放課後のチャイムが鳴った瞬間
 教室の空気が少し軽くなった。

「紬、ちょっと残れる?」

 陽斗が机を片づけながら
 小さく声をかけてきた。

「残れるけど……どうしたの?」

「……昼、我慢したから」

「えっ……何を……?」

「髪」

「っ……!」

 やっぱりそれ。

 でも昼休みのあの感じ、
 完全に続きがあるって分かっていた。

「ちょっと来て」

 陽斗は周りの友達が出ていくまで待って
 ふたりきりになると、静かに窓際へ歩いた。

 夕方の光がカーテン越しにぼんやり差し込んでいて
 教室はふたりだけの時間みたいに静かだった。

「さっき言ったよな」

「な、何を……?」

「“ちゃんと触りたい”って」

「……っ」

 陽斗は手のひらを見つめ、指を組んでほぐしてから
 わたしの近くへゆっくり歩み寄った。

「紬、こっち向いて」

「……恥ずかしい……」

「恥ずかしがんなよ。彼氏だぞ俺」

「陽斗くんがそういうこと言うから……!」

 陽斗は笑って
 わたしの前髪にそっと指を伸ばした。

「……紬」

「なに……?」

「今日一日ずっと……触れたくて仕方なかった」

 指先が、前髪からこめかみへ
 それから耳の後ろへ滑っていく。

 優しくて
 でも熱くて
 呼吸が止まりそうになる。

「こっち向けよ」

「……向いてるよ……」

「逃げてんじゃん視線」

「……だって……」

「可愛いから怖いの?」

「ち、違う……!」

「じゃあ俺の顔見て」

 ゆっくり顎をすくわれて
 顔が陽斗のほうへ向けられた。

「……陽斗くん、ちか……」

「近いよ。だって“ちゃんと触りたい”んだから」

 耳の後ろに指が入り
 ふわっと髪をすいた瞬間
 身体の力が抜けそうになった。

「髪、匂いも柔らかさも……全部好き」

「陽斗くん……言いすぎ……」

「言うよ。彼女なんだから」

 陽斗は指先で髪をそっとまとめ
 後ろへ流した。

 その手つきがあまりにも優しくて
 胸が熱くなる。

「紬、これだけで無理なんだけど」

「な、なにが……?」

「キスしたくなるに決まってんだろ」

「っ……!!」

 陽斗はすぐには来なかった。
 わたしの反応を見て
 少し笑って、距離をほんの少しだけ取った。

「……今日はしない」

「え……」

「これ以上やったら、止まんなくなるから」

 その言葉に
 全身がじんわり熱くなった。

「紬の髪、触れるだけでこんななんだぞ俺」

「……知らなかった……」

「知れよ。これからも触るんだから」

「……うん」

「次は……顔にも触りたい」

 小さな声なのに
 全部心に刺さった。

「でも、まずは髪だけ。ゆっくりでいいから」

 そう言いながら、陽斗はわたしの後ろ髪を
 そっと一束だけ指に巻きつけて解いた。

「紬、ほんと綺麗」

「陽斗くん……」

 胸がいっぱいになって
 言葉が出なくなる。

「帰るか。送る」

「うん……」

 歩き出した瞬間
 陽斗は照れくさそうに言った。

「……やっぱ“ちゃんと触る”の、やばいな」

 その一言に
 また心臓が跳ねた。