病院の白い棟が見えてくると、楽しかったデートの風景が、まるで古い映画のワンシーンのように非現実的なものへと変質していく感覚があった。
「帰ってきちゃったね、佑介くん」
蒼の声から、弾けるような明るさが消え、いつもの穏やかで、どこか寂しげな響きが戻ってくる。
「ああ。でも、帰る場所が一緒なのは、ちょっとだけ嬉しいかもな」
僕がそう言うと、蒼は手に力を入れて、僕の手をぎゅっと握った。
「そうだね。病院は嫌いだけど」
蒼は僕の脳が作り出した幻覚だから、当然、彼女の帰るべき場所も僕の病室だ。
世間の目からは隠され、僕だけが享受できる残酷な特権。
エントランスの自動ドアが開く。
その無機質な動作が、僕たちを「自由な恋人たち」から「患者とその幻」へと強制的に引き戻した。
エレベーターの数字が一つずつ上がっていくのを、僕は逃げ場を失うような心地で見つめていた。
蒼は僕の手を握ったまま、黙って床を見つめている。
この冷たい廊下の先に待っているのは、消毒液の匂いが充満した日常だ。
けれど、今の僕のポケットには彼女がくれた青い手帳があり、首元には僕が贈ったマフラーがある。
今日という日が確かに存在したことを証明していた。
