緑豊かな広大な土地と、世界屈指の四大騎士団のひとつであるノース騎士団を有する──フォレストフィールド王国。
ノース騎士団長を務めるザッハルト=エヴァンズ公爵令嬢である、私ことリリーは自室の窓から晴れ渡る空を眺めていた。こうやって碧い空を眺めるたびに私はあの時出会った、初恋の男の子のことが頭に浮かぶ。
澄んだ碧い瞳に太陽の輝きのような美しいの金色の髪をもつ男の子。
(もう十年か……あの子も大人になってるんだろうな)
私は新鮮な空気を肺に目一杯吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。
「今日は本当に気持ちのいい天気ね、ラピス」
私が肩に乗っかっている黒ウサギのラピスに声をかければ、ラピスが瑠璃色の瞳でじっと私を見つめた。
ラピスという名は私がつけたのだが、名前の由来はラピスの瑠璃色の瞳が鉱物であるラピスラズリと同じ色だったからだ。手のひらより少し小さいラピスはいつもは好奇心旺盛で、私が窓の外を眺めるときはその綺麗な深い青の瞳をキラキラと輝かせるのだが、今日のラピスは元気がなくなんだか悲しそうだ。
「元気がないわね、どうしたの? 昨日も私がお義母さまに言われたこと?」
「きゅう……」
ラピスが首を垂れた。
「気にしなくていいわ。たしかにこの国では黒い色は悪魔と同じとされてるけれど……だからって災いをもたらすなんて恐れからくる迷信よ」
私の母マリアが亡くなってから、この家には父の他に義母と義妹が住んでいる。
義母はこの国では“悪魔の象徴”と呼ばれている黒の毛並みをしているラピスを毛嫌いしているのだ。
確かにこの国で黒い色を持つものは悪魔の化身とされ、災いを呼び寄せるなどと言われているが、私はそんなことちっとも気にならなかったし信じていなかった。
ラピスは亡くなった母の形見であり、どんなにつらい時や悲しい時ことがあってもいつもそばに寄りそってくれた私の大切な友達だ。
「あなたと私はずっと一緒よ」
「きゅうっ」
私が微笑むとラピスは嬉しそうに私の頬をペロリと舐めた。そして二人で窓の外の空へと視線を移す。
「いつかもう一度……あの男の子にいつか会いたいな」
──あれは十年前のことだ。その日、当時八歳だった私はうまれてはじめての恋をした。
私よりすこし年上と思われるその男の子は眩い金色の髪を風に靡かせながら、澄んだ碧い瞳を真っすぐに私に向けてこう言った。
──『大きくなったら俺の妻になってほしい』
『つまってなに?』
──『ずっと……一緒に居て欲しいという意味だ』
『うんっ、いいよ!』
すぐに私がそう返事をすれば、男の子の頬がほんのりリンゴのように赤く染まる。
──『じゃあこれをもっていてくれ』
男の子はポケットからそっとネックレスを取りだすと、私の首にそっとかけた。
ネックレスの中央には星のような模様がついていてダイヤの石が一粒はめ込まれている。
『こんなキレイなのいいの?』
──『リリーに持っていて欲しいんだ。また必ず探して会いに行く』
『わかった。やくそくね』
私は男の子に向かって笑って手を差し出せば、すぐに男の子が私よりも大きな手で私の手をそっと握った。
──『ああ。約束だ』
幼かった私にはもう彼の顔がはっきりとは思い出せないけれど、今もとても大切な思い出だ。そして叶うならばもう一度、あの男の子に会いたい。会って今度こそ名前を聞きたい。
「でも初恋は実らないっていうわよね」
私はいつも肌身離さずつけている、彼から貰ったネックレスを胸元から取り出すとふっと笑った。
「それにもしまた会えたとして……泣いてばかりで剣の振り方も知らなかった私が、いまや剣ばかり振っていると知ったら……どう思うかしら……」
私の母であるマリアは亡くなっているが、死因は病死でも事故でもない。他殺だ。また犯人はいまだに見つかっていない。
