その時、国は未曾有の災害に見舞われていた。
 地震が続き、雨は降らず、地は乾いてひび割れていく。その状態が二年も続いていた。
 当然、農作物の被害も甚大で、すでにだめになったもの、このままだと収穫前に立ち枯れるものしかなく、人々は飢え、毎日暗い顔つきで、ある者は晴天を恨めしげに見上げ、ある者は乾いた大地に目を落とした。

 そんななか、どこからともなく古い伝承が囁かれるようになった。

 大昔、同じような大災害があったとき、特殊な魔力を持った聖女をヴァンツィオ火山に捧げたところ、ぴたりと禍いが止んだらしい、と。

 先の見えない不安のなかで、人々はついその希望にすがってしまった。その聖女を見つければ、未来が拓けるのではないか、自分たちは助かるのではないかと。
 国も人々の不安を逸らすため、条件に当てはまる者を探し始めた。

 魔力を持つ者は貴族に多い。だが、もちろん、貴族を犠牲にしようというものなど誰もいなかった。
 当然のように、平民から探され、見つけ出されたのが、孤児であるサアラだった。



 気の毒そうな顔はするが、目を合わせてくれない村人たちに見送られて、サアラは立派な馬車に乗せられた。
 孤児院の職員は厄介払いができたという顔を隠さない。
 彼らになにも期待をしていない彼女は別れの挨拶をすると、あとは馬車に夢中になった。

(こんな豪華な馬車なんて見たこともないわ)

 サアラは馬車に乗ったことはなく、もちろん村から出たこともなかった。
 キョロキョロと物珍しげに馬車の中を見回して、興味深げに窓から外を眺める。
 その彼女を監視するかのように、同乗していたのは、黒髪の青年だった。

 女性かと見間違うような整った顔に、銀縁眼鏡をかけた彼は、無表情に彼女を見ている。
 眼鏡の奥から覗く瞳は菫色で、サアラは綺麗だなと思ったが、そんなことを口にしたら、ジロリと睨まれそうだった。

 馬車に乗る前、サアラを迎えにきた彼は、王宮魔術師のレクルムと名乗った。
 サアラが「よろしくお願いします」とぺこりとお辞儀すると、レクルムは冷えた目で彼女を見て、「バカじゃないの……」とつぶやいた。
 ぽかーんと口を開けた彼女を嫌そうに見ると、彼は言葉を続けた。

「僕が君を例の聖女だと認定したら、君は火口から突き落とされるんだよ? それなのに、呑気によろしくだなんて……バカじゃん」

 忌々しげにレクルムは言ったのだった。


 実際、レクルムはこの役目が嫌で嫌で仕方なかった。
 向かい合わせに馬車に乗り、サアラを眺めながら顔をしかめた。

 平民である彼は、類まれな魔力量と必死の努力で、王宮魔術師になって三年目だ。
 彼の所属する魔術局は、実力主義というのが建前ではあったが、周りは貴族ばかりでレクルムは軽んじられていた。
 それでも優秀な彼は便利な魔道具を開発したり、魔法陣を作ったりして成果をあげ──手柄を掠め取られたものも多数あったが──それがまた嫉妬を呼んだ。

 そんなに有能なら、生け贄になる少女の魔力を見極めるのにぴったりだと、誰もがやりたがらない損な役割を押しつけられたのだ。

 はぁ。

 ひとつ溜め息をつき、改めてレクルムは目の前の少女を見た。

 不思議な色の瞳をしている。それは朝焼けの赤や桃や茜が混じりあったような色で、今は好奇心に輝いている。

(綺麗だ……)

 柄にもなく思って、レクルムは首を振った。
 
(いやいや、そうじゃない…………伝承の『暁の瞳』と言えるかもしれない)

 言い伝えにはこうあった。

 ───災害を鎮めた乙女は、暁の瞳を持ち、声なきものの声を聴いた、と。そして、その乙女は功績を讃えられて、聖女として、火口近くに祀られている。

 『暁の瞳』を持つ者を探すのは簡単だった。暁を赤と読みかえれば、赤い瞳を持つ者は少ないものの、いなくはない。彼女のような色合いを持つ者は初めて見たが、それも探せばいるのだろう。

 問題は後半部分だった。
 『声なきものの声を聴く』とはどういうことなのか解釈が分かれた。

 世の中には不思議な力を持つ者がいて、人の思考を読む者、物に触れるとその来歴がわかる者、動物の気持ちがわかる者、様々いた。
 どれが伝承に書かれた能力なのか判別がつかず、しかも、それと赤い瞳を持つという条件を重ね合わせると、それぞれが極端に数が少ないゆえ、捜索は困難を極めた。

 しかし、それでも、サアラは見つかってしまった。

 つぎはぎが目立つ質素なワンピースを着ていて、髪の毛は伸ばしっぱなしで不揃いで、身ぎれいとは言いがたい。
 しかし、大きな目にこじんまりとした鼻、少し尖ったようなぷるんとした唇。かなりかわいらしい顔立ちをしている。
 孤児ということだったが、この器量ならもう少しましな扱いを受けてもよかったはずだが、忌み子とされていたのはやはりこの容姿のせいであろう。
 暁の瞳だけでなく、彼女の髪は真っ白で、その色合いだけで、禍々しいと思う者も多かったのかもしれない。

(それにしたって、あの扱いはひどい……)

 孤児院の職員と話したところ、彼らの言い様に、レクルムは反吐が出そうになった。

 これまで、サアラは「気味が悪い」「だから捨てられたんだよ」「あまり近寄らないでくれ」と言われながら育った。
 幼い頃からそう言われ続け虐げられてきたので、そういうものかと彼女は受け入れていた。
 ゴミ処理や家畜の世話など、言われたことを手伝ってわずかばかりの金をもらい、暮らしていた。

