翌朝。
 玄関を出た瞬間から、胸がぎゅっと縮まっていた。

(昨日……キスしたんだ)

 思い出すたびに顔があつくなる。
 家の前で、陽斗の手が頬に触れて、
 息ができなくなるくらい近くて。

 その全部がまだ、体の中に残っていた。

 歩きながら息を整えていたとき――

「おはよ、紬」

「っ!」

 後ろから聞き慣れた声。
 振り向くのが怖かった。

(無理だ……無理……昨日の顔思い出して直視できない……)

「紬? なんで固まってんの?」

「……なんでもない……!」

 言いながらも、振り向けない。

 陽斗の靴音が近づいてくる。

「……昨日のこと、思い出してる?」

「っっ……!」

「図星かよ」

 陽斗が笑っているのが、声だけで分かった。

「こっち向けよ」

「む、無理……!」

「なんで?」

「昨日の……あの……キ、キ……」

「キス?」

「言わないでぇ……!」

 耳まで真っ赤になるのが自分でも分かった。

 陽斗はため息をつき、でも少し嬉しそうだった。

「紬さ、そんな恥ずかしがると……またしたくなる」

「し、しないで……!」

「じゃあ顔見せてくれたらやめる」

「ひ、ひどいよ……!」

「ひどくねぇよ。彼氏だし?」

「陽斗くんがそういうこと言うから……!」

 涙目になりながら振り向くと
 陽斗がまっすぐわたしを見ていた。

 その瞳が昨日より少し優しくて
 余計に心臓が跳ねた。

「……ほんとに顔見れないの?」

「……見たら……昨日のとか……思い出すから……」

「紬が思い出してんの、俺めっちゃ嬉しいけど」

「っっ……!」

 陽斗は一歩近づいて、小さく首をかしげた。

「そんなにダメだった?」

「だ、だめじゃない!!」

「じゃ、よかった」

 その言い方が優しすぎて
 余計に顔を覆いたくなる。

「紬」

「な、なに……」

「今日の放課後も送ってく」

「う、うん……」

「で……」

「……え?」

「昨日より、もうちょい近づく」

「―――っっ!!!?」

「嘘。……半分だけな」

「半分ってなに……!」

「紬が逃げなかったら、本気」

「逃げない……」

「ほら、言った」

 陽斗は笑いながら
 歩幅を合わせて横に並んだ。

「ちゃんと顔見れるまで、ゆっくり待つから」

「……見れてるよ、いちおう……」

「じゃあ今、見て」

「い、今は無理……!」

「無理言うなよ。見られたら俺、嬉しいんだけど」

「もう……やだ……!」

「やじゃねぇよ。彼氏になったんだから、慣れろ」

 陽斗の指が、触れない距離でわたしの手の近くに来た。
 その“触れそうで触れない”距離が、心臓に悪い。

「紬」

「……なに?」

「今日も好きだから」

「っ……陽斗くん、ほんとずるい……!」

 陽斗はわたしが真っ赤になっているのを見て
 静かに笑った。

 昨日の余韻が消えないまま
 ふたりは学校へ歩いていった。