「お母様……必ず、仇を取るからね」
私は母の墓前にそう誓ってから、ひたすら剣技を磨いてきた。
もう誰も失わないように。もう無力な自分に失望して悔しくて涙がこぼれてしまわないように。
強くなりたい。強くありたい。
──いつか母を殺した犯人をこの手で討つために。
──コンコンコンッ
「リリーお嬢様」
扉の向こうから聞こえてきた声は、長らく私のメイドとして仕えてくれているドーナだ。
「入っていいわよ、ドーナ」
「失礼致します」
ドーナは長い赤髪を一つに束ねており、アーモンド形をしたオレンジ色の瞳は穏やかながらも芯のある気質が滲み出ている。ドーナは今年二十六歳だがその優秀さから当家のメイド長として働いており、私とは十年の付き合いになる。
母が亡くなってから、ノース騎士団の騎士団長を務める父ザッハルトが多忙で不在がちなこともあり、私の世話係として知り合いの子爵家から紹介してもらったと聞いている。
ドーナは私に生真面目に斜め四十五度にお辞儀をしてから、すぐに困ったような顔をした。
「ドーナどうかしたの?」
「リリーお嬢様、本日の縁談相手であるゴードン伯爵子息がお見えです」
その名前に私はすぐに頭を抱えた。
「はぁああああ。そうだわ、すっかり忘れてた」
私が思わず吐き出した盛大なため息に、ドーナが切れ長の目を不服そうに細める。
「昨年、リリー様が成人を迎えられてからもう五十回目の縁談ですわ! リリー様にその気がないのを分かっていてカミーラ様もあんまりですっ」
「しょうがないわよ。実の娘じゃないんだし。お義母様は目障りな私を嫁に出したいのよ」
十年前、母マリアが亡くなった翌年に父は現在の妻である、カミーラと再婚した。
カミーラにはミッシェルという私よりひとつ年下の娘がいるのだが、彼女らが我が家にやって来た際、まだ母の死を受け入れられていなかった私はひどく戸惑った。母がいないことにすら慣れない中で新しい母と妹だと紹介されても、とても前向きに家族になりたいとは思えなかった。
そんな私を見たカミーラとミッシェルはあからさまに嫌悪感を示したことはいうまでもない。
「だからと言って……お嬢様を追い出すために無理やり縁談を取りつけてくるなんて……」
「大丈夫、今日も私は負けたりしないわ」
私は結婚の条件として私よりも剣の腕がたつ人であることを掲げており、今の所は縁談にのこのこやってきた全ての男性を返り討ちにしている。
「しかしお嬢様……」
「剣なら誰にも負けたことないの。自信だってあるわ。ドーナはもう下がって、すぐに準備して降りるわ」
「いえ……今日こそは今から縁談を中止するようわたくしからザッハルト様に……」
「無駄よ。お父様もお義母様と同じ意見だってドーナもわかってるでしょ。女の幸せは結婚だって」
私の言葉にドーナが下唇を噛んだ。
「わたくし悔しいです……ザッハルト様もザッハルト様ですわ……カミーラ様の意見ばかり尊重して……なにかとミッシェル様とお嬢様を比較して……リリー様こそ血を分けたたった一人のご息女さまですのに」
「ありがとうドーナ、あなたがそうやって私に寄りそってくれるお陰で救われてるの」
「お嬢様……」
「ドーナは本当によくやってくれているわ。あなたのことは姉同然と思ってるの」
思わずこぼれたのは私の偽りのない心からの言葉だ。
ドーナはこの家のメイド長として家事全般を切り盛りしながら私を支えてくれているのは勿論のこと、本好きなドーナは博学で私の知らない世界を沢山教えてくれ、どんな時も味方をして寄り添ってくれるあたたかい存在だ。
「これからもリリーお嬢様に誠心誠意お仕えし、そしていつか必ず、お嬢様と一緒にマリア奥様の仇をとるのがこのドーナの使命だと思っております」
「その気持ちだけで十分よ、無理はしないで」
