「小さな城に住んでみたいんだ。古い家具や伝統的なタペストリー付きの。魔法は多少使えるから、一人で切り盛りできる程度の広さであればなおいいね」

 そう言ったジローに、キーツ不動産のフロッケは「ならいい物件がございます」とにっこり笑った。そのまま書類をあさるフロッケの後ろ姿を見ながらジローは、都会には面白いシステムがあるものだと思う。

 不動産とは、土地や建物などの動かせない財産を指すらしい。
 ジローが住んだことのある土地だと、よそ者が来た際、貸してくれる部屋は口コミで探すものと相場が決まっていたし、もし家を買いたければ偶然売りに出されている物件を見つける必要があった。
 そもそもよその土地の人間が引っ越してくることはまれで、余っている家屋自体がそれほどないので、それで十分に事足りていた。

 しかし、東の都ともなれば人が住んでいない家屋が多いようで、それをまとめて管理し、仲介してくれるのがこのキーツ不動産なのだそうだ。

 昔のように、わざわざ大地主の元へ行って空き家がないか聞かなくても済み、家賃や売値も明示されている。叶うとは限らないが選択肢がある程度あるため、こちらの希望も聞いてもらえる。
 条件に合う物件が複数出てきたことにも驚いたが、実際に目で見てから購入を決められるとのことで、さっそく見てみることにした。

 一軒目と二軒目は、街中にあった。
 こじんまりという条件にはぴったりで、買い物などの利便もいい。

 しかしジローが難色を示したため、フロッケは郊外にある三軒目へと案内してくれた。町から離れ、小さな山の上にある建物はまさに小さな城といった様相だが、雑草に覆われたそれは、一見すると幽霊でも出そうな陰鬱な見た目である。

「お客様は運がいいですよ。見た目は古く見えますが、こちらはなんと築百二十年と新しく、前の住人が水回りの設備を整えていたこともありましてね。お一人で暮らすには少々広めではありますが、長く暮らすのでしたらお勧めの物件だと思うのですよ」

 一階には水場が集中しているらしく、風呂にも最新の水道設備が供えられている。大人が足をのばしても十分入れる浴槽は、火魔石を設置すれば保温も可能だ。素晴らしい。
 同じように台所設備も充実していて、前の住人はよほど中の快適さにこだわっていたと見える。

「ここだけの話、草が伸び放題に見えるのは、先の住人の希望だったのですよ。外見に手を入れていないのもそうです。あじ、なのだそうで……」

 水回りを見て機嫌がよくなっているジローに好感触だと思ったのか、フロッケは、内緒ですよ抑えた声でそんなことを言った。決して管理を怠っているわけではないのだと。
 伸び放題の草のほとんどはじつは薬草で、知識のないものが触ると刈ってはいけないものまで刈ってしまう。ならば分かる人に譲りたい――というのが、売り主の希望なのだそうだ。

「で、その売主はいまどこに?」

 壁にかけられたタペストリーを一枚一枚見ながら尋ねるジローに、フロッケは「西の都です」と言った。

「西の都に薬師の学校ができたのはご存じですか? そこへ講師として招かれたそうで。ただ年齢的にこちらに帰ることはもう叶わないだろうと、売ることになったそうです」

「なるほどね」

「ジロー様も薬師でございますか?」

「いや。俺はしがない研究者だよ。魔法と薬草の知識は少しあるが」

「さようでございますか」

 そんなことを話しながら、念入りに部屋を見ていく。
 半地下になった貯蔵庫と調剤室。居心地のよさそうな応接室や食堂もある。二階には大きめの寝室が三つと更衣室が二つ。三階には使用人向けらしい部屋もある。

「こじんまりして見えたが、意外と広いな」

 ジローがつい素直な感想を漏らしたところ、町の家政婦協会と契約を結べば、通いのメイドを雇うことも可能だと勧められた。

「どうです? 家具も十分お使いになれるものですし、買い替えるならご相談に乗ります。丸ごと買い換えたところで、お聞きしていた予算でもお釣りが来ますよ」

 機嫌よくそう言ったフロッケに、ジローは少しだけ考えるそぶりを見せた後、一番奥の部屋で冷気除けにかけてある壁のタペストリーを軽くなでた。

 そのタペストリーは城にかかっていたものの中では最も古いもののようで、元は日の当たる部屋にあったのか少し色褪せてはいる。しかし、中央に描かれた湖に片足を浸すように立っている女性の絵がとても美しい。
 それが病を治める女神エグランティーヌを描いたものなのは、彼女の左手にある万病を閉じ込める壺で一目瞭然だ。
 これは実用品というよりは美術品、観賞用であったのかもしれない。

「そうだな、ここに決めよう」

「お一人でお暮しに?」

「いや。近々二人になる」

「おおっ。さようでございますか」

 これは新婚のための物件探しだったのか!
 どうやらそう思ったらしいフロッケが大きく笑った。

   ◆

 さっそく城を買い取ったジローは、すべての契約が整った二日後、無事城の主となった。
 夕日が差し込む城の中。まっすぐに最奥の部屋に行ったジローは、タペストリーをそっと撫でた。

「遅くなってごめん。怒ってるかい?」

 愛し気に囁くと、タペストリーの乙女の右手に口づける。

「出ておいで、エグランティーヌ」

 タペストリーが淡く光り、ふわりと乙女が実像として浮き上がる。そして差し出したジローの手に、白い華奢な手が重ねられた。

「本当に待ちくたびれたわ、ジロー」

 唇を尖らせ、すねるような声で文句を言った乙女――エグランティーヌは、興味深げに周りを見回すと、ゆっくり口を開いた。

「ここは?」

「東の都。まさか、北の森からこんな遠く離れたところにいるとは夢にも思わなかったよ」

 肩をすくめるジローに、エグランティーヌは不思議そうな視線を向ける。

「東の都? 都って西にしかないんじゃなかった?」

「君が眠っていたこの二百年で、色々変わったのさ」

「あら。二百年も経っているの? じゃあ流行りのドレスもずいぶん違うのでしょうね」

「さっそくドレスかい? 相変わらずだね」

 言葉とは裏腹に目を輝かせたジローは、彼女にどんなドレスが似合うかすでに頭の中でピックアップしているのだろう。
 エグランティーヌはくすぐったそうに肩をすくめてクスクスと笑った。


 二百年前。国を襲った疫病を集め閉じ込めたエグランティーヌは、病を消滅させるため、乙女たちが祈りを込めて織ったタペストリーに入り、自らの時を止めた。
 百年後に目覚める予定だったのだが、ただのタペストリーだと思った泥棒に盗まれ、色々な土地を巡り、この城に飾られたという。

 タペストリーの中にいる時は、見えている景色は夢の中のようで、時間の感覚は全くないのだ。
 封印を解けるのは、彼女が目覚めの約束を施した婚約者のジローだけ。ジローはエグランティーヌのために人としての生を捨て、共に生きると誓った恋人だ。

「さて。せっかくこの城を買ったから、とりあえずここで新婚生活としゃれこみたいと思ってるんだけど、どうかな?」

 二百年前、結婚式の直前だったことを思い出させるようにジローがそう言うと、エグランティーヌは甘くとろけるように微笑んだ。

「もちろん賛成よ。まずは結婚式からね」

fin.