きみのたったひとつの光にになれますように

ゆっくりと視界が戻ってくる。窓からさす太陽の光、鳥の高い鳴き声。まるで地獄の始まりの合図のようだ。今日もまた一日が始まってしまった。今日もこの世界で生きなければならないと考えると、吐き気が止まない。あぁ、どうやったら死ねるかな。今日もいつものように死ぬ方法を探している。ここ1年で、生きることへの疲弊を感じる気持ちは、変わらないどころか、だいぶ強まった。いくらしんどくても、時間の流れは止まってくれはしないので、鬱々、鉛のようにずっしりと重い体を起こす。重い足を引きずりながら、洗面所に行き、氷の様に冷たい水で顔を洗う。部屋に戻り、制服に着替えたら、キッチンに行き、朝ごはんでも食べようと思ったが、やっぱり辞めた。死にたいと考えている私に、朝ごはんは必要ないだろう。このまま何も食べずにいたら餓死できるかもと考えたが、どうせ無理なんだろう。最低限の支度は済ませたので、もう家を出ることにした。玄関のドアを開けた瞬間、冷たい風が私の肌を突き刺す。12月の風は、やはり冷たいようだ。虚しいほど広い青空は、私の瞳には綺麗には映らない。駅に着き、改札を通ってホームに着く。以前、飛び込み自殺でもしようかと思ったが、大事になりそうだし、自分が死ぬ瞬間を誰かに見られたくなかったので、未遂のまま終わった。電車がやってきて、多くの人々が一気に乗り込む。私の通う高校は、田舎の方にあるので、降りる頃には電車に乗っている人はほとんどいなくなっている。電車から慌ただしく降りて行く人達を視界の端に写しながら、窓の外の景色に目を移す。目の前にはいつものように青い海が広がっていた。やっぱり今日も世界は始まってしまったのだなと、改めて思わせられる。海は広くて怖い。海にいる生き物は、生きることは楽しいのだろうか。昔、こんな話を聞いたことがある。海を浮遊する海月は、脳という司令塔をもたず、感情がないそうだ。感情が無いのに、この世界で生きる意味があるのだろうか。いや、そもそも私みたいに、生きるのがしんどいとも思わないのだろう。少し羨ましかった。来世は海月になるのもありだなと思った。そんなことを考えていたら、いつのまにか学校の最寄り駅に着いていた。電車を下り、改札を通って学校に向かう。私の通う学校は、駅から15分ほど歩いた所にある。どうせあともう少しで死ぬつもりなのに、学校に行く意味があるのかとも考えたが、行かずにいたら、また親がなにか言ってきそうなので、仕方なく行くことにしている。同じ制服を纏った生徒たちが、友達とキラキラした顔で喋っている。私も、普通の人生だったら、あんな風に笑えていたのだろうか。私がこんな風になってしまったのは、全て自分のせいなのは分かりきっている。でも、なんで自分が今ここにいるのか分からなかった。学校の正門をくぐり、教室に向かう。2年E組の教室は一番奥にあるので、行くのが大変だ。教室にたどり着くまでの廊下が、なんだか永遠に続くように思えた。やっとの思いで教室に着き、自分の席に腰を下ろす。もちろん、私に話しかけてくる生徒はいない。私はこのクラスで幽霊のような存在だ。変に絡まれるよりかは楽だから良いのだけど。下を見て俯いていると、生徒達の明るい話し声が嫌でも耳に入ってくる。
「クリスマスまでに彼氏欲しかったー。」
「まじ分かる。彼氏とプレゼント交換とかしたかったな。」
パッと黒板を見ると、今日は十二月二十四日、クリスマスイブの日だった。私とは無縁の行事だ。でも、なんだか昔を思い出して泣きそうになる。お父さん、元気かな。考え出すと止まらない気がして、勢いよく席を立った、周りの生徒達は一瞬驚いていたが、またすぐに自分の世界に戻って行った。仕方なく、トイレに行き、戻ると教室の前に生徒達が蟻の行列のように並んでいた。