またドーナは忙しいメイド業の合間を縫って、私と一緒に母を暗殺した犯人の手がかりを掴むため力を貸してくれている。
「いえ。このドーナ、こうと決めたら絶対に死んでもこの使命を全うする次第でございます。またマリア様の件で何かわかりましたらお知らせいたします」
私はドーナにむかって頷くと、ベッド脇から我がエヴァンズ家の紋章が入った剣を手に取った。
「さぁ、今日も打ち負かしてきましょうか」
「お嬢様ご武運を……」
「ありがとう」
私は唇に笑みを浮かべると顔を上げ、ドーナが開けた扉から颯爽と歩きだした。
※※
私はあらかじめ先方に指定しておいた待ち合わせ場所である屋敷の庭園へと入っていく。するとすぐに熊のような大柄な男の後ろ姿見えた。
(伯爵って言ってたけど今日の相手はやけに体格がいいわね……)
「大変お待たせいたしました」
私は仁王立ちしている男の目の前に立つと、一瞬だけ目を見開いた。
男のはだけたシャツからはたくましい胸元が見え、幾重もの傷がついている。身なりはとても伯爵子息とは思えない。その目は獰猛な獣のような鋭い目つきで男の人相は悪く、また腰には剣ではなく大きな斧がぶら下がっている。
(やられた……、絶対伯爵子息じゃないわよね)
私は心情を悟られないようににこりと笑みを浮かべながら、ドレスの裾を持って丁寧に挨拶をする。
「お初にお目にかかります、リリー=エヴァンズと申します」
「どうも。俺の名はゴードンだ」
男の顔は頬と額にひとつずつ傷があり、鍛え上がられた腕には血管がいくつも浮かび上がっており首はそのあたりの大木と同じぐらい太い。
(ほんと獣みたいな男性ね……)
「早速だが、俺があんたに勝ったら嫁に娶れる、そういうことで間違いないだろうな」
「えぇ、そうよ」
ゴードンは私の返事を聞くと厭らしく笑った。
「そうか。まさかこの世界随一の最強騎士団、ノース騎士団長であるザッハルト=エヴァンズの娘を嫁にできるとはな……長らく用心棒としてその日の暮らしを繋いできたがこれからは楽ができそうだ」
(なるほどね、闇商人や下っ端貴族の用心棒をしてるのね)
(そのいで立ちと野蛮な人相にも納得がいくわ)
私はゴードンから数歩後ろに距離を取る。
「随分と自信があるようですけど、もし私が勝ったら二度と私にもエヴァンズ家にも関わらないでくださいね」
「くくくっ、随分自身があるんだな。そんな細い腕で俺の斧が受け止められるとは思えないが」
「そちらこそ女だからと見くびらないでください。私が“鉄の守り神”と謳われているノース騎士団の団長であるザッハルト=エヴァンズの娘だということをお忘れなく」
「女のくせに生意気な。すぐに俺にひれ伏すことになるだろう」
ゴードンが斧を両手でぐっと握り締めるのを見て、私は静かに剣を構えた。
(落ち着いて。相手は斧、力で負かすのは難しい)
(真正面から挑むのは危険だわ……ならば)
「こないのか? ならこちらからいくまでだ!」
ゴードンが地面を蹴ってこちらに向かって駆けてくる。
私はゴードンによって振り上げられた斧を左に避けてかわすと、すぐに剣を構え直す。そしてゴードンの背後に回ろうと地面を蹴った。
──が、思ったよりゴードンは俊敏だ。
すぐにまたゴードンは私へと何度も斧を振りかざしてくる。
(速い……っ、体格からしてもう少し鈍足かと思ってたのに)
私は何とか身体を回転させながら攻撃を避けていく。
(背後に回るのは無理そうね、それなら……)
「どうした? 逃げ回ってばかりでつまらんぞ。もう降参して俺の妻になるか?」
「お断りよっ、誰があなたみたいな野蛮な人なんかと!!」
「なんだと!!」
そういうとゴードンが苛立ったように私に向かって大きく斧を振り上げる。
「もらったぁ!!!!」
(冷静さをかいた……今だわ!)
