物を取り出してくれて、つづけてトランクから自分の楽器を取り出した。

「そっか、今日は楽器が2つあるんだもんね」

「そうそう」

クロカワは「よいしょ」と、ビオラケースを背負うと、片手でバイオリンケースを持ち、もう片方の手でバッグを持った。

「私、バッグ持とうか?」

「いいよいいよ。さほど重くないし。それにすぐだから」

歩きながら、私たちはやっぱりいろんな話をした。

「楽器を持ち替えるのって、違和感とかないの?」

「そうねえ、人それぞれみたいよ。僕はわりと平気なほう。まあ、バイオリンに持ち替えた瞬間、すっごく“小っさ!”て感じるくらい?」

「へぇー」

「逆はないんだけどなぁ」

「“ビオラ、でっか!”とか?」

「ないねえ、僕は」

「ほおー」

こうやって楽器の話ができるのって、やっぱり楽しい。

「持ち替えは絶対嫌という人もいるんだよね。やっぱり感覚がおかしくなっちゃうからって」

「そうなんだ」

「そもそもさ、バイオリン弾きがビオラのトラに入ることはあっても、ビオラ弾きがバイオリンのトラに入ることは、まあないのだよ」 

「そうなの?」

トラと言うのはもちろん「ガオー!」のトラではなく、エキストラのことを言う。

急な欠員や人手不足などの際のサポートメンバー、みたいな?

「ビオラは人気薄だから。対して、バイオリン弾きはたくさんいるもの。だから、ビオラ弾きはずっとビオラ弾いといて、みたいになるわけ」

「なるほど」

「なので、今日のはレアケース」

「おおーっ」

「器用貧乏と笑っておくれよ」

「笑わないよ。だって絶対カッコいいもん」

「優しいなあ、シライシは」

(いつだって優しいのはクロカワだと思うけどな)


正面玄関ではなく、職員用の通用口から中へ。

IDカードを首から下げたクロカワの半歩後ろを、キョロキョロしながらテトテト歩く。

日曜なので、普段なら患者さんでいっぱいであろう待合もガランとしていて、照明も最小限で、なんだかちょっと不思議な感じ?

「ここがクロカワの職場かあ」

「そうね。眼科外来は3階だよ」

すると、向こうを歩く白衣の人が、クロカワに気づいて話しかけてきた。

「あれ? 黒川先生、今日だっけ?」

「お疲れさまです。14時開始、ですね」

「あ、そう。頑張って!」

「はい。ありがとうございます」

年長と思しき先生に、丁寧に挨拶をするクロカワ。

「ところでさ、ごめんだけど“一瞬”仕事の話さしてもらってもいい?」

「ええ、もちろん。なんでしょう?」

「ごめんねぇ。あのさ、ウチから眼科にコンサルしようと思ってる患者さんがいるんだけど――」

私はその場から距離をとって離れると、横目でクロカワを気にしながら、さして興味のない掲示物を眺めるふりをした。

(クロカワが“黒川先生”の顔してる!)

前にクリニックで診てもらったときもそうだけど、やっぱり“黒川先生”は“いい友達”のひいき目とかなく、カッコいい。

端正な顔立ちに理知的な表情。

きれいな言葉づかいにやわらかな物腰。

背も高いし、手だってすっごくきれいだし。

ビオラも素敵に弾けちゃうし。

(お医者様って、モテるんだろうなあ)

下世話な話かもしれないけど、一部の超エリートサラリーマンは別として、同年代の会社員と比べたら確実に年収だって上だろうし。

(私、黒川がひとりでいる理由とか、ぜんぜん考えたことなかった……)

1人でいたくているのか、或いは、たまたま今は1人なだけか?

独身貴族と言われる西岡先生には、好きな人がいるらしいけど……じゃあ、クロカワには?

「ごめんね、シライシ。お待たせ」

「えっ、あ、ううん、ぜんぜん。それより、お話はもういいの?大丈夫?」

「“一瞬”が“一瞬”だったためしなし、ってね」

困ったように笑うその表情も、やっぱり素敵だと思う。

「申し訳ないって思っているのは本当だし。できるだけ時間は取らせないからって、そのつもりも本当。けど、患者さんの話となると、ついどうしてもね」

「たいへんそう」

「志とお互い様で成り立っております」

(なんて穏やかに笑うのだろう、この人は)

クロカワは、いわゆる体育会系の雄々しいタイプとは真逆だけれど、とても強くて頼もしい。

だって、いつも優しくいられるなんて、強くなければできないもの。

そのしなやかな優しさに、憧れて、恋焦がれても仕方がないじゃない……。