紬が走るように帰っていったあと
 しばらくその場に立ち尽くした。

 夕暮れの風が冷たくて
 胸の奥のざわつきは少しも消えなかった。

「……どうしたら届くんだよ」

 思わず漏れた言葉が
 自分の無力さを突きつけてくる。

 紬は避けてなんかいない
 そう思いたかった
 でも、今日のあの涙は――
 どう見ても、俺のせいだった。

 振り返って駅まで戻ろうとした時
 校門の近くで茜に会った。

「朝倉くん」

「……茜」

 名前を呼んだだけで、茜はため息をついた。

「紬、泣いてたよ」

 分かってる
 でも、他人の口から聞くと胸が刺されたみたいに痛い

「……なんで泣いたか、分かる?」

「分からない」

 正直に答えるしかなかった
 分かりたいのに、知らないままだった

 茜は少しだけ目を細めて、わたしを見つめた。

「紬、自分の気持ち言うのすごく苦手だよ。傷ついたらすぐ抱え込むし」

 そんなこと、知らなかった
 いつも静かで、優しくて
 でもそれは“我慢している顔”だったのかもしれない

「朝倉くん、紬の気持ち全然気づいてないんだね」

「……気づいてるつもりだった」

「つもりじゃだめだよ」

 茜の言葉は、どれも正しかった
 全部、胸に刺さった

「ねぇ朝倉くん。紬が何で泣いたか知りたい?」

「……知りたいに決まってる」

「だったら――ちゃんと聞きに行けば?」

 言われた瞬間
 足が勝手に紬の家の方向へ向かっていた。

 ◆

 紬の家の前に着いたころには
 空が完全に暗くなっていた。

 どうしよう
 迷惑かもしれない
 嫌われてるかもしれない

 そんな考えが頭をよぎる
 でも、引き返せなかった。

 玄関の前まで行こうとした時
 ふと、二階の窓が目に入った。

 カーテンの隙間から
 落ちるように光がこぼれている。

 少しだけ聞こえた
 静かな、鼻にかかった泣き声が

 紬の声だと
 すぐに分かった。

 胸が強く締めつけられた。

 こんなに近くにいるのに
 触れられない
 助けられない
 俺のせいで泣いてるのに

建物の影に身を寄せて
 しばらく動けなかった。

「……紬、泣くなよ…」

 声にならないほど小さく呟いた。
 こんなとき、どうしたらいいか分からない自分が情けなかった。

 ポケットの中のスマホが震える。
 数回、紬にメッセージを送った
 返事はなかった。

 それでもいい。
 読んでくれたら、それだけで。

【明日、話したい。逃げないから。俺からちゃんと話すから】

 送信したあと
 空を見上げた。

 星がひとつ光ってて
 なんでか分からないけど
 涙がにじんだ。

「好きなんだよ、紬」

 やっと言葉になった想いは
 夜空に溶けて消えていった。

 でも
 明日は言う。
 逃げずに言う。

 紬が泣かなくていいように
 このすれ違いを終わらせるために。