例えば、わざと校庭で転んでみたり、図工の時間でカッターを使う時に腕を切ってみたりしたの。

その度に、私は泣いた。聖母マリアは、泣いている人に手を差し伸べてくれるから。

私の聖母マリアは、いつも保健室まで連れて行ってくれる。寧ろそのまま攫ってほしかった。

私は聖母マリアの特別な存在になれた。だって私と一緒にいてくれて、私をとても心配してくれるから。

でも、違った。

私の真似をして、カッターで腕を切る悪魔が現れた。

馬鹿みたいだ、と思った。だってカッターで腕を切っても、聖母マリアは私以外の人間を保健室に連れていかないから。

勝手に泣いてろ。そう思った時だった。

「大丈夫?痛いよね、手を洗ってから保健室に行こう。連れて行くよ」

私の聖母マリアは、悪魔に手を差し伸べたのだ。

ああそうだ、思い出した。私の聖母マリアは、誰にでも優しく美しく、母のような微笑みを絶やさない人だった。

けれど小学生の頃の私は、聖母マリアを恨んだ。何故私以外の者に手を差し伸べ、微笑みかけているのか、と。

そしてその悪魔を最も恨んだ。悪魔は、惚れた女の眼をしていた。