翌日、夕暮れの帰り道。
 陽斗はいつもよりゆっくり歩いていて
 わたしの手の甲に、たまに触れそうになっては離れて
 そんな細かい距離さえくすぐったかった。

 角を曲がるたびに、心臓が強く跳ねる。

(今日……されるかもしれない)

 昨日の“あと数センチ”。
 あれが何度も胸の中で蘇って、息が浅くなる。

 そして――

「……ここ、だよな。紬の家」

 家の前に着いたとき、陽斗は立ち止まった。

 夕陽の名残りが薄く残っていて
 空が静かに青へ溶けていく時間。

「紬」

「なに……?」

「昨日……すげぇ我慢した」

「っ……!」

「今日も我慢しようと思ってたけど……無理かも」

 陽斗は深く息を吐いて
 目線を合わせようとしてくる。

「顔、見せて」

「……見てるよ……?」

「ちゃんと。逃げずに」

 その言い方が優しくて
 わたしは小さく呼吸を整えて
 ゆっくり顔を上げた。

 陽斗の瞳が、真っ直ぐにわたしを映していた。

「紬、怖い?」

「怖くない……ちょっとだけ、緊張してる……」

「俺も。だから……ゆっくりいく」

 陽斗は一歩近づき、
 わたしの頬へ指先をそっと添えた。

 昨日よりも、ずっと優しい触れ方。

「触れるよ」

「……うん」

 頬を撫でられただけで
 胸がいっぱいになって、泣きそうになった。

「紬、目……閉じれそう?」

「……閉じる……」

 そっと目を閉じると
 心臓の鼓動だけがはっきり聞こえた。

 陽斗の気配が
 ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。

 頬をなでる手が少しだけ震えているのが
 わたしにも分かった。

「……紬」

「……ん……?」

「キスしていい?」

 その一言で、胸がぎゅっと縮まった。

「……いいよ」

 言った瞬間
 陽斗が息を飲んだのが分かった。

 そして――
 額に、そっと触れる温かさ。

 すぐに、頬へ軽く触れて。
 それからゆっくり、わたしの唇へ。

 触れたのは一瞬。
 でも確かに“初めて”だった。

「……っ」

 陽斗はすぐには離れず
 もう一度、指でわたしの頬をなぞった。

「紬……震えてる」

「陽斗くんも……」

「そりゃ震えるだろ。初キスだぞ……」

 陽斗は照れたように小さく笑って
 でもすぐに表情を戻した。

「もう一回、していい?」

「……うん」

 今度は
 さっきよりも少しだけ長く
 ゆっくり触れるキスだった。

 優しくて
 甘くて
 胸の奥がじんわり熱くなる。

 離れたあと
 陽斗は額をわたしの額にそっと寄せた。

「……紬、好き」

「わたしも……陽斗くんが好き……」

 その言葉に陽斗が小さく笑い
 手のひらでわたしの頬を包みこんだ。

「これから……いっぱい好きになると思う」

「うん……」

「だから……ちゃんと付き合っていこうな」

「うん……」

 家の前なのに
 世界にはふたりしかいないみたいだった。

 暖かい夜風が頬を撫でていく。

 初めてのキスは
 想像よりずっと優しくて
 ずっと甘かった。