文化祭前日。
 学校全体がそわそわしていて、教室も朝からにぎやかだった。

「明日、忙しくなりそうだな」

 陽斗が窓際で腕を伸ばしながら言う。

「うん。でも楽しみだよ」

「春野が楽しみって言うの、なんか嬉しい」

「えっ…」

「いや、なんでも」

 意味ありげに笑う陽斗の顔が、胸の奥をくすぐる。

 昼休み、クラスがざわざわしている中
 陽斗がこっそりわたしの席に近づいた。

「放課後さ、手伝ってほしいことあるんだけど」

「手伝うって…何を?」

「内緒」

「なにそれ…」

「まぁ来て。断らせる気ないから」

 強引なのに、優しい。
 そんな言い方をされると
 断れるわけなかった。

 ◆

 放課後
 陽斗に連れられていったのは、空き教室だった。

「ここ、使わないって先生が言ってたから。ちょっと作業しよ」

「うん…」

 机の上には文化祭の看板の下絵。
 カフェのタイトルを大きく描く作業らしい。

「春野、この丸い文字、春野のほうが得意だろ?」

「え、でも…」

「一緒にやろ?」

 その“頼り方”がずるい。

 わたしが下書きをしていると
 陽斗が真横に座って、じっと見てくる。

「……近くない?」

「近いよ。見たいから」

「に、にぎやかな教室じゃないんだから…」

「じゃあ、もっと近くてもいい?」

「むりっ!」

 思わず大きな声を出してしまった。
 陽斗は笑いながら、自分のペンをくるくる回す。

「春野ってさ、拒否るけど逃げねぇのがいいよな」

「……なにそれ」

「可愛いって話」

「っ……!」

 じわっと顔が熱くなる。
 陽斗はそれを見て、ニヤっとした。

「はい、ふざけるの禁止。作業戻ろ」

「むぅ…」

 一緒に作業していると
 陽斗の肩が時々触れて
 触れるたびに胸がくすぐったくなった。

「春野、色どうする? こっちの青薄め?」

「ちょっと薄めのほうが、かわいいと思う」

「だよな。春野の“かわいい”は信頼してるから」

 そんな言葉
 慣れないよ。
 慣れたいけど、慣れたら危ない気がする。

「よし、できた。……春野」

「なに?」

「こっち見て」

「えっ……」

 陽斗が近くに顔を寄せてくる。
 至近距離すぎて、心臓が跳ねる。

「目、赤いな」

「……え」

「昨日、泣いたからか?」

「……っ」

 胸がズキッとした。

「別に責めてねぇよ。ただ…」

 陽斗はゆっくり言葉を選ぶように

「もう泣かせたくない」

 そう言って、わたしの髪に触れた。

 柔らかく
 優しく撫でるみたいに

「明日さ、文化祭。絶対いい日にするから」

「陽斗くんが?」

「俺が」

 さらっと言う声が安心させてくれる。

「春野の作ったやつ、全部俺が守るし」

「そ、そこまで大げさじゃ…」

「大げさじゃないよ。春野が頑張ったの見てたから」

 下向いたら泣きそうで
 でも笑いたくて
 よく分からない感情が胸で渦巻く

「陽斗くん、ほんと優しいね」

「おまえ限定な」

「……!」

 その一言で
 前日なのに、胸はもう満席だった。

「じゃ、明日。春野のかわいいとこ全部見に行くから」

「み、見なくていい…!」

「見るって。逃げんなよ?」

「逃げないよ…!」

 言い切った瞬間
 陽斗は嬉しそうに微笑んだ。

 すれ違いを乗り越えたふたりの距離は
 もう、元には戻らなかった。