私はギリギリまでこちらに向かって振り下ろされる斧を見つめてから、さっと横へ飛びのいた。そしてゴードンの斧が地面に振り下ろされたタイミングで私はゴードンの斧の上に両足を乗せると斧を踏み台にしてジャンプし、ゴードンの頭の上を飛び越えた。
「な……っ、消えた?」
私はゴードンの背後に着地すると素早く銀色に輝く剣をゴードンの喉もとに突き付けた。
「──っ!!!」
ゴードンの動きがピタリと止まる。
「私の勝ちですわね」
「……っ、くそっ!!!!」
私は悔しそうに両手を地面に叩きつけたゴードンを見ながら唇を持ち上げた。
「女だからと舐めないことね」
「覚えてろ!!!!」
「覚えるもなにももうお会いすることはないはずでしょう? まさか仮にも伯爵子息のゴードン様はお約束をお破りに?」
「く……っ」
ゴードンはこれでもかと私を睨みつけてからその場から立ち去った。
「ふぅ。今回はあぶなかったけどなんとかなったわね」
私が腰元の鞘に剣を収めたと同時に、私の胸元に隠れていたラピスが顔を出した。
「きゅうっ」
「ふうっ、大丈夫よ。いい運動になったわ」
「きゅうきゅうっ」
「ふふふ、心配してくれたのね。ありがとう」
その時──ラピスの耳がピンと立つと、その瑠璃色の視線が後方へと向けられた。
「ラピス?」
──パチパチパチ……。
リリー(出た……)
拍手の音と一緒に現れたのは今年成人の儀を終えたばかりの一つ年下の義妹のミッシェルだった。
「お義姉さま、おめでとうございま~す、記念すべき五十回目の破談ですわね」
ミッシェルはウェーブのかかったブロンドの髪を靡かせながら、オレンジ色の瞳をこちらに向けると馬鹿にするように笑った。
「せーーっかくの伯爵子息でしたのにいいんですの?」
「どうみても伯爵子息じゃないでしょっ、あんな野蛮な人を仮にもエヴァンズの娘である私の婚約者候補にするなんてお父様もご存じないはずだわ」
「それはどうかしら~? お父様はいつだってお母様と私の味方なの。お母様が見つけてきた縁談相手ならお父様はいつだって首を縦に振るわ」
「そんなことないわ……っ」
「今回の相手だって、あの野蛮な男なら剣しか興味のないリリーときっと気が合うはずってお母様が一生懸命見繕ってお父様も了承してたんだから」
「なるほどね、ものは言いようね」
「あら、お母様は心からお姉さまの幸せを祈ってらっしゃるのに、そんな言い方って不敬きわまりないですわ。これこそお父様に言いつけなきゃ」
「……っ」
「だいたい~女性としてのたしなみである料理や裁縫そっちのけで朝から晩まで剣を振り回してる娘なんて、エヴァンズの恥さらし、目の上のたんこぶでしかないでしょ」
私はぐっと奥歯を噛み締めた。
確かに令嬢の身で剣術を日々磨いているのは私くらいだろう。そして昔気質なお父様が快く思っていないことも理解はしているつもりだ。だから私には剣術の師はいない。時折お父様が率いるノース騎士団の稽古をこっそり陰から見て、独学で剣術を身につけたのだ。
「私は誰にも迷惑かけてない」
「あらあらかけてますわよ~あたしこの間サロンで野蛮極まりないお姉さまのことが話題にでて恥ずかしかったですもの~適当に誤魔化しておいてさしあげましたけどね」
「とりなしてって、別にミッシェルに頼んだ覚えはないし恥ずべきことはしてないわ」
ミッシェルは可愛らしい顔を歪めると、私と一歩距離を詰めた。
「野蛮極まりないお姉さまが、エヴァンズの恥晒しになってるのがお分かりにならないの? さっさとこの家から出て行ってよ」
「……時間の無駄ね。失礼するわ」
そう言って私はミッシェルの横を通り過ぎようとするが、ミッシェルは私の前に立ちはだかる。
「野蛮な方がお嫌なら今度あたしのおさがりを紹介してさしあげますわよ。隣国のフランゼ伯爵子息がしつこくって~、一晩でその気になるほんと馬鹿な男ですけどあたしが頼めばお姉さまを娶ってくれるかも」
(どれだけ馬鹿にしたら気が済むの……っ)
「結構よ!! 私、結婚に興味ないの。結婚したらお母様の仇だって討てなくなるもの」
私のその言葉にミッシェルの顔色が変わる。
「哀れなお姉さま! いまだに亡霊にとらわれて」
「どういう意味?!」
