文化祭の前半が終わって
 カフェが少し落ち着いたとき、担任が声をかけてきた。

「春野さん、朝倉くん。交代で休憩してきていいよ」

「えっ、じゃあ私――」

「一緒に行く」

 陽斗が迷いなく言った。

「え?」

「行くよ、春野。ほら」

 手首をそっとつかまれて
 引かれるように教室を出た。

 ざわざわした廊下を抜けて
 校舎裏の静かな裏庭へ。

 そこには、午前の賑やかさが嘘みたいに
 風の音しかなかった。

「はぁ…やっとふたりになれた」

「陽斗くん、疲れてる?」

「疲れてねぇし。それより――」

 陽斗は少し前に出て
 わたしの正面に立った。

「さっきの男子のこと、まだ気にしてる?」

「え…もう気にしてないよ?」

「俺は気にしてる」

 そう言って
 一歩近づいてくる。

「春野さ、褒められたり見られたりするの……なんか嫌」

「や、嫌って…どうして…」

「わかんねぇ?」

 陽斗の目がまっすぐだった。
 逃げ場がなくて、胸が苦しくなる。

「わかんない……」

「じゃあ教える」

 風が吹いた。
 陽斗の前髪が揺れた。
 その距離が一気に近くなる。

「春野が誰かに取られそうなの……めちゃくちゃ嫌なんだよ」

 心臓が、止まりそうになった。

「そ、そんな……取られるなんて……」

「あるよ。今日なんて特に」

「わたしなんか……」

「“なんか”って言うな」

 陽斗が手を伸ばした。
 わたしの肩に触れそうで触れない距離。

「春野は……俺が欲しくなるくらいには、可愛いから」

「っ……!」

「だから隣にいてほしい。今日だけじゃなくて」

 喉が詰まって、言葉が出なかった。

 陽斗は少し笑って
 でもその笑顔はどこか寂しそうで

「……気づいてないと思ってたんだよな。ずっと」

「な、なにを……?」

「俺がどんだけ春野を見てたか」

「み、見てた……?」

「見てた。めちゃくちゃ」

 陽斗は視線を落として、続けた。

「隣になった日から、ずっと」

 胸が熱くなって
 足が震えた。

 ここで息を吸うように、陽斗はわたしの手にそっと触れた。
 指先だけ。
 でも、全身に電気が走ったみたいだった。

「言おうか迷ってた。春野が泣いたの見たら特に」

「……陽斗くん」

「でも……今日の春野見て」

 陽斗はゆっくり、わたしの手を包むように握った。

「もう隠せねぇって思った」

 手のあたたかさが
 心の奥まで入り込んでくる。

「俺……」

 陽斗が息を吸った。

 告白の瞬間だって
 空気で分かった。

 でも――

「……やっぱ、今は言わない」

「え……?」

 肩が震えた。

「今ここで言ったら、春野……逃げるだろ?」

「に、逃げないよ……」

「逃げる。絶対」

「逃げないってば……!」

「逃げる顔してる」

「してない!」

 陽斗はくすっと笑って
 本当に、優しく言った。

「ちゃんと準備して言う。春野が受け止められるように」

 その言い方が
 告白よりずっと心に響いた。

「でも一つだけ言わせて」

「……なに?」

「今日の春野が一番かわいい。…ずっと見てたい」

 陽斗がそっと手を離して
 わたしの頭の上に置いた。

「戻ろ。離れたくないし」

 その言葉の甘さに
 風よりも強く胸が揺れた。

 文化祭の裏庭で
 心はもう、とっくに落ちていた。