取引先のエリート社員は憧れの小説作家だった

橘さんから受け取った種。

それは切ない愛を紡げるものではなかった。

主人公が恋人に騙されていたストーリー。

そんな男とっとと見捨ててしまえば終わると思う。

でもそしたら物語にならない。

スマホで検索してみると色々出てくる。

DVされてるのに離れられない。

ホストから抜け出せない。

『そんな男』でも、錯覚してしまう愛。

悶々としながら、次の朝電車に揺られていた。

駅で降りると、別部署の先輩がいた。

私が新人の時に沢山お世話になった人。

「先輩!」

先輩が振り返った。

「神谷ちゃんおはよ〜」

先輩は爽やかで気さくで美人で仕事ができる。

私の憧れである。

「最近どうですか??」

「相変わらずだよ〜。神谷ちゃんは?」

「私も特に大きな変化はないです」

「あ、今日久々に一緒にお昼食べに行かない?」

「行きます!」

久々に先輩と話せる私は浮かれていた。

◇ ◇ ◇

お昼にエレベーターの前で先輩と待ち合わせて、ランチを食べにお店に入った。

リラックスできる雰囲気で、席の間隔が広いから、密集してなくて好きな場所だ。

私達はそれぞれ注文して他愛もない話をしていた。

「あのさ。ちょっと気になる事があって……」

「なんですか?」

「神谷ちゃん、取引先かなんかの男の人と付き合ってたりする?」

私は飲んでたアイスティーを吹き出しそうになった。

「え……何でそう思うんですか?」

「二人がエレベーターに乗るの見た時があって、止まった階が……ねぇ」

うわーー!!

「あれは間違えたんです!!」

「でも、エレベーターその階で止まったままだったし」

言い訳が思いつかない。

「他の日もその階で止まってるの見たんだ」

油断していた。

エレベーターで止まった階で勘づかれてしまうって。

「先輩……内緒にしてもらえますか?」

誤魔化せない私は、もう縋るしかなかった。

「誰かに言うつもりはないよ。私も人の事とやかく言う資格なんてないし」

「え……?それはどういう…」

先輩は目を伏せた。

「私、同じ部署の人と不倫してるの」

──衝撃的な事実だった。

「え、誰とですか?」

「それは言えないなぁ流石に」

「すみません……」

先輩と不倫が全く結びつかない。

そういうのを嫌う人だと思ってた。

「既婚者だって知らなかったんだよ最初。わかった時は修羅場だった」

ん?それって……橘さんの設定と同じでは……

「先輩はそこで別れなかったんですか…?」

「別れようとしたよ。でもさ……凄い好きだったし、結婚したいと思ってたからさ……そんな簡単に割り切れなくて。」

私はその先輩の心理を知りたかった。

でも踏み込むのも気が引ける。

──けど!

「わ、私の友達も実はそういう子がいて…相談されるんですけど、なかなか言葉が出なくて、聞くしかできないんです…」

嘘をついた。

「『妻とはもう関係が冷えている』『一番愛してるのはお前だけ』とかテンプレなセリフ言われてさ。最低最悪なんだよね。なのに、離れると辛いの」

先輩の遠くを見る目が切なかった。

「とっとと別れられたら楽なのに、別れを切り出すたびに会いにくるの。愛してるって言われると、全てを許してしまうの。その時だけは」

「苦しいですね……」

話が深刻すぎてなんて言えばいいかわからない。

「その友達もそうなんじゃない?」

「あ、はい!そうなのかもしれないです」

先輩ごめんなさい嘘ついて……

「そんなの繰り返して、疲れたよもう。どうしようね…。未来なんてないのに。」

終わらせられない関係。

憎んでるけど愛してる。

「複雑ですね……人間の心って」

「え?そう?」

「あ、すみません。ちょっと私には人生経験が足りなくて、先輩の気持ちでまた勉強になったなと」

「勉強しなくていいよこんなの」

先輩は笑った。

心の中はどうなんだろう。

私はそのランチのひと時で、愛と憎しみを、少し知れた気がした。

先輩を蔑むなんてできなかった。

あの表情を見て、気持ちを聞いて、それはそんな簡単に割り切れるものじゃないと理解した。

先輩とオフィスのエレベーター前で別れる時

「じゃあまた今度話そうね〜。今度は神谷ちゃんの話色々聞かせてね〜」

先輩は何事もなかったように行ってしまった。

私の知らないところで泣いてるのかな。

恋は私が思うよりもっと複雑なのかもしれない。

◇ ◇ ◇

私は家に帰った後、先輩の話を聞いた時の気持ちをノートに書いた。

その時、玄関のドアが開いた。

橘さんは最近正々堂々と入ってくるようになった。

「お疲れ様です」

「何してるの?」

ソファにどかっと座ってもたれかかっている。

「愛と憎しみです……」

「ちょっと見たい」

「ダメです!!」

「なんで?」

「そんな簡単な話じゃないんです!!」

「書けないかもしれないって言ってた割に本気だな」

「本気です!」

橘さんがクスッと笑った。

「美鈴はいい作家になれそうだ」

それは……揶揄ってるの?

私が立ち上がると、橘さんに引っ張られて膝の上に乗せられた。

「癒される……」

橘さんに抱きしめられると私も癒される。

「私、橘さんが最低な男でも、離れられないです。たぶん……」

「え?」

それが正しい愛と憎しみの共存なのかはわからないけど。

先輩の気持ちは痛いほど伝わった。

「そうか……じゃあ最低な男と離れられない女になって俺に溺れろ。そして書け」

橘さんのくれた種を私なりに育てて花を咲かせるんだ。

そして──

コンテストに出すんだ。

私は頭を悩ませながらも、それから毎日書き続けた。