華狐の嫁入り ~離婚を申し出た途端に旦那様が現れました~

 紫苑と呼ばれた狐というには大きすぎる体躯のそれは、真っ白な絹に月を溶かしたような金色に近い美しい淡黄色の毛並みをしていた。芹香と同じくらいの背丈をしならせて「くぅん」と鳴いた。
 寂しさ漂うその仕草に眉を下げて苦笑すれば、紫苑はゆっくりとした動作で芹香の頬にすり寄ってくる。行かないで欲しいと訴えているようだった。
 ふさふさとした毛がくすぐったくも、芹香は目を閉じてそれを受け止めると陽だまりのような優しい香りに包まれる。首元に手を回して優しく撫でてやれば、紫苑の目が細まり喜びの色を湛えた。

「私だって紫苑と離れるのは嫌……。だけど……」

 ごめんね、とふさふさな耳元で囁いてから、芹香は紫苑の横をすり抜けた。そして広い中庭を抜けて家の裏手の塀に設けられた出入口から敷地の外へと歩を進める。
 後ろからは二人に加えて紫苑も一緒についてきていた。
 そして林の中を進むこと数分、目的地へと到着した芹香の目の前には小さくも漆塗りの美しい鳥居と祠が佇んでいた。その前に立った芹香は息を大きく吸い、そして叫んだ。

霊狐(れいこ)さま! 今日でちょうどお約束の一年となります。 明日までにお姿をお見せ下さらないようでしたら、わたくし芹香は離縁させて頂きとうございます!」

 決意の込められたまっすぐな声が辺りに響く。その声に驚いたのか、遠くで鳥の羽音が耳に届いた。
 芹香がここ、霊峰・九宝嶽(くほうだけ)にある霊狐の里にきたのは、日差しが鋭さを持ち始めた春の終わり。突然体に現れた花紋(かもん)により、贄になれとここに連れてこられた一年前の今日がすでに遠い記憶になりつつある。死を覚悟した芹香を待っていたのはこの霊狐の一族達で、想像もできないほどの歓待に最初は戸惑うばかりだった。
 そして季節は一巡し、気付けば当たり前の日々になっていた。温かく出迎えてくれた彼らは、すでに芹香の中で家族同然の存在になっていた。

 ──だから、なおさらここを去らないと……。

 半年を過ぎたあたりから、芹香はそう覚悟を決めていた。
 そして今日が、決行の日だ。
 なのに、

「──それは困る」

 過ぎし日々に思いを馳せていた芹香の耳に、これまで耳にしたことのない低く、けれども清々しい声が響いた。

「っ、霊狐(れいこ)さまですかっ⁉」

 驚きと共に、芹香は後ろを振り返った────……