「死んだ人は何したって生き返らないじゃな~い。本当に無駄な事ばかりに時間をお使いになるのが得意ですのね」
「ミッシェル!! あなたね……っ!!」
「あらなに? ほんとのことでしょ。そもそも暗殺されるなんて、お姉さまのお母様であるマリア様は一体どんな悪事働いたのかしら~?」
「母を侮辱するなんて、ゆるさないっ!!」
「本当のことを言っただけですわ~」
私は怒りから腰元に挿している剣を持つとぐっと力を込めた。勿論この剣を振りかざすつもりなんて毛頭ない。ただミッシェルの悪意に満ち溢れた侮辱の言葉に、私はこみ上げてくる怒りをどうにか抑え込むのに必死になってくる。
(母はもうどんなに願っても、仇をとっても生き返らない。そんなことわかってる……)
(それでも私だけは母の無念を忘れない! 必ず犯人を探し出して見せる)
「なんて怖い顔~、もしかしてその剣であたしのことも斬ろうとしてます?」
「いい加減にして!!」
──「二人ともそこで何してるの?!」
その声に私がはっとすれば義母のカミーラが鬼のような形相で私を睨みつけていた。
「リリー縁談は? まさか……あの男にも勝ったというの?」
「野蛮なお姉さまにはピッタリだったのに。それを言ったら、お姉さまがいまにも剣をこちらに振り下ろそうとしてて怖くて……っ」
「何ですって!!」
ミッシェルは両目に涙を浮かべるとカミーラの前で小刻みに震えてみせている。
(よくやるわね。毎度毎度……)
「血のつながりのない私たちのこと良く思っていないのはわかるけど、ミッシェルに暴力を振るうなら黙ってないわっ」
私はここで事を荒立ててもミッシェルの思うツボだと悟ると、しおらしく首を振ってみせた。
「誤解です。大事な妹にそんなこといたしません」
「ふん、よくそんな歯の浮いたことを……じゃあなぜミッシェルは泣いているの?」
「それは……言いにくいのですが……」
「いいからさっさと言いなさいっ」
「優しいミッシェルが私の縁談が破談になったことを悲しんでくれて……さらには自分のおさがりの男性をあてがってくれると提案してくれて……」
「え?」
すぐにカミーラの眉間に皺がよるのと、ミッシェルが目を開くのが同時だった。
「でもいくらミッシェルがそう言ってくれましても、ミッシェルとは正反対で器量も悪く剣ばかり振り回す女など……お相手が嫌がるのではないかと思いお断りいたしましたの。ちなみに紹介されたのは隣の国のフランゼ伯爵子息と言ったかしら……」
「な……っ」
カミーラはこめかみに青筋を立たせると後ろに隠れているミッシェルに視線を向けた。
「それは本当なの?」
「ま、まっさか~、男性と二人きりでなんて会ったことございませんわ~」
「でもこの間もフランゼ伯爵子息から手紙が届いていたわよね?」
「ええっと……お茶でもっていうお誘いですわ。一度会ってあげただけなのにあたしに一目ぼれしたとかでしつこくって」
「いまなんて? あなた……男性と二人で会ったことないって言ったばかりよね」
「あ……っ、えっと」
しまったとばかりにオロオロするミッシェルを見ながら、カミーラが盛大なため息を吐きだした。
「リリー悪いけど、ミッシェルの男遊びのことは」
「勿論、お父様含め、他言致しません。それとお義母様にもうひとつお伝えしたいことが」
「何かしら?」
「縁談話はもう結構ですわ」
「リリー! あなた、この母に向かって命令しているの?」
カミーラの鋭い視線をまっすぐに受け止めながら私は静かに口を開いた。
「いいえ。まず私はミッシェルのことを本当に大切に思ってますの。ミッシェルが夜な夜な屋敷を抜け出して男遊びをしていることは墓場まで持っていくつもりです。そしてお義母さまが私のために色々とお気遣い頂いているのを承知のうえで申し上げますが、私はまだこの家で、家族四人の時間を大切にしたいのです……どうかご理解いただきこの家に置いていただけないでしょうか」
私は言葉を紡ぎ終わると、カミーラに向かってお辞儀をした。カミーラは暫く黙っていたが、やがて小さくため息を吐いた。
「……いいでしょう。ミッシェルのことを内緒にしてくれるなら縁談はもう取り付けないわ」
その言葉にミッシェルが抗議の声を上げる。