「お前らー、今日は終業式だぞ。さっさと並べ。」
社会科の石橋先生がいつものように太い声で言っていた。私も、その列に混ざり込む。暖房一つ効いていない体育館で校長先生の長い話を聞き、教室に戻って先生の話を聞き、窓の外の景色を見つめていたら、いつのまにか学校は終わっていた。今日は早く帰れる日だそうだ。教室を出て、駆け足て駅に向かう。
「冬休み遊ぼうぜ」
「良いお年をー」
ぞろぞろと帰っていく生徒達が楽しそうに会話をしている。もちろん、私は同じように楽しく話すことは出来ない。今から電車に乗ると、同じ学校の生徒で溢れるので、コンビニで少し時間を潰してから電車に乗った。数分、電車に揺られていると、さっきと同じ海が見えてきた。溺死もありだなと思ったが、十二月の海は想像以上に冷たいので、できる気がしなかった。冷たいだけなのに、それに耐える覚悟がない自分に嫌気がさした。毎日死ぬ方法を考えているが、本気で死にたいなら、相当な勇気と覚悟が必要だろう。首吊り自殺は、誰かに見つかった時に大騒ぎになりそうなので辞めた。餓死する方法は、今朝から実行している途中だ。でも、不思議とお腹が空いている様子はない。人間って意外と頑丈なようだ。そんなことを考えていたら、家の最寄り駅に着いていた。電車を飛び出して、改札を通り、駅のホームを歩く。駅の出入口まで来た時、少し違和感があった。出入り口を行き来する人達が、ごく一部のスペースを避けて通っているのだ。不思議に思っていると、人が倒れているのが見えた。周りの人達は助けるどころか、声をかける気配もないし、私も素通りしようと思ったが、なぜか体はそこに向かっていた。
「...大丈夫ですか」
よく見ると、私よりも1、二歳年下ぐらいの男の子だった。男の子は苦しそうに息をしていた。恐らく呼吸困難になっているのだろう。
「少しお身体失礼します」
男の子の頭の下に自分のカバンを置き、体を安定させる。楽な姿勢をとるために、男の子の両膝を立てた。その足があまりにも細くて驚いた。カバンから下敷きを取り出し、風を送る。
「大丈夫ですよ。ゆっくり息を吸ってください。」
対処法が合っているのか分からなかったが、男の子が落ち着くのを待つことにした。それにしても、なぜ周りの人達は素通りして行くのだろうか。改めて世界の冷酷さを感じた。やっぱり死にたいなと思った。数分経つと、男の子はようやく落ち着きを取り戻した。
「大丈夫ですか、お身体の調子はどうですか。」
男の子の目に少しずつ光が戻ってくる。
「......はい」
症状は落ち着いたようだが、このまま自分で家まで帰るのは心配だ。これ以上関わるのは辞めようと思ったが、私の口は止まってくれなかった。
「このまま家まで帰るのは心配なので、送りますよ。立てますか」
家という言葉を発した瞬間、突然男の子の顔が青ざめた。少し黙り込んだ後、ようやく口を開いた。
「...家は..ありません。このまま自分で行き先を...探します。本当にありがとう.....ございました。この恩は一生忘れません。」
え、家がない?自分で行き先を探す?こんなにも小さな男の子が、自分で行き先を探すだなんて、無理に決まっている。そもそも、家が無いのだろうか。なにか深い事情がありそうだが、私の口は止まってくれなかった。なぜかこの子を放っておけなかった。
「なにがあったのかは存じませんが、良ければ今日は私の家に来ませんか。この体の状態じゃ、また体調を崩すと思うので、今日は私の家で休んでいってください。」
男の子が一瞬目を見開いた。
「そんな、申し訳ないです。助けてもらった上、家にまで上げてもらうだなんて。」
「私は大丈夫だし、私があなたの事が心配なんです。さっきの症状を見ている限り、休養が必要なようでしたから。」
男の子は一瞬迷ったような表情をしたが、こくりと頷いた。
