その日の放課後。
 教室を出ていくときから
 陽斗の様子がどこか違った。

 歩幅がゆっくりで
 わたしに合わせるみたいにぴったり横を歩いてくる。

「……黙ってるね」

「紬が隣にいると、黙るしかなくね?」

「ど、どうして……?」

「触れたくなるから」

「っ……!」

 そんなストレートな言い方やめてほしい。
 胸が破裂しそう。

 校門を出ると
 夕焼けが赤く広がっていて
 風が少し冷たかった。

 でも陽斗の隣にいるだけで
 体の内側がずっとあたたかかった。

「紬」

「なに……?」

「今日……頬触ったじゃん」

「……うん」

「そのせいでさ……やばい」

「や、やばいって……?」

「……我慢効かない」

 低くて、落ち着いた声。
 でもその中に、抑えきれない熱が混じっているのが分かった。

 わたしの胸もずっと高鳴ったままだ。

「ちょっと寄り道していい?」

「え……どこに……?」

「いつもの角。あそこ静かだから」

 いつも帰るときに通る
 住宅街の角の、薄暗い場所。

 人通りが少なくて、夕陽がちょうど差し込む場所。

 そこで陽斗は歩くのを止めた。

「……ここ」

「ど、どうしたの……?」

 陽斗は深呼吸して
 わたしのほうへゆっくり向き直った。

「紬、こっち」

 手首をそっとつかまれて
 陽斗のほうに引き寄せられた瞬間――

 距離が、急に近くなった。

「よ、陽斗くん……?」

「……紬」

 夕焼けの光が陽斗の横顔を照らして
 その影が少し大人っぽく見えた。

「頬触ったとき……マジでキスしそうだった」

「う、うん……わたしも……」

「え、紬も?」

「ち、近かったから……」

「……そう言われたら、もう無理」

 陽斗は一歩近づいた。
 その距離、ほんの数十センチから
 十センチ
 五センチ……

 息がかかるほど近い。

「紬、逃げるなよ」

「逃げない……」

 言った瞬間
 陽斗が目を見開いた。

「……言うなよ、そんなこと。止まんなくなる」

「よ、陽斗くん……」

 陽斗はゆっくり顔を近づけてきた。
 わたしの頬に触れ、手を添えて
 親指で軽く肌をなでる。

「ここ、また触ってもいい?」

「だ、だめじゃない……」

「じゃあ……触るよ」

 頬を撫でられた瞬間、身体が熱くなる。

「ねぇ紬」

「なに……?」

「これ以上近づいたら……」

 陽斗はほんの少しだけ、額をくっつけてきた。

「キスするぞ、俺」

「――っ」

 息が止まった。

 陽斗は目を閉じかけて
 けれど一瞬、ためらうように目を伏せた。

「……でも今日はしない」

「え……」

「ちゃんとしたときにする。焦りたくない」

 言いながらも
 陽斗の指はわたしの頬を離れず、そっと包むように触れたままだ。

「紬がこんな顔するから、余計にやばいんだよ」

「ど、どんな顔……」

「キス待ってるみたいな顔」

「し、してない!!」

「してる」

「してない……!」

「じゃあ、次のとき確認する」

「つ、次……?」

「次は……ちゃんとするって言ったろ?」

 陽斗は額を離しながら、もう一度頬をなでた。

「……帰ろっか。紬、かわいすぎてやばい」

「陽斗くんが……やばいこと言うから……」

「お互い様」

 夕暮れの道を歩きながら
 手をつないでいないのに
 指先がずっと熱かった。

 あと数センチで届きそうな距離。
 それだけで十分くるしかった。

 そして。

 次こそ、きっと――。