「そんな、お母様っ、あたしは男遊びなんてしてないのに……」
「黙りなさいっ、あなたが夜たびたび屋敷を抜け出しているのを私が知らないとでも?」
「……っ」
「エヴァンズ家の令嬢ともあろう者がとんでもないわ、このことがザッハルトに知られたら私たちこそこの家に居られなくなるのよっ」
カミーラはミッシェルを一喝すると、すぐにミッシェルの手を掴み屋敷へと戻っていった。
(いい気味ね。いまからたんまりお灸を据えられたらいいわ)
「これでしばらくはこの屋敷にいることができそうね」
「きゅうっ」
私がにっこり微笑むと、ラピスが嬉しそうに私の肩の上でぴょこんと跳ねた。
※※
──フォレストフィールド王国・王宮
男は窓辺に凭れかかって降り注ぐ眩い太陽の光に淡く海のように透き通った碧眼を静かに向けている。男の身長は百八十を優に超え、鍛え上がられ引き締まった体躯と鋭い眼光からは数えきれないほどの戦場を生き抜いてきた証のごとく、見る者に恐怖心と服従心を与える。
「……どこにいるんだ……リリー」
美しい金色の髪をもち、ピンク色の瞳をもつ少女が男の記憶の片隅からいなくなったことは一度もない。男は部屋の外から聞こえてくる足音に窓辺から身体を離した。
──コンコンコンッ
「ルーカス様、私です」
「カイルか。はいれ」
「失礼致します」
入ってきたブロンドの髪の男は一礼をすると、主であるルーカスの元へ視線を逸らすことなく歩いていく。
「お邪魔でしたでしょうか?」
「いや。どうした?」
「はい。早速ですが、今度の王宮で開かれるダンスパーティーの件ですがいかがいたしましょう?」
「あれか。ダンスパーティーといっても婚約者探しが名目だろうな」
「はい」
ルーカスはこの国では悪魔と同じ色とされる、珍しい漆黒の髪をかき上げながらカイルに目を向けた。
「弟のセオドアがでるならいいだろう。“悪魔王子”などと呼ばれている俺がでても場がしらけるだけだ。それにそもそも父上が王位継承権をもつセオドアのために開くのだろう?」
「いえ、婚約者探しのダンスパーティーの主宰者はパトリシア王妃様のようで……病床につかれている国王に代わって早くセオドア様を国王にしたいのではないかと……」
彼の従順な部下であり兄がわりでもある、カイン=オリバーはくっきりとした二重の目を伏せ目がちにすると言葉を濁した。
「なるほどな、王位継承権がセオドアにあるうちに婚姻させ、この国を意のままに操ろうという魂胆か」
「おそらく、間違いございません」
「ならば、急がないといけないな」
パトリシア王妃とルーカスの間に血縁関係はない。ルーカスの母が病死したあと、長らくルーカスの侍女をしていたパトリシアを王が見初め後妻をして娶ったのだ。その後、生まれたのが第二王子のセオドアだ。
「セオドア様は政治に全く興味がなく……あのような性格です。おそらくセオドア様が王位につかれた暁には実権を握るのはパトリシア王妃かと」
「父上が病に倒れたのをいいことに贅沢三昧で、民のことなどまるで考えていないあの女にこの国を渡すわけにはいかない」
「王位継承権奪回のためにも、はやくルーカス様の髪色を元の髪色に戻す方法を見つけ出せればよいのですが……」
「そうだな。この髪色さえ元に戻すことができたなら……」
この国の第一王子であるルーカスの王位継承権は現在第二位となっている。その理由は、ルーカスの髪色に起因する。元々、金色の髪をもち太陽の加護を受けた王子として、国中に祝福され未来の国王を約束されたルーカスだったがある日を境に、徐々に髪色が黒く染まり始めたのだ。
そんな我が子を見て国王は、国中の医師と薬師に協力を仰いだが進行はとめられず、三年程でルーカスの髪色は真っ黒になってしまった。
それと同時にルーカスを取り巻く世界は大きく変わった。悪魔の化身とされる黒髪を持つことで、災いをもたらす者として恐れられるようになった。さらにその頃、国王が病に倒れたことから噂に尾鰭がついて、あっという間にルーカスは忌避される存在となってしまったのだ。
「……くそっ」
もどかしそうに拳を強く握るルーカスを見ながら、カインは奥歯を噛み締め、主へと力強い眼差しを向ける。
「必ず……見つけてみせます」
「ありがとう。だが無理はするなよ」