「...本当にありがとうございます。」
「全然構わないです。行きましょう、立てますか」
男の子が立とうとしたとき、体がふらっとよろめいたので、慌てて支える。
「私の肩を使って歩いてください。ゆっくりでいいですから、行きましょう」
「ありがとうございます」
私の体に触れている腕は、驚くほど細くて、これはなにかあったのだろうと思った。それにしても、早くこの世界から消えたいのに、私は何をしているのだろうか。不思議だった。今までは他人の事なんて気にせず、ただ自分を守るために必死に生きていたのに、今はこの名前も年齢も知らない人に手を差し伸べている。まるで自分が自分じゃないようだ。
古臭い見慣れたアパートに着くと、部屋は2階なので普段は階段を使っているけれど、今日はこの男の子を支えて階段を登るのは大変なので、エレベーターを使うことにした。エレベーターから降り、自宅の前まで来ると、男の子を支えながら、カバンの中を漁って鍵を探す。やっとの思いで見つかった鍵でドアを開け、カバンを玄関に乱暴に置き、リビングにあるソファに男の子を座らせた。
「体は大丈夫ですか、相当疲れているようですから、今日は休んでください。」
そう言って、何も無い家なのだから、せめて暖かい飲み物でも出そうとキッチンに向かおうとした時、呼び止められた。
「なぜ名前も年齢も、何があったのかも深堀りしてこないのですか、なぜ僕を助けてくださったのですか」
男の子は不思議そうに私を見つめている。確かに名前も年齢も知らないし、何があったのかも知らない。でも、今の私は不思議とこの子に聞き込みをしようとは思わなかった。
「自分が話したいと思った時に話してくれたらいいのですよ、無理して話す必要はありません」
そう言ってキッチンに行き、鍋に水を入れてお湯を沸かす。来客が来るだなんてことは想定もしていなかったので、なにか出せるものは何も無いと思っていたのだが、この家に引っ越しをしていた時に買ったインスタントココアが一つだけ残っていた。それをたった一つのマグカップに入れ、沸いたお湯を注ぐ。それを持って、男の子の所へ持って行った。
「まさか家に来客が来るだなんて想定もしてなくて、何も無いですが、良ければこれを飲んで体を温めてください。」
男の子は驚いたような顔をして、コップに口をつけた。そしてココアを1口飲むと、
「...おいしい、.....この世にこんな美味しい飲み物あるんですね」
今にも泣きそうな表情で男の子は言った。これは何か深い事情がありそうだなと思った。それにしても、私はこの子の事をずっと、男の子と呼んでいるが、ずっと名前も知らないままなのは違和感がある気がしたので、せめて名前と年齢だけ尋ねてみることにした。
「突然ごめんなさい。あなたのお名前はなんですか?」
そう言うと、男の子はしばらく黙り込んでしまった。さすがに初対面の女に個人情報を言うのは気が引けたのだろう。怖がらせてしまっただろうか。
「怖がらせてしまってごめんなさい。私の名前は"白鳥美羽"っていいます。あなたのお名前も教えてくれませんか」
男の子は一瞬目を見開いたが、しばらく迷った末、口を開いた。
「いえ、僕の方こそ気を遣わせてしまってすいません。名前は........"うみおなぎ"です。」
なぎくんって言うんだ。漢字は『凪』なのだろうか。気になってみて、学校のカバンからノートとペンを取りだし、ノートの1番上に、『白鳥美羽』と書いた。
「これ、私の名前の漢字。あなたのお名前の漢字も気になるから、書いてみてくれませんか」
そう言うと、なぎくんは少し微笑んだ。初めて笑った顔を見たが、その笑顔はあまりにも繊細で、いつかは壊れてなくなってしまいそうだった。なぎくんは、ペンを握って、ノートに漢字を書いた。書いている姿を見ると、書くことが久しぶりのように見えた。少し経つと、なぎくんが漢字を書き終えたようだ。