 それでも、サアラがひねもせず、真っ直ぐに育ったのは本来の気質と数多くの友達がいてくれたおかげだった。

 今も窓にかかったカーテンが揺れながら囁きかけてきた。

『ふふっ、風が気持ちいいわねー。私、馬車が走るときのこの風が大好き。だから、窓を閉められるとがっかりしちゃうの』

 サアラはにっこりして、カーテンを撫でた。
 レクルムの気を引かないようにこっそりとつぶやく。

「本当ね。気持ちいいわ」

 それでも、レクルムは気づいてしまって、カーテンを触りなにかつぶやいた彼女に、「気になるなら窓を閉める?」と聞いた。

「いえ、いいえ! 大丈夫です! 風が心地いいなぁと思っただけなんです」

 慌ててサアラは首を振る。
 窓がカタカタと笑い声をあげる。
 カーテンは『むう』と膨れた。

「そう?」

 レクルムは改めて彼女を観察する。
 今みたいに彼女は誰もいないところで会話をしていることがあるようだ。それで白羽の矢を立てられたのだ。

(バカらしい……)

 彼は思わずにはいられなかった。
 伝承に当てはまるかどうかは重要ではない。
 問題なのは、本当かどうかわからない伝承のために彼女は命を落とすかもしれないことだ。
 本当に災害が止むかどうかもわからないのに、この少女を犠牲にする必要があるのだろうか。

(いや、あるわけない)

 苦虫を噛み潰したような顔でレクルムは馬車に揺られ続ける。
 それなのに、自分がその引き金を引くはめになるとは。

 不機嫌に黙り込む彼を気にせず、サアラは移りゆく景色を楽しんでいた。
 村から離れた馬車は街道をひた進み、荒野に入っていた。このところの雨不足で、カラカラに乾いた地面から土埃が立つ。
 それを不思議そうに見つめ、空の雲の形をおもしろいと思い、遠くの森が近づいてくるのをワクワクして見る。

 いつも一緒のワンピースも旅行を楽しんでいるようで、『いつもの臭いところに行かないで楽ちんだね』と風にひらひら踊っていた。

 サアラは物のしゃべる声が聞こえた。物心がつく前からそうだったので、他の人には聞こえないということが長らくわからなかった。
 人々は、ぶつぶつとひとりで会話している彼女を気持ち悪く思い、伝えていないことを知っている彼女を不気味に思った。

 それでも、サアラは昔から自分を慰めてくれた友達を無視することもできず、大きくなってからは極力人目を引かないように交流を続けていた。

 王宮へ向かう馬車は快調に進んでいた。
 それでも到着までに三日はかかる。
 王宮に着いたら、サアラの能力を見極めて、余程の問題がなければ、彼女はヴァンツィオ火山に送られる。
 会ったときに一通り説明したのに、悲嘆にくれるわけでもなく、恐怖にこわばることもなく、楽しげにしている彼女をレクルムは奇異なものを見るように眺めた。

「君さ、逃げたいとか思わないわけ?」

 とうとう堪えられず聞いてしまった。
 実際には逃げようと思っても、疾走する馬車からは無理だし、万が一、飛び降りたとしても、レクルムの魔法で簡単に拘束できるのであるが、彼女がいったいこの事態をどう思っているのか知りたかったのだ。

「逃げたい、ですか?」

 考えてもいなかったとばかりにキョトンとしてサアラは答えた。

「死ぬのが怖くないのか?」

 あまりにほんわかしている彼女に苛立って、レクルムは直接的な言葉を使ってしまう。
 さすがのサアラも顔を曇らせる。それを見て、残酷なことを言ったと彼が弁解しようとしたとき、彼女が話しだした。

「それは怖いですけど、決まったことなら仕方ないです。それでこの災害が治まるのなら生きてきた甲斐もあったかなと思ってるんで、逃げるなんてこと、考えてません。ご安心ください」

 サアラは逃亡を心配されていると思ったようで、レクルムに笑いかけた。

 伝承が囁かれだしてから、サアラは「お前がヴァンツィオ火山に飛び込めば、災厄が消えるんじゃないか? そうしたら、ようやく人様の役に立てるね」などといろんなところで同じようなことを言われ続けたので、自分の役目はそれだったのかと刷り込まれていた。
 暁の瞳を持ち、物の声が聞ける自分は伝承通りだとも自覚していた。

「…………生きてる意味なんて、なくていいだろう?」

 自己犠牲が生きてきた意味だなんて殊勝に語る彼女に、レクルムは怒りが湧いてきた。
 正確に言えば、彼女に、ではなく、そういう考えに仕向けた者への怒りだった。

「なくていいのですか?」

 怒りに震える声で放たれた言葉に不思議そうに首を傾げて、サアラは続けた。

「でも、私にとっては、こうやって豪華な馬車に乗って、見たこともない場所に行けるのは意味のあることです」

 そう言って、にっこり微笑んだ彼女にレクルムはなにも言えなかった。
 死に向かう旅がこんな無愛想な男と一緒なんてかわいそうにと、ますます渋面になった彼に、サアラはなにかまずいことを言ったかとビクつく。

『大丈夫よ。この人、こんなきつい顔して、結構優しいから。きっと心配してるのよ』

 レクルムのペンダントがささやいた。
 それを聞いたサアラはふふっと笑った。

「なにがおかしいんだ?」

 きつい目をより尖らせてレクルムが問うと、サアラはふんわり微笑んだ。

「心配してくださって、ありがとうございます」
「心配なんか、してないっ」

 そう言って、目を逸らしたレクルムに、『ね? 心配してたでしょ?』とペンダントが言うから、サアラはふふっとまた笑った。