「はい」
「ところで、もう食事はすんだのか?」
重苦しい空気を変えるように発した、ルーカスの言葉にカイルは思わず目を細めてから頷いた。
「はい。いただきました」
「そうか。毎日働きづめだがちゃんと寝てるんだろうな?」
「ええ。大丈夫でございます」
ルーカスは涼しい顔で答えるカイルの顔をぐっとのぞき込む。
「本当に……無理はしていないだろうな?」
嘘を吐いているのではと疑い、ジロリとカイルを睨んでいるルーカスに向かってカイルは堪えきれずにククっと笑った。
「なんだ?」
「いえ……冷酷非道な“悪魔王子”と呼ばれ戦場で会えば命はないと恐れられているルーカス様が、こんなにも部下思いでお優しい方だとは誰も知らないでしょうね」
「うるさい。お前が倒れたら俺の手間が増えるからだ」
「そういうことにしておきましょうか」
「ふん、もうさがれ」
ルーカスは頬を赤らめると、プイッと顔を逸らした。
カイルはそんなルーカスを可愛らしく思いながら、つま先を扉に向けようとしてその場にとどまった。
「……もう十年になりますね」
「なんのことだ?」
「わかっていらっしゃるでしょう。ルーカス様の“初恋の君”ですよ。なかなか探し出せず申し訳ございません。念のため、ダンスパーティーの参加者名簿を確認しましたがお名前はみつかりませんでした」
優秀な部下の返答にルーカスの抱いていたわずかな期待は泡のように消えていく。
「そうか、わかった」
「こちらも引き続き手を尽くします」
カイルはルーカスに一礼すると静かに部屋をあとにした。
再び静寂の訪れた部屋でルーカスは“初恋の君”へ想いを馳せる。
「あのネックレス……まだ持ってくれているのだろうか」
「リリー……もう一度会えたら……」
ルーカスはそう呟くと、しばし窓辺に映る自身の黒髪を見つめてから、ふっとため息をこぼした。
※※
私は夕食を終えると夜衣に着替え、母の遺した日誌に目を通す。もうこの数年の私のルーティンだ。
「十年、か……」
十年前──薬の調合師をしていた私の母マリアは、何者かに暗殺された。その現場を自室の窓から偶然見てしまった私は怖くて声も出せなくて何もできなかった。そして何とか震える足で駆けつけたが血まみれの母のそばでただただ泣いて、冷たくなっていく母にすがることしかできなかった。
そんな弱い自分から変わるために、私は剣を取り、剣の腕を磨き続けてきた。
(絶対に諦めないわ)
(いつか……母の仇を討ってみせる)
「最期にお母様が私に託したこの日誌に、なにか手がかりがあるはずよ」
母は最期の瞬間、力を振り絞るようにして床下に落ちていた日誌を指さしたのだ。
日誌には母が開発した薬についてのメモ書きや薬を依頼した人物の名前が記載されているのだが、何度読み返しても不自然な点はない。
「しいていえば、このページは何故何も書かれてないのかしら」
日誌の中盤の見開き一ページだけ真っ新なところがあるのだ。
──コンコンコンッ
「あいてるわ」
「失礼致します、よく眠れるように安眠作用のあるアップルティーをお持ち致しました」
「ありがとう」
ドーナは私が座っているテーブルの前にアップルティーをそっと置く。
「そのページですよね。わたくしも気になって色々調べているのですが……隠し文字の可能性がありますので」
「でも光に透かしてみても、火であぶってみてもだめだったわよね」
「やっぱりただ単にページを飛ばしてしまったのに気づかなかっただけなのかしら」
そして私はティーカップを持ち上げようとして手元が滑り、アップルティーが零れる。
「あ……っ!」
咄嗟に日誌を持ち上げたが端の方に紅茶がかかってしまった。慌ててドーナがテーブルに溢れた紅茶を拭き取るためにハンカチを押し当てる。
「お嬢様、お怪我は?!」
「大丈夫。それより日誌が……」
そう言いかけてドーナと私は日誌の端に釘付けになる。なぜなら濡れた端に何かの模様が浮かび上がったからだ。
「何これ……もしか、して……液体をかけると浮かびあがる隠し文字……?」
すぐに今度はドーナがさっと水差しを持ってくる。私がハンカチでそっとそのページを濡らせば、綺麗にある紋章が浮かび上がった。私たちは驚きながらも顔を見合わせる。なぜならその紋章はこの国のものなら誰でも知っているものだ。繁栄を表す蔦と権力を示す王冠を象った紋章、それは──。