「...多分こうだと思います」
「ありがとうございます」
そう言ってノートを見ると、そこには、『海尾渚』という文字があった。名前、『凪』じゃなくて『渚』だったんだ。渚くんが書いた字は、繊細で歪な字だった。
「教えてくれてありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないです。お名前、すごく素敵ですね。」
そう言われてびっくりした。初めて名前を褒められた。渚くんには他の人とは何か違う暖かい雰囲気があった。でも渚くん、何歳なんだろうか。さっき少し触った足と腕はあまりにも細くて心配だったからだ。年齢も知らずに、ずっと硬い距離でいるのは、なんだか違う気がして、年齢も聞いてみることにした。
「初めて自分の名前褒められました、ありがとう。もし良ければ年齢も教えてくれませんか」
「えーと...多分、十六か十七歳だったと思います」
それぐらいなら、私と同じくらいだ。年齢が同い年ぐらいである事にびっくりした。ということは、高校一年生か、私と同じ高校二年生ということだろうか。あまりの体の細さに、てっきり年下だと思っていた。
「なら、同い年ぐらいですね。良ければ仲良くしてください。」
なぜ自分が、人と仲良くしてくださいだなんてことを言っているのかよく分からなかった。私はこのまま誰とも関わらず、ただ1人で静かに一生を終えようと思ってたのに。
「僕の方こそ助けてくださってありがとうございます。この恩は一生忘れません」
そう言った途端、渚くんは突然激しく咳き込みだした。恐らく、呼吸器官が弱っているのだろう。無理して喋らせてしまった。
「大丈夫ですか、こちらこそ無理して喋らせてしまいごめんなさい。今日はゆっくり休んでください」
しばらく背中をさすっていると、渚くんはようやく落ち着きを取り戻した。休ませてあげたいけど、家には来客用の布団など無いので、自分のベッドで休ませてあげることにした。
「渚くん、立てますか、私のベッドに行きましょう。今日私は、ソファで寝ますから、ベッドでゆっくりしてください」
「えぇ、そんな申し訳ないです、僕がソファで寝ます」
「いいえ、渚くんは今、体が弱りすぎています。しっかりとした睡眠をとらないと、体調は一生治らないままです」
そう言うと、渚くんは疲れたのか、素直にこくりと頷いた。私の肩を貸して、ベッドに案内し、横たわらせた。
「お腹はすいていますか、寒くないですか、何かあれば言ってください」
「いえ、大丈夫です。今日は寝ます、本当にありがとうございます」
「分かりました、ごゆっくり。何かあれば直ぐに言ってください」
そう言って、寝室から出た。リビングのソファに座ると、一気に疲労が押し寄せてきた。私は本当に何をやっているのだろうか。なぜこんな状況で人助けをしているのだろうか。よく分からなかったが、なぜか今は、死にたいという気持ちよりも、あの子を助けたいという気持ちの方が強かった。それにしても、家がないとはどういう事だろう。家出な気がするが、状況を見ている限り、何か深い事情がありそうだ。本人が話す気になってくれたら、詳しく聞こう。これからどうしよう。渚くんの体は、ボロボロだった。あんな状態で、一人で街を歩かせる訳にはいかない。自分が未来のことを考えているのが不思議だった。明日なんてこなければいいと思っていたのに、今はなぜか、あの子を助けたいから明日が来て欲しい気持ちもある。深く考え過ぎてもしんどいだけなので、お風呂を済ませることにする。いつもは面倒なお風呂も、今日は何故か一段と早く感じた。時刻は午後十九時、まだ寝るには早すぎるが、もう体が限界なようだ。ソファに飛び込むと、すぐに眠りに落ちた。