取引先のエリート社員は憧れの小説作家だった

気がついたら私は橘さんの部屋の前にいた。

橘さんの部屋の明かりは消えていた。

深夜にも関わらずインターホンを押してしまった。

橘さんは出てこなかった。

寝ているのか……無視しているのか……

もらった時は使うつもりはなかった。

でも私は信頼の証として渡された合鍵を使った。

開けると部屋の明かりは全部消えていた。

「橘さん……」

声を出しても返事はない。

そのままリビングに行くと、バルコニーに人影があった。

橘さんが夜景を見ていた。

そっとバルコニーに入って橘さんに近づいた。

久々に見た橘さんの姿を見たら胸が苦しくなった。

その時、私の視線に気がついたのか橘さんが振り返った瞬間、

「うわっ!!お前何してるんだよここで!」

「すみません……」

「びっくりした……心臓止まるかと思った」

「インターホン押しても橘さんがでなかったので……」

「ならまた明日くればいいだろ」

「明日なら出てくれたんですか?」

「………」

橘さんは目を逸らしてしまった。

「橘さん、共同制作を断った理由を教えて下さい……」

「……今は言いたくない」

それがわからないと、私にはどうしようもない。

「橘さん……私はどうすればいいですか?」

「小説を書けばいいだろ。自分で考えて」

「橘さん、私書けないんです」

体が微かに震えてきた。

「私、書こうとしたんです……でも、何も思い浮かばないんです、何も書けないんです!」

涙が溢れてくる。

「橘さんがいないと私は何も紡ぐ事ができないんです」

「俺はただ設定を渡しただけだ。そんな難しい事じゃない。」

「欲しいのは設定だけじゃないんです……」

私が今欲しいもの……それは……

「橘さんの愛が欲しいんです」

橘さんは私の方を少し見たけどすぐ目を伏せた。

「今、美鈴を純粋に愛する自信がない」

「え……?」

「俺はお前に嫉妬しているんだよ…。」

「私に嫉妬とは……どういう事ですか?」

「俺には作れない世界を美鈴が作れることに嫉妬しているんだよ」

「それは……橘さんが種をくれたから偶然書けただけですよ。私も橘さんの…翠川雅人の世界は書きたくても書けません」


暫く沈黙が続いた。

「美鈴の作品を見ると辛くなる。だから、共作を断った」

私の作品を見ると辛くなる……?

橘さんと出会って、夢としっかり向き合う事ができるようになって、そしてやっと物語を書いてコンテストに応募したのに……

橘さんも褒めてくれてたのに……

私の夢も希望も音を立てて崩れ始めた。

「……なら、私は書くのをやめます」

「は?何でやめるんだよ」

「一番読んで欲しい人が読んでて辛くなるようなもの、書いてても意味ないじゃないですか」

私が小説家になりたかったのは、翠川雅人の作品があったから。

小説を書けるようになったのは橘さんがいたから。

「俺のせいでお前が夢を失うのは俺も辛い。」

橘さんも俯いていて戸惑っている。

私達は一体どうすればいいの?

どうすれば私達はまた穏やかに過ごせるの?

何も思いつかなかった。

ただの恋人なだけなら楽だった。

「私、ここを出ていこうと思います。」

「どこに行くんだよ…」

「違う所に住むだけですよ」

もうこうするしかない。

私は憧れの翠川雅人を失いたくない。

私が自分の部屋に戻ろうと踵を返した瞬間─

腕を思い切り引っ張られた。

「行くなよ」

橘さんは私の手を握りしめている。

下を向いてて表情はわからない。

「どうすれば橘さんは一番幸せなんですか?」

「……美鈴が側にいればそれでいい」

橘さんの言っている事は矛盾している。

でも、私達の心が繋がっている事に私は安堵した。

「私も橘さんの側にいたいですよ」

橘さんの事を私はそっと包んだ。

「みっともなくてごめん。共作もちゃんとする」

「いえ……そんな無理しなくていいですよ。私も自立できるように頑張ります」

「自立したら俺が必要なくなるだろ」

「そんな事ないですよ!」

今度は橘さんの頭を撫でた。

「じゃあ……惨めな男を慰める天使の話でも書けよ…次は」

「天使……それはファンタジー要素がある話ですね。ちょっと頑張って考えてみます」

「それを読んで俺はまた惨めになるんだな……」

私達の関係はこれでいいのだろうか。

なんでこんなに落ち込んでしまうのか。

「翠川雅人は私にとっての憧れなんです!橘さんのストーリーはとても素敵です!自信を持ってください!私が保証します!」

「……逞しくなったな」

橘さんは安心して眠くなったのか、そのまま寝室に行った。

私を引き連れて……

そのまま抱き枕のようにされて、橘さんは眠ってしまった。

動けなくなった私はそのまま橘さんの香りに包まれながら幸せに浸った。