「これ……王家の紋章じゃない……それにこの紋章の横の文字……古代文字?」
「お嬢様、失礼致します」
ドーナが私から日誌を受け取ると、じっとその文字をみつめる。
「……D……E……M、OM……悪魔……?」
「えっ、王家の……悪魔って……」
私はすぐにある人物の名前を思い浮かべる。黒髪の持って生まれたこの国の第一王子。
「この国で忌み嫌われる悪魔と同じ黒い髪をもつ冷酷非道な“悪魔王子”ルーカス=レオナルド。通称“悪魔王子”、彼がお母様の件に関わっているってこと?」
「それはまだわかりません、ただマリア様がこのようにしてまでこの紋章と悪魔という言葉を隠していたとすれば、事件と何らかの関わりがあると考えるのが筋かと」
「そうね。ならその悪魔王子とやらを調べなきゃ」
顎に手を当ててぽつりとつぶやいた私の言葉にドーナが大きく首を振った。
「いけませんお嬢様! そのような危険なこと」
「やっとこの白紙のページの隠された謎が解けたのに、このままじゃいてもたってもいられないわ」
「しかし……っ」
「私にいい考えがあるの。だからドーナ、今日のところはもう下がっていいわ」
ドーナ「……承知致しました。失礼いたします……」
私はドーナが部屋をあとにすると、肩からストールを巻いて部屋を飛び出した。真っすぐに向かった先は父であるザッハルトの部屋だ。ノックをすればすぐに返事が返ってくる。
「どうぞ」
「失礼致します。夜分遅くにすみません。お父様にお話したいことがあって」
「こんな夜にしかもお前から訪ねてくるのは珍しいな。座りなさい」
父は視線を落としていた書物から顔をあげると目の前の椅子を指さした。私は言われた通りにその椅子に腰かけた。
「お前の話を聞く前に、また縁談を破談にしたと聞いたが本当か?」
「はい」
「あとミッシェルによると、カミーラに対してもう縁談は必要ないとも言ったとか?」
(自分のことは棚に上げて、お父様に告げ口したのね。本当に卑劣だわ)
私はため息をぐっとこらえてから返事をする。
「それも本当です。でも私もお父様とお義母様が私のためを思って縁談をという気持ちはありがたく思っております」
「じゃあそろそろ安心させてくれ。天国のマリアもそれを望んでいるだろう」
父ははじめこそ、母マリアの事件について熱心に調べていたが、カミーラと出会ってからは変わってしまった。
「リリー、過去は変えられない。変えられるのは未来だけだ」
これは父の口癖だ。父は髭を摩りながら足を組み直す。
「お前には良家に嫁ぎ子供を産み育てる平凡な幸せを手に入れて欲しいのだ。剣術ではなく、裁縫や料理の腕を磨いて欲しい。ミッシェルのように」
私は手のひらをぎゅっと握りしめる。
(嫌よ……っ、母のこと、忘れたりなんかしない)
(必ず無念を晴らして見せる。そのためには……)
「承知致しました……お父様のお気持ちは十分に理解致しましたので、結婚に関して前向きに検討したいと思います」
「そうか!」
途端に父が顔を明るくすると前のめりになる。
「では早速だが知り合いの公爵子息との縁談を進めても良いな?」
「いえ……生涯を共にするパートナーですから……私にお相手を探す機会をいただけないでしょうか?」
「ん? それはかまわんが……一体どうやって探すのだ?」
(お父様、その言葉を待っていたわ)
「今度王宮で開かれるダンスパーティーに参加したいと思っております。もし王子様のお目に留まることができたなら、このエヴァンズ家の更なる繁栄にもつながります」
私の言葉に一瞬目を大きくしたあと、父は豪快に笑った。
「おお、そうかそうか。さすが俺の娘だ。我がエヴァンズの将来も慮るとはな。わかった、すぐにパーティーに参加できるよう連絡しておこう」
「ありがとうございます」
私は父に丁寧にお辞儀をしてから軽い足取りで部屋をあとにする。
(これで……王宮にいく大義名分ができたわ)
(“悪魔王子”一体どんな人物なのかしら……)
──この時の私は知らなかった。
まさか悪魔王子と呼ばれる彼と結婚し、深く愛されることになるなんて。
【第